真言宗の開祖・弘法大師・空海と稲荷大明神は密接な関係にある。
高野山・金剛峯寺と並ぶ、真言宗二大総本山である京都の東寺。
東寺の守護神として、弘法大師が稲荷大明神を勧請したのを契機に、真言宗では稲荷大明神をお祀りする寺院が多いとは聞いていた。
修正しました。
ウィキより、「伏見稲荷大社」。(ウィキペディアは、私は毎年寄付してますのでご容赦ください。数千円単位です)
「弘法大師が出会った竜頭太」の縁起
「東寺などに伝わる文献では、以下のように空海と稲荷神の関係が伝承されている。これらの説話は平安時代初期を舞台としているが、文献自体の成立は14世紀頃である点には留意すべきである。
『稲荷大明神流記』などにはこうある。
- (大意)弘仁7年(816年)4月頃、紀州国の熊野で修行中の空海(弘法大師)は田辺の宿で常人とは思えない老翁に出会った。身の丈は八尺、立派な体躯で威厳が感じられるが、それを表に出さない顔立ちだった。その老人は空海に会えたことを喜んで語った。「自分は(以前そなたに会ったことのある)神である。そなたには威徳がある。私とともに修行して弟子となるがよい」空海は答えた。「霊山であなたに会った時の約束は、たとえ見かけが変わろうと心は同じであり、まだ忘れていません。私は密教を広めたいという願いが有ります。あなたには仏法でそれを守ってくださるようお願いします。京の都の西南の方角の九条というところに東寺という大伽藍があります。ここで私は国家を護るための密教を興すのです。この寺でお待ちしておりますので、必ずお越しください」。睦まじく語らい合って約束を交わした。
- 弘仁14年(823年)正月19日、空海は東寺を賜って道場を開くため法文や曼荼羅、道具等を運び、経蔵を納めて真言の道場とした。この年の4月13日、紀州の神が東寺の南門にやってきた。神は椙(すぎ)の葉を持ち稲を担ぎ、2人の婦人と2人の子供を連れていた。空海は大喜びで崇敬の心で一行を食事や菓子でもてなし、周りもこれに倣った。しばらく一行は八条二階の柴守(しばのかみ)の家に留まり、その間に空海は東寺の杣(すぎ)山に17日間祈祷して神に鎮まっていただいた。この事が現在まで伝わる由縁となっている。
また、東寺に伝わる『稲荷大明神縁起』では
- (大意)ある書物では、100年の昔の和銅年間から竜頭太という者が稲荷山の麓に家を構えて住んでおり、昼は田を耕し、夜は山に入って薪を求める仕事をしていた。その顔は龍のようだった。頭の上に光放つものがあり夜でも昼のように明るかった。姓は荷田、名は竜頭太といった。これは稲を背負っていたからという。(中略)空海はその顔を面に写し神体として祀り、それからは収穫が絶えることがなくなった。この面は東寺の竃戸殿に祀ってある。
とあり、当時伏見稲荷大社の社家であった荷田氏の出自を述べていて、社家が秦氏の出身としている。社家の荷田氏は、「和銅年中、初めて伊奈利三ヶ峰の平処に顕坐してより、この神は、秦氏人等が禰宜・祝として春秋の祭りに仕えた」。伝統的な社家には、この秦氏を出自とする荷田氏、西大路氏、大西氏、森氏などがいる。なお、東寺が空海(弘法大師)作という面を竃戸殿に置いた由来についてここでは述べられていない。縁起にある竜頭太は自ら稲荷山の山神を名乗り、「その顔は龍のようだった。頭の上に光放つものがあり夜でも昼のように明るかった。」とあり、これは後光を背した羅刹天を想起させる。」
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弘法大師と稲荷大明神の御関係は今も続いていると推察する。
いずれ紹介するつもりでいる、岡山県美作市にある、高野山真言宗「法輪寺」で昔、当時の住職から聞いた話。
大師堂で、お護摩を修していただく前、
「キツネさんがなぁ、近所の村人から、卵焼きとか食べ物をもらったら、そこに置くんですわ。(そこ・・・大師堂前にあった、外置き香炉か、石灯籠のどっちか。屋根はない。キツネさんが背伸びして、やっと届く高さ)
それで、しょっちゅう置いてですなあ、困っとるんですわ」
キツネは食べ物は、土に埋めて隠したりはするが、「屋根なし」の、灯篭か、外置き香炉に「置いたりはしない」。なぜなら、そんなところに置いたら、雨には濡れるし、カラスにはすぐ持っていかれるし。
あらためて、大師堂でのお護摩時、内部を「しげしげ」見てみる。
当時は、弘法大師像一尊だけで、他に神仏像は無かった。
その時気づいたのが、キツネは「稲荷神さまの神使」。
キツネさんは、大師堂におられる (御姿は見えないし、ご神像も無い) 、稲荷神さまに「お供え」しているんだなと。
確か法輪寺境内には、大師堂から離れた場所に、稲荷神社も祀られていた。
なんで、キツネさんは、大師堂前に「大切な食べ物」を、お供えするのか・・・
「大師堂の弘法大師像そばに、目に見えない稲荷大明神がおられて、キツネさんは、稲荷神さまにお供えしているんだな」と思った。
当時の住職の話では、「しょっちゅう置く」とのこと。
弘法大師像は、小さな御尊像だったが、なんとなく、「神が宿っておられる」感じはしていた。
人には見えない神が、神使であるキツネには見えるんだなあと、そのとき思った次第である。(25~30年前の話)
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