タツノヒノエ

神仏への道-神社仏閣巡りから、古代の神々との出会い

チッタ居士と、維摩居士・・・

2022-02-06 18:05:38 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

大乗経典の「維摩経」。

主人公の 維摩居士には、実在のモデルがいる と言われます。

それが、前述した「チッタ居士」。(チッタ長者)

在俗の人間でありながら、お釈迦様に会ったこともない時に、サーリプッタ尊者の説法を聞いて不還果の覚りに達していたと言います。

「ローマは一日にして成らず」こういう天才的な方は、前世からの功徳の果報です。

前世、前々世、過去世で「サボってばかり」いた人が、突然「悟りを開く」ことなどありません。チッタ居士の天才的な頭脳も、過去世からの功徳の果報です。

お釈迦様は後に、「在家に善き弟子を得た」と仰っています。

「善き信者を得た」ではなく、「在家の善き弟子を得た」と。

チッタ居士は、在俗の人間でありながら、「不還果の覚り」と言う高い悟りの境地に至っていて、「出家の弟子」にさえ、仏法を説くほどだったと言います。

また、経済的にも優れていて、長者と言われます。

孔子の十哲のうちでは、子貢さんがチッタ居士に似ていると以前前述しました。

そのチッタ居士が、「維摩経」の主人公「維摩居士」のモデルではないかと言われます。

維摩経は、はっきり言ったらあれですけど、実際のチッタ居士を「極大解釈」したようなお経です。「維摩経」から先に学んだ人にはあれですが、原始仏典を読んでから維摩経を読んだら、「読めたものじゃありません」。「こんなん、ウソにきまっとるやろ」になります。

私は原始仏典は、アマゾンで買ったものを「かじり読み」くらいしかしてませんが、実際のお釈迦様の説法 (原始仏典) と、大乗経典では比較になりません。

原始仏典のお釈迦様の説法は、「なめらかで詩文調で、柔らかく、わかりやすく、水のように流麗」。読んでいて、イメージが沸く。大乗経典は、「文体もカクカクし、表現が固く、難しい言葉の羅列で」、読んでいて「肩がこる」。イメージが全然わかない。

大乗経典は、中国や日本で作られたお経も、その範疇に入れ、「諸仏礼拝のための、読経で読む」のに適していて、「勉強には向かない」。諸仏礼拝のためなら、大乗経典は適していると思います。観音経・心経など。日本で作られたお経では、聖不動経・南無三十六童子など。特に、「諸仏の功徳を礼賛するタイプのお経」が良いと思います。

中国で作られたお経では、「十句観音経」「舎利礼文 (しゃりらいもん) 」。特に、「舎利礼文」は簡潔であるが、完成度は高いと思います。

仏教を勉強するのに適しているのは「原始仏典」。諸仏を礼拝供養するのに適しているのは「大乗経典」。いかがですか?

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来迎院、今熊野観音寺・・・

2022-02-06 15:41:32 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

88・89社寺目です。

来迎院 (真言宗泉桶寺派) と、今熊野観音寺。

平成9年5月2日御朱印いただいております。

ウィキより、伽藍画像もウィキより、

本堂

来迎院(らいごういん)は、京都市東山区泉涌寺山内町にある真言宗泉涌寺派の寺院。山号は明応山。本尊は阿弥陀如来泉涌寺塔頭。禁裏御菩提所泉涌寺別当、御寺(みてら)別当来迎院とも称する(「御寺」とは泉涌寺のこと)。泉山七福神巡り第4番(布袋尊)札所。

荒神堂に安置されている三宝大荒神は空海(弘法大師)が唐で感得し、当初は自ら座像を製作したと伝えられる[8]。伝承によれば、あるとき現在来迎院の建つ山の頂が七日七夜にわたって光を放ち、これにより空海はここを霊地であると考え、来迎院を興したと伝える[3]。三宝荒神は本来、火の神として台所、かまどを司るとされるが、来迎院の荒神は「胞衣荒神(ゆなこうじん)」とも称され、安産の御利益もあるとされて、皇后宮安産の勅願所として信仰を集め、現在も安産を祈願する参拝客が訪れている[2][3]。また、日本でもっとも古い荒神(荒神像)であるとされる

「三宝大荒神」は、日本独自の仏神です。

今熊野観音寺は、

Kannonji8706-b.jpg

今熊野観音寺(いまくまのかんのんじ)は、京都市東山区泉涌寺山内町にある真言宗泉涌寺派寺院総本山泉涌寺塔頭山号は新那智山。本尊十一面観世音菩薩。正式な寺号は観音寺(かんのんじ)である。西国三十三所第15番札所。

空海真言密教を学んで帰国した翌年にあたる大同2年(807年)、東山から光が出ているのを見つけた空海は、不思議に思って当地にやってきたところ、老人の姿をした熊野権現が現れた。熊野権現は空海に天照大神御作の一寸八分の十一面観音菩薩像を手渡してこの地に一宇を建ててこの観音菩薩を祀り、衆生を救済するようにと言った。

そこで空海は自ら一尺八寸の十一面観音菩薩像を刻み、授かった一寸八分の像をその体内仏として中に納め、熊野権現の言うようにこの地に一宇を建てて奉安した。これが当寺の始まりであるとされる。」

・・・今も勧進されているかは不明ですが、私が訪れた時は、「永代奉納仏」として、「大小の十一面観音像」(ボディの一部が開き、中にミニ位牌を入れられる。高岡銅器製造) と、「地蔵菩薩像」を勧進されていました。何体か申し込みました。

本堂で永代祠堂される奉納仏です。(今もまだ勧進されているかは不明です)

ではまた。

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弘法大師「五筆和尚」・・・

2022-02-06 15:40:01 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

弘法大師・空海は、「書」の達人としても有名です。

平安時代の「三筆 (さんぴつ) 」の一人です。

嵯峨天皇(さがてんのう)・空海(くうかい)・橘逸勢(たちばなの はやなり)が「三筆」です。

また、留学先の唐では、皇帝から「五筆和尚 (ごひつわじょう) 」の称号を与えられています。

「尾ひれ はひれ」の伝説の方では、空海は「両手 両足 口」に筆を持ち、「書」を書いたとありますが、

史実の方は、「五つの書体を自在に書ける」から、「五筆和尚」と言われるのです。

NHKの特集で昔観たのですが、高野山に秘蔵されている弘法大師の「書」を、現代の書のプロが色々解説して、「五つの書体を自在に操る」云々と言っていました。

まさに日本の王義之ともいうべき不世出の能書家です。

また、NHKで別の番組では、中国のある地方の「書」の特集をやっていて、中国の若い書家が、「日本の空海大師と話していました。

弘法大師ではなく、「空海大師」と言っていました。今の中国でも名が知られているのはすごいことです。

幕末の剣豪・山岡鉄舟は「書の達人」としても有名ですが、

弘法大師の書を見て、「大師のような書を書けるようになりたい」と、さらに研鑽を積み、「書家」としても名を馳せるようになった頃、≪ 虎をまねて、猫くらいにはなれた ≫ と、言っています。弘法大師が虎、自分が猫 ということです。

宗教家や、なにがしらかの道の人を「見極める」には、「字がうまい」か「下手か」で、一応の目安にはなります。

「達筆の人は本物」の可能性が「高い」と言っていいでしょう。

参考までに。

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夜のアライグマ・・・

2022-02-06 11:26:50 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

10数年前の話。

大台ケ原に、紅葉と滝を撮りに行ったときのこと。

夜11時頃車を走らせていた。宿泊は、駐車場で車中泊する予定だった。

曲がりくねった山道を、ヘッドライトを照らしながら走らせる。

「この山・・・なんか・・・いる」

しばらく走らせ、カーブを曲がった時に、ヘッドライトが何かを照らした。

「タヌキか・・・いや、だんだら模様の尻尾なので、アライグマか」

顔はタヌキそっくりだが、尻尾が違う。

目が合ったが、丸々としたアライグマは「ほっといてよ」と言うような顔をして、昆虫か何かを食べていたようだ。

ペットとして売られ、人間の都合で山に放され、数が増えたことで駆除の対象となってしまったアライグマ。

アライグマや他の外来生物には何の罪もない。

アメリカでも、ツキノワグマの10倍、北海道のヒグマの倍はあるグリズリーでさえ、町に出没したら麻酔で眠らせて山にトラックで運んで放している。アリゲーターなどの大ワニも、できるだけ保護している。

対して日本は、近年、無数の生物たちを「駆除」と言う名の殺生を繰り返している。

こういった、人間中心の行いをし続けること自体が、「自然災害」や他の「厄災」となって、われわれ日本人に因果応報として返ってくるのだと私は思う。

動物保護団体などの努力で、政治を動かし法律を変え、犬や猫などの殺処分数は以前よりだいぶ減った。だが、外来種にはまだ無慈悲な現況である。

「因果応報」・・・この意味を今一度噛みしめたい。

ちなみにアライグマ、「アライグマ ラスカル」の原作本「はるかなる わがラスカル」(スターリング・ノース著) を持っている。

その中で、「コインとかペンダントなど、光るものが好き」と書いてあった。

「カラスのポーと、コインの取り合いをしていた」ことも書いてあった。

スピードが大好きで、ノース少年が自転車をこぎ、ラスカルはノースの服を掴んで一緒にサイクリング。下り坂でスピード出るときは、ラスカルは大はしゃぎし、上り坂でノロノロすると、途端に不安そうにノースの顔を見る」など、とても息の合ったいい相棒だったようだ。

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満月とキツネ・・・

2022-02-06 11:02:27 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

キツネはカラスと並んで、日本の神々の代表的な「神使 (しんし) 」である。

スサノオノミコト、稲荷大明神の神使。私論では、スサノオノミコトも稲荷大明神の1柱だと思う。いずれ記すかも知れない。

もうずいぶん昔である。

実家近くの小さな山の峠道を車で通っていた時の話。

その日は満月。

カーブを曲がった際、神々しい大きなキツネがいて目が合った。

「ふんわり」ふくらんだ尾が、また神々しく、思わず車を停めた。あたりに車の気配はない。

キツネも私を見ていた。

「・・・・・」

満月の夜に神々しいキツネを見たので、言葉が出なかった。

今の家近くにもキツネはいる。

よく、夜、仏間で勤行をしていると、後ろで「きゃーん  きゃーん」と聞こえる。

時には、「けえーうぉん けぇーうぉん」と鳴く。

ものすごく賢く、直観力のある生物である。

日本の神々の神使は、鳥獣や、ヘビ、昆虫たち、カエルなどであるが、

彼らは自然界では、完全にバッティングする。

キツネと鳥、ヘビとカエル、タカとカラス、トンボと蝶々 (幼虫の時)、狩りバチと蝶々 (幼虫の時)、タカと小鳥など。なのに、彼らは神々の神使なのである。最近は猫も神使とか。

彼らに共通しているのは、われわれ人間と違い、「自然にとって無くてはならない存在」であり、「自然と共生し」、「神々に対して純粋である」。

対して、われわれ人間は、自分たちの欲得で物事を決め、地球を破壊し、自然を我がものとし、神々と対立する。

「過ちては改むるに憚ること勿れ あやまちてはあらたむるにはばかることなかれ」

孔子の言葉。「過ちを犯したことに気づいたら、体裁や対面などにとらわれず、ただちに改めるべきだということ」。

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