タツノヒノエ

神仏への道-神社仏閣巡りから、古代の神々との出会い

厄年・・・

2022-02-22 20:03:15 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

世に数ある占い。

その中でも、「九星気学」(きゅうせいきがく) による運勢が一番当たっていると思う。

「干支占い」「西洋占星術」様々な占いがあるが、

今まで見てきて、「九星気学」が、「運気」を見るだけなら一番当たると思う。

神社や仏閣では、「厄除け」祈願のお勧めとして、「厄年早見表」が掲げてある。

が、この「厄年早見表」は、私はよくわからない。

以前、プロの占い師に知り合いがいて、

「九星気学」「四柱推命」「算命学」ほか多種の占いのプロであった。

その人に一度聞いてみた。

「厄年を見るなら、九星気学が一番ですかね?」「私はそう思う」

何を信じるかは人それぞれであるが、九星気学では、

2022年は、「前厄が九紫火星」、「本厄が一白水星」、「後厄が二黒土星」。

世の色々な事象・・・「事件起こして逮捕される者」「違法献金がバレた者」「収賄罪で逮捕される者」色々見ていて・・・九星気学の「厄年」の者が、よく「悪い結果」が出ていることが多く感じる。

私は、昨年と一昨年が、「本厄で空亡 (くうぼう=四柱推命) 」、「前厄で空亡」だった。

空亡は、「空が亡くなるから良くない」が、「悪いものも消す」と言う人もいるため、「厄年を消してくれんかな」と期待していたが・・・「むちゃ、キツい2年間だった」。

厄除け・厄払い・厄難消除・・・社寺では5千円くらいから御祈祷受付してくれる。

ただ、社寺の「厄年早見表」と、「九星気学の厄年」は、少し違うので、「厄除け」で受けてくださる社寺と、そうでない社寺があるので注意。

社寺で「厄除け」していただいたから、厄が全て無くなるわけではない。

「大難が小難に」なる・・・と言われている。

神社で御祈祷していただいた御神札は、①神棚 ②立った目線より高い清浄な棚など にお祀りする。

お寺で御祈祷していただいた御札は、①仏壇か神棚 (神棚の場合、向かって左側) ②上記と同じ ③玄関 などにお祀りする。

できれば①が良いかと。お水はできれば毎日、お供え物も定期的にお供えするのが良いかと。

適当なお祀りをしていたら、適当な功徳しかいただけないかと。

御守もいただく場合が多いので、決して「お尻のポケットには入れない」。(座った時、お尻の下敷きになるから)

 

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由岐神社 (ゆきじんじゃ)・・・

2022-02-22 18:51:38 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

124社寺目です。

由岐神社。

平成10年5月3日御朱印いただいております。

ウィキより、伽藍画像もウィキより、

Yuki-jinja 20100605.jpg

由岐神社(ゆきじんじゃ)は、京都市左京区鞍馬本町にある神社。通称靫明神(ゆきみょうじん)。大己貴命少彦名命を主祭神として「由岐大明神」と総称し、八所大明神を相殿に祀る。鞍馬寺鎮守社である。」

「女神の神気」を感じた記憶があるんですがね~。

その時買った、「阿吽の狛犬ご神像」を、うちの神棚にお祀りしています。確か、「魔除けの狛犬」だったと記憶してるんですが、「とてもかわいらしい狛犬さん」です。

お供え物をお取替えする時に目が合うんですが、

「笑ってる」ような表情に見えます。

ではまた。

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鞍馬寺 (くらまでら)・・・

2022-02-22 18:36:21 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

123社寺目です。

京都市の「鞍馬寺」。

平成10年5月3日御朱印いただいております。

ウィキより、伽藍画像もウィキより、

Kurama-dera sanmon.jpg

鞍馬寺(くらまでら)は、京都市左京区鞍馬本町にある鞍馬弘教総本山寺院山号鞍馬山(くらまやま)。本尊は「尊天」。「尊天」とは毘沙門天王千手観世音菩薩護法魔王尊の三身一体の本尊であるという。開山鑑真の高弟・鑑禎(がんてい)。新西国三十三箇所第19番札所。

昭和期の住職・信楽香雲(しがらきこううん)は、1947年(昭和22年)に鞍馬弘教を開宗。1949年(昭和24年)には天台宗から独立して鞍馬弘教の総本山となった。

京都の奥にある鞍馬山は山岳信仰山伏による密教も盛んであった。そのため山の精霊である天狗もまた鞍馬に住むといわれる。鞍馬に住む大天狗は僧正坊と呼ばれる最高位のものであり、また鞍馬山は天狗にとって最高位の山のひとつであるとされる」

霊気そのものの境内でした。

神仏と言うより、仏神一体と言う表現の方が合う感じでした。

ではまた。

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空海と丹生都比売大神 (にうつひめおおかみ)・・・

2022-02-22 18:29:36 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

弘法大師・空海が、「神々から高野山の地を賜った話」は有名である。

以下、高野山・総本山「金剛峯寺」より抜粋。

「お大師さまは真言密教を広める根本道場を開くために、適当な場所を求めて、各地を巡錫(じゅんしゃく)しておられました。

ある日大和国(奈良県)宇智郡(五條付近)で、白黒二匹の犬をつれた狩人に出会い「どこに、行かれる」とたずねられました。そこでお大師さまは「伽 藍を建てるのにふさわしい場所を求めて歩いています」と答えられました。すると狩人は、「ここから少し南の紀州(和歌山県)の山中に、あなたの求めている よい場所があります。この犬に案内させましょう」といって、そのまま姿がみえなくなりました。

この狩人が、今日高野山におまつりされている狩場明神(かりばみょうじん)であるといわれています」

お大師さまは、白黒二匹の犬に案内されて高野山に登る途中、丹生明神(にゅうみょうじん)のお社のところまで来られました。

すると、明神さまが姿を現わされて、お大師さまをお迎えし、「今菩薩がこの山にこられたのは全く私の幸せです。南は南海、北は紀ノ川、西は応神山の谷、東は大和国(奈良県)を境とするこの土地をあなたに永久に献上します」とつげられました。

お大師さまは、この丹生明神と、さきの狩場明神の御心持に報いるために、二柱の神を高野山の地主の神様としておまつりになりました。今の伽藍のお社がそれであります」

丹生都比売大神 (丹生明神) は、

別名ワカヒルメノミコト (女神) です。

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空海と稲荷大明神・・・

2022-02-22 18:03:46 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

真言宗の開祖・弘法大師・空海と稲荷大明神は密接な関係にある。

高野山・金剛峯寺と並ぶ、真言宗二大総本山である京都の東寺。

東寺の守護神として、弘法大師が稲荷大明神を勧請したのを契機に、真言宗では稲荷大明神をお祀りする寺院が多いとは聞いていた。

修正しました。

ウィキより、「伏見稲荷大社」。(ウィキペディアは、私は毎年寄付してますのでご容赦ください。数千円単位です)

「弘法大師が出会った竜頭太」の縁起

東寺などに伝わる文献では、以下のように空海と稲荷神の関係が伝承されている。これらの説話は平安時代初期を舞台としているが、文献自体の成立は14世紀頃である点には留意すべきである。

稲荷大明神流記などにはこうある。

(大意)弘仁7年(816年)4月頃、紀州国熊野で修行中の空海(弘法大師)は田辺の宿で常人とは思えない老翁に出会った。身の丈は八尺、立派な体躯で威厳が感じられるが、それを表に出さない顔立ちだった。その老人は空海に会えたことを喜んで語った。「自分は(以前そなたに会ったことのある)神である。そなたには威徳がある。私とともに修行して弟子となるがよい」空海は答えた。「霊山であなたに会った時の約束は、たとえ見かけが変わろうと心は同じであり、まだ忘れていません。私は密教を広めたいという願いが有ります。あなたには仏法でそれを守ってくださるようお願いします。京の都の西南の方角の九条というところに東寺という大伽藍があります。ここで私は国家を護るための密教を興すのです。この寺でお待ちしておりますので、必ずお越しください」。睦まじく語らい合って約束を交わした。

 

弘仁14年(823年)正月19日、空海は東寺を賜って道場を開くため法文や曼荼羅、道具等を運び、経蔵を納めて真言の道場とした。この年の4月13日、紀州の神が東寺の南門にやってきた。神は椙(すぎ)の葉を持ち稲を担ぎ、2人の婦人と2人の子供を連れていた。空海は大喜びで崇敬の心で一行を食事や菓子でもてなし、周りもこれに倣った。しばらく一行は八条二階の柴守(しばのかみ)の家に留まり、その間に空海は東寺の杣(すぎ)山に17日間祈祷して神に鎮まっていただいた。この事が現在まで伝わる由縁となっている。

また、東寺に伝わる『稲荷大明神縁起』では

(大意)ある書物では、100年の昔の和銅年間から竜頭太という者が稲荷山の麓に家を構えて住んでおり、昼は田を耕し、夜は山に入って薪を求める仕事をしていた。その顔は龍のようだった。頭の上に光放つものがあり夜でも昼のように明るかった。姓は荷田、名は竜頭太といった。これは稲を背負っていたからという。(中略)空海はその顔を面に写し神体として祀り、それからは収穫が絶えることがなくなった。この面は東寺の竃戸殿に祀ってある。

とあり、当時伏見稲荷大社の社家であった荷田氏の出自を述べていて、社家が秦氏の出身としている。社家の荷田氏は、「和銅年中、初めて伊奈利三ヶ峰の平処に顕坐してより、この神は、秦氏人等が禰宜として春秋の祭りに仕えた」。伝統的な社家には、この秦氏を出自とする荷田氏、西大路氏、大西氏、森氏などがいる。なお、東寺が空海(弘法大師)作という面を竃戸殿に置いた由来についてここでは述べられていない。縁起にある竜頭太は自ら稲荷山の山神を名乗り、「その顔は龍のようだった。頭の上に光放つものがあり夜でも昼のように明るかった。」とあり、これは後光を背した羅刹天を想起させる。」

・・・

弘法大師と稲荷大明神の御関係は今も続いていると推察する。

いずれ紹介するつもりでいる、岡山県美作市にある、高野山真言宗「法輪寺」で昔、当時の住職から聞いた話。

大師堂で、お護摩を修していただく前、

「キツネさんがなぁ、近所の村人から、卵焼きとか食べ物をもらったら、そこに置くんですわ。(そこ・・・大師堂前にあった、外置き香炉か、石灯籠のどっちか。屋根はない。キツネさんが背伸びして、やっと届く高さ) 

それで、しょっちゅう置いてですなあ、困っとるんですわ」

キツネは食べ物は、土に埋めて隠したりはするが、「屋根なし」の、灯篭か、外置き香炉に「置いたりはしない」。なぜなら、そんなところに置いたら、雨には濡れるし、カラスにはすぐ持っていかれるし。

あらためて、大師堂でのお護摩時、内部を「しげしげ」見てみる。

当時は、弘法大師像一尊だけで、他に神仏像は無かった。

その時気づいたのが、キツネは「稲荷神さまの神使」。

キツネさんは、大師堂におられる (御姿は見えないし、ご神像も無い) 、稲荷神さまに「お供え」しているんだなと。

確か法輪寺境内には、大師堂から離れた場所に、稲荷神社も祀られていた。

なんで、キツネさんは、大師堂前に「大切な食べ物」を、お供えするのか・・・

「大師堂の弘法大師像そばに、目に見えない稲荷大明神がおられて、キツネさんは、稲荷神さまにお供えしているんだな」と思った。

当時の住職の話では、「しょっちゅう置く」とのこと。

弘法大師像は、小さな御尊像だったが、なんとなく、「神が宿っておられる」感じはしていた。

人には見えない神が、神使であるキツネには見えるんだなあと、そのとき思った次第である。(25~30年前の話)

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