因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

若手演出家コンクール2010最終審査 鹿目由紀『現在、進行形』

2011-03-03 | 舞台

* 鹿目由紀(劇団あおきりみかん)作・演出 公式サイトはこちら 下北沢「劇小劇場」 6日まで
 劇団あおきりみかんの舞台は一度みたことがある(1)。そのときの記憶を呼び起こしながらの観劇となった。舞台はテーブルと椅子が2脚。飲み物とお冷やが2人分置かれているので、喫茶店と思われる。すっきりとシンプルな舞台美術だ。暗転ののち明るくなると、テーブルをはさんで一組の男女が、いや椅子にかけているのは1人だが、どちらもそのうしろに男はパープルのロングTシャツにチノパン、女は赤いカットソーに白いスカートと同じ衣装をつけてそれぞれ5~6人ずつが折り重なるように立っているのだ。テーブルと椅子だけの舞台美術から、静かな会話劇かと予想していたら、明転していきなりのこの構図に面食らう。何が始まるのか。

 男には家庭があり、2人は不倫関係にある。女のなかには、どうしても彼と別れられない気持ちだけでなく、殺したいほど憎んだり、自虐的になったり、すべてを明白に暴こうと警部のように仕切ったり、ほぼ無関心だったりとさまざまな気持ちが入り乱れる。その混乱がひとりの人物を複数の俳優たちが協力したり喧嘩したりと大騒ぎする形で描かれるのである。相手の男も同様だ。とくにこの2人が多重人格であるということではない。言葉に出ていることだけが本心なのではなく、言葉の裏にはこんな気持ちがあり、自分の心のなかですらさまざまな駆け引きをしながら相手の出方を探っている。総勢10人あまりの俳優たちは舞台から飛び出しそうなほどの勢いで演じており、1時間という枠のなかで(本作は40分であった)多くの俳優を出演させ、それぞれに見せどころがある巧みな作劇術、演じる俳優と人物のキャラクターの描き分けも的確で、大いに楽しめる。

 ひとりの人物を複数の俳優で演じるというパターンは舞台の見せ方としてとてもおもしろいが、それ以上の何かを求めようとした場合、どこに視点をもっていけばよいのだろうか。これは「演出とは何か」という問題にもつながっていくのであり、本作に限らずすぐに答は出ない。戯曲を舞台に立ち上げるとき、刺激的で舞台作品でなければできないような絵面(あまりいい表現ではないけれど)を作ることは重要だが、「何をみせたいか」がつかめないと、観劇の印象は希薄なものとなる。
 第2夜終了。おもては昨夜にも増して冷たい風であった。

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