タツノヒノエ

神仏への道-神社仏閣巡りから、古代の神々との出会い

三井寺、水観寺・・・

2022-01-17 18:24:10 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

51・52社寺目です。

三井寺 (園城寺=天台寺門宗総本山) と、三井寺の別所・水観寺です。

平成7年6月11日御朱印いただいております。滋賀県大津市。

三井寺は・・・とてつもなく広いお寺です。

画像はウィキより、

Mii-dera Otsu Shiga pref01s5s4592.jpg釈迦堂(重要文化財)三重塔(重要文化財)毘沙門堂(重要文化財)観音堂(県指定有形文化財)

比叡山と、オーラは似ていると感じました。

日本三不動の一つである黄不動で著名です。観音堂は、西国三十三所観音霊場の第14番札所で、札所本尊は如意輪観世音菩薩です。

とてつもなく広い境内に、たくさんのお堂や鎮守社がありましたが、すべて「供養礼拝」されている感じがしました。

宝物館かどこかで、寺宝を公開していて、左横から視線を感じたので見ると、「インド式の忿怒の三面大黒天像 (インドのマハーカーラ像) 」と、「目が合いました」。

常々、「インドのマハーカーラの御姿の三面大黒天を拝みたい」と思っていた矢先です。「念じれば花開く」。すさまじい忿怒の素晴らしい仏像でした。

御朱印

(すいかんじ)は、 滋賀県 大津市 園城寺町にある 天台寺門宗総本山・園城寺(三井寺) の 別所寺院です。 本尊 は 薬師瑠璃光如来。

Suikanji.jpg


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京都成田山・・・

2022-01-17 18:03:29 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

50社寺目です。

今はもう無い「京都成田山」。

平成7年6月11日御朱印いただいております。

今はもう存在しないお寺ですので・・・

「幻の」御朱印です。

いろいろあったんでしょうが、私は結構好きな感じでした。

ではまた。

・・・・・


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仏と神②・・・

2022-01-17 18:00:58 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

仏と神、どっちが偉いか尊いか。

神 (天) には、ランキングがありますが、

仏にはありません。

アマゾンで買った原始仏典を読んでいると、ゴータマ・ブッダ (お釈迦様) は、転生を繰り返しながら、徳を積み続け、成道を目指しながら、最後の「生」となる今生で、完全円満なる悟りを開き、ブッダと成られました。要するに、「天 (神々) 」と、「人」を転生しながら、最後の生で「覚者」となったのです。

天 (神々) の世界も、様々な天上界を経験し、人間としての修行も経験し、最後の生で成道したのです。

仏も「人」であり、神 (天) も、生前は、「人」です。(人以外の生物の神霊もいるでしょうが、ここでは「人の神」だけの話にします)

お釈迦様は、「私は、人間に生まれ、人間に長じ、悟りを開いてブッダと成った」と仰っておられます。

生悟りの人間に限って、やたら比較したがり、幕末の国学者・平田篤胤とその仲間たちは、「仏教は悪魔の宗教」とまで断じていました。

仏教の「ぶの字」でもかじったら、悪魔どころか、第一「宗教」でさえ無い。神道も本来、宗教ではない。宗教じゃないと言われると激怒する神職もいるが、これは、別に蔑視しているわけでもなく、神道は「道」だと言っているだけなのである。

仏道とか神道とか、「道」とつくものは、本来、宗教ではない。「道」である。

さて、仏側からすれば、「どっちが偉いか尊いか」は、お釈迦様の態度を見れば判ります。お釈迦様は、様々な神々に対しても、ヤッカ (夜叉。半神。鬼神) に対しても、人に対しても「友よ」と言われる。

これが、「人としても、天 (神) としても、すべてが完全に成就した、円満な、完成した、ブッダ」の態度だと思います。上も下も無い。

さて、アマゾンで買った原始仏典を読むと、そこには「生のお釈迦様のお言葉が」あります。

お釈迦様の言葉は、「宇宙の核」が、人の姿をとって話しているみたい」です。すべてにおいて、完璧です。出家のお弟子に対しても、サーリプッタ尊者との会話と、若い弟子への説法では、話し方が違います。若い弟子たちには、「かみ砕いて、様々な比喩を用いて、理解しやすいように説明し、時には質問を投げかけて」説明したりしています。

相手の機根=レベルに応じて変化する説法=「対機説法 応病与薬」と言うお釈迦様の説法は、「水」のように、相手の器に応じて変化する、完璧なものです。

ただ、原始仏典に収録されている説法集は、ほとんどが「出家者」に対する説法で、在家のわれわれとしたら、なかなか難しいものであります。

私のような者が好むのは、ある国の大王が、死んだ後、四天王のおられる天上界に生まれ変わり、定に入って集中しているお釈迦様に、「お釈迦様ー、私でございます。○○でございます。死んで、四天王の支配する天上界に生まれ変わったのは、これで○度目でございますー」と話しかけたのち、神霊としての姿を現して、お釈迦様と会話するシーンとかです。(いつか詳しく書きます)

また、菩提樹下での、「お釈迦様の壮絶な悟り」のシーンが好みです。

「精神が統一され、純粋で透明で、不動の境地に至った時、過去世の様々な生涯を思い出した。1の生涯、10の生涯、100の生涯、千の生涯、百千の生涯・・・無数の生涯を思い出した。また、他の人々に目を向け、他の人々の、1の生涯、10の生涯、100の生涯、千の生涯、百千の生涯・・・無数の生涯を見た。また、他の生物に目を向け、彼らの無数の生涯を見た。宇宙の成立期、宇宙の破壊期、宇宙の成立破壊期・・・宇宙の無数の転生も全て見た」

「一身にして多身となり、多身にして一身となり、あるいは隠れ、あるいは現れ、日月に手を伸ばして触れることもでき、肉身のまま、大梵天界に行き、身を持って、大梵天界を支配することができた」

「結跏趺坐したまま、空中を飛ぶこともでき、城壁をも、なんなく通り抜け、水中を移動すること自在・・・」云々・・・(いつか詳しく書きます)

など。

お釈迦様の「2500年前に描かれた肖像画」のコピーも持っているので、いつかアップします。

ではまた。

・・・・・

 

 


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清水寺 (中国観音28番)・・・

2022-01-17 18:00:25 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

49社寺目です。

島根県安来市の「清水寺」。

伽藍画像はウィキより、

Yasugi Kiyomizu-dera konpondo.jpg

天台宗の古刹で、中国観音霊場第28番札所です。

「厄払いの寺」として有名です。

「厄払い」を受けたことがあります。

申込者だけ、本堂である「根本堂」に入れます。

天台宗・・・と言うか、清水寺独特の「ご祈祷、お加持」です。お加持は、背中に「九字」を切っておられたのではと思います。

初めての「厄払い」ご祈祷・・・よほど疲れがたまっていたのか・・御祈祷・お加持の後・・・「羽が生えたような」感覚になりました。

ご本尊様は「十一面観音」さま。確か・・・四天王が、御本尊の周囲に配されていた記憶があります。

境内は、その名の通り「清らかな水」のような、透明な空気感です。「神社」と、「天台密教」が融合したかのような透明感です。

弁才天堂はオーラありました。あと、稲荷神社もオーラありました。毘沙門堂は本堂を守るように感じました。三重塔も、当時は拝観料支払って三階まで上がれました。

私は、清水寺で、はじめて「角大師 (元三大師) 」の御守りを知りました。

ではまた。

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