「信仰」としての仏、観音さんは、三十三変化観音がある。
ウィキより
「法華経「観世音菩薩普門品第二十五」(観音経)には、観世音菩薩はあまねく衆生を救うために相手に応じて「仏身」「声聞(しょうもん)身」「梵王身」など、33の姿に変身すると説かれている。なお、観音経とは別に、密教経典『摂無礙経』にも三十三身の記載があり、両者は細部が異なる。・・・中略・・・「三十三観音」(後述)とは、この法華経の所説に基づき、中国及び近世の日本において信仰されるようになったものであって、法華経の中にこれら33種の観音の名称が登場するわけではない。」
インドラの三十三天。
ウィキより、画像もウィキより、
「忉利天は、欲界における六欲天の第2の天である。意訳して三十三天ともいう。」
帝釈天の名はインドラの名前のシャックロー・デーヴァーナーン・インドラハのうち、śakraを釈と音訳したものに、devaを天と意訳して後部に付け足し、indraを帝と意訳して冠したもの。
本来のインドラ神は、阿修羅とも戦闘したという武勇の神であったが、仏教に取り入れられ、成道前から釈迦を助け、またその説法を聴聞したことで、梵天と並んで仏教の二大護法善神となった。
『涅槃経』巻33や『大智度論』巻56には、帝釈天が人間だった頃の名前は憍尸迦(きょうしか、梵: Kauśika [カウシカ])であると説かれている。かつて昔にマガダ国の中で名を摩伽(まか)、姓を憍尸迦という、福徳と大智慧あるバラモンがいた。
彼には知人友人が32人いて共に福徳を修して命終して、須弥山の頂の第2の天上に生まれた。摩伽バラモンは天主となり、32人は輔相大臣となったため、彼を含めた33人を三十三天という。これゆえに釈迦仏は彼の本名である憍尸迦と呼ぶという。また、このために彼の妻・シャチーを憍尸迦夫人と呼ぶこともある。」
三十三変化観音と、インドラ三十三天に何か関係性があるのかはわからない。
ニギハヤヒノミコト。
ウィキより
「『先代旧事本紀』巻第三天神本紀[2]には、天降ったおりに高皇産霊尊から防衛(ふさぎのもり)として以下の三十二人に命じて随伴させたとある。」
ニギハヤヒノミコトと合わせて三十三人になる。
三十三と言う数字は、何かインド・中国・日本と、神々の系譜に共通点でもあるのであろうか・・・。
ちなみに、「私論」であるが、東寺の「帝釈天像」は、少しだけ「ニギハヤヒノミコト」に、似ている。(髪型とかは別として)
東寺講堂の帝釈天像。
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