タツノヒノエ

神仏への道-神社仏閣巡りから、古代の神々との出会い

東大寺お水取り・・・

2022-02-26 17:43:22 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

有名な奈良の風物詩、「東大寺のお水取り」。

昨年、コロナ下の中、出仕僧一人も感染できない厳格な状況の中、お水取りは行われました。

NHKの特集番組、生中継で初めて見る「お水取り」。

私は、お水取りは、いつもニュースで見るクライマックスのシーンだけなのかと思っていました。

実際に、長期にわたった修されるお水取りは、日本の「神仏習合」の「原点」を見るような真剣勝負でありました。

ウィキより、

お水取りおみずとり)は東大寺二月堂で行われる、修二会という法会の中の一行事。目的は、仏の前で罪過を懺悔すること(悔過)であり、2020年現在は3月1日から14日までおこなわれている。その間、心身を清めた僧(練行衆)が十一面観音の前で宝号を唱え、荒行によって懺悔し、あわせて天下安穏などを祈願する[1]。 「お水取り」はあくまで行中の一部であり、旧暦2月に行われていたため「修二会(しゅにえ)」と呼ばれるが、正式名称は「十一面悔過(じゅういちめんけか)である[2]

二月堂本尊十一面観音を祀る懺悔祈祷厳行であり、752年(天平勝宝4年)、良弁(ろうべん)の高弟実忠(じっちゅう)によってはじめられたと伝えられている。お水取りの通称は、東大寺領であった若狭荘園から水を運搬して来たことに由来する。 古代には、天災や反乱などの国家的な災いは「国家の病気」によるものと考えられ、その病気を取り除く十一面悔過は国家的な宗教行事であり、「不退の行法」として引き継がれている[3]

この行のハイライトは達陀(だったん)の行法であり、練行僧が松明を持って走る姿は奈良の風物詩となっている。 近畿地方では、「お水取りが終わると春が来る」という」

昨年、NHKの生中継を観ていて、

その神秘性の神髄を見た気がします。

特に、達陀 (だったん) は、なんとも言えない神秘の儀式に見えました。

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聖護院、積善院・・・

2022-02-26 17:21:33 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

128、129社寺目です。

京都市の、聖護院と塔頭 (たっちゅう) の、積善院です。

平成10年5月3日御朱印いただいております。

ウィキより、伽藍画像もウィキより、

聖護院(しょうごいん)は、京都市左京区聖護院中町にある本山修験宗総本山寺院聖護院門跡( - もんぜき)とも称する。山号はなし。錦林府とも称された。開山は増誉、本尊不動明王である。かつては天台宗寺門派(天台寺門宗)三門跡の一つであった。

日本の修験道における本山派の中心寺院であると共に全国の霞を統括する総本山である。1872年明治5年)の修験道廃止令発布後、一時天台寺門宗に属したが、1946年昭和21年)修験宗(のち本山修験宗)として再び独立して現在に至る[1]。天台宗に属した後も聖護院の格は大本山であった。」

積善院(しゃくぜんいん)は、京都市左京区聖護院中町にある本山修験宗寺院聖護院塔頭である。本尊凖提観音不動明王。正面には須賀神社・交通神社がある。Sekizen'in honden.jpg

鎌倉時代熊野神社の北西に建立された。不動明王を本尊とし、栴ノ坊(なぎのぼう)とも呼ばれた。聖護院門跡院家として門跡の業務を代行する本山派山伏の筆頭寺院である。

1868年明治元年)に熊野神社の南東にあり、寛政年間(1789年 - 1801年)に光格天皇勅願で制作された凖提観音を本尊とする凖提堂と合併し、1914年大正3年)に現在地に移転する。その際、新たな本堂として凖提堂の本堂を積善院の本堂とするため移築している。これ以後、積善院は凖提観音と不動明王の両者が本尊となった」

ではまた。

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巨ゾウとブッダ・・・

2022-02-26 17:06:37 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

仏伝より。

ブッダに違背したダイバダッタ (デーヴァダッタ) は、様々な策略を用い、ブッダを亡き者にしようとするが、ことごとく失敗し、

アジャータシャトル王に巨ゾウを借り受け、それを放ってブッダを殺そうとした。

ゾウ使いは、ゾウに大量の酒を飲ませて放つ。

ブッダは、酔象に慈悲心をもって対された。

「汝、大龍 (お釈迦さまのこと) を害うなかれ。大龍の世に出ずるや難し。もし、大龍を害せば、悪道に堕ちん」

巨ゾウは、ひざまずいてブッダの足を抱き、退いて去った。

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神霊ジャナヴァサバ出現す・・・

2022-02-26 17:06:09 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

アマゾンで以前買った、「原始仏典 第二巻」長部経典Ⅱ より。

今から2500年前、お釈迦様の熱心な信者に、大国「マガダ国」の大王「ビンビサーラ王」がいた。

ある時、お釈迦様が禅定に入っていると、ヤッカ (神霊 夜叉) の声がした。

「尊師よ、私はジャナヴァサバと言う者です」

声が聞こえてすぐに、高貴な姿をした、かのヤッカが、お釈迦様の前に現れた。

「尊師よ、私はビンビサーラであります。幸いな人よ、私はビンビサーラであります。尊師よ、私がヴェッサヴァナ大王 (毘沙門天王) の側近として生まれたのは、これが七度目です。その私は人間の王としてそこから没して、いま天の中で人間ならざるものの王となっているのです。(神霊の王)

ここから七度、またそこから七度、あわせて十四回の輪廻を繰り返しつつ、私が経てきた前世の、暮らした場所のありさまを、私はよく知っている。

尊師よ、私は、長期にわたり「悪い場所に」堕ちることのなかったものであります。

中略

神霊ジャナヴァサバは、ヴェッサヴァナ大王に遣わされて、ヴィルーハカ大王 (増長天王) のもとに、行く途中、お釈迦様が禅定に入っている姿を見て、お釈迦様に会いにやってきた。

生前、お釈迦様の熱心な信者だった、マガダ国のビンビサーラ王は、死後、毘沙門天王の側近の神に生まれ変わり、禅定に入ったお釈迦様の姿を見てなつかしく、会いにやってきたのだと言う話。

その後、ジャナヴァサバ神は、「仏教教団の布薩 (定例集会) において、すべての三十三天が善法堂に集まって座っておられた話・・・四天王は四方に座り、その後から我々の座る場所があり、お釈迦様のもとで、修行し、新たに三十三天に生じたものは、容姿と名声で他の神々を超えていると言う話。このため三十三天の神々は、天界の神々はますます増えていき、アスラは減るといって、喜びで幸せになっている話。神々の帝王サッカ (インドラ帝釈天) は、神々が喜んでいるのを知って詩節によって共に喜んだ話」をする話に続く。そして、「梵天サナンクマーラ出現」によって、サッカ (インドラ 帝釈天) と共にいる三十三天の神々は歓喜する・・・と言う話につながっていく。

その、生前、マガダ国王だったビンビサーラ王が、お釈迦の教えにより、死後、ジャナヴァサバと言う名の神に生まれ変わり、毘沙門天王の遣いとして移動している時に、禅定に入ったお釈迦様を見て、姿を現して会話したと言う話である。

ビンビサーラ王は、お釈迦様に「竹林精舎」を寄進したと言われ、初期仏教教団の有力な信者であった。

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