タツノヒノエ

神仏への道-神社仏閣巡りから、古代の神々との出会い

神話とは・・・

2022-02-21 18:14:36 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

神話とは、「私論」で言えば、史実に基づいて構成された「物語」であると思う。

日本神話は、「古事記」「日本書紀」「各地に伝わる風土記」によるものだと思う。

他の国の神話と比べれば、日本神話は、史実織り交ぜながら、よく構成されていると思う。

ただ、通り一辺倒に傾倒するとわからなくなるだろう。

あくまで、神道で主だった神々は、

元は「人間」である。

もともと、古代の日本には、形のない「精霊信仰」があり、

国が成立し始め、大きな国になっていく過程で、「首長霊信仰」が整っていった。

神が、最初から人間や他の生物と異なる「神」だったわけではない。

れっきとした、実在の人物である。この国の基盤を作られた方々が、今「神々」として祀られているのである。

ただ、記紀神話に出てくる神々の系譜には、「複数の歴史的事象が」合わさってできたような神話もあると言う。

たとえば、スサノオノミコト。

「泣きじゃくる姿」、「荒ぶる神」、「英雄の神」、はたまた「優しい好々爺の姿」と、多面性に富むが、それらは、複数の神話が構成されていると指摘する人もいる。すなわち、複数のスサノオノミコトが歴史上いたことになる。

一番最初頃記述した、テレビで「スサノオノミコトのルーツを探る」番組・・・「古代朝鮮と古代出雲の歴史に詳しい韓国の大学教授」が、「3世紀の古代出雲に、スサオと言うシャーマンの男王がいて、この方がおそらくスサノオノミコトではないかと思います。ただ、個人名ではなく、古代出雲では、男王でシャーマンのことを、スサオと呼んだのです」と話していた、その「スサオ」=「古代出雲の男王でシャーマン」が、スサノオノミコトのモデルならば、複数のスサノオノミコトがおられても不思議ではない。

複数おられても、お一人であっても、大切なのは、神を神として、お祀りする、われわれの「心」であると思う。

神々が、神として祀られてから長い時が経ち、仏教、特に密教寺院でも「仏像」として祀られる、いわゆる神仏習合の長い時の間で・・・神々は、もとよりひじょうに強力な神々へと昇華されたのだと、「私論」では思う。

実際、あちこちの社寺巡りをした中で、「雷 (いかづち) 」も「風」も「雨」も自在に操れる神通力をお持ちである印象が強い。われわれ参拝者、信者の「頭の中身」など、すべてお見通しである印象も強い。

だからこそ、この国の礎を築き上げた、「古代の神々」を、尊敬・感謝の念で祀らなければならない。

私が何度も書いた「物見遊山で」は、神仏どちらも、嫌われると思う。

神々の神使 (しんし) は、鳥獣や昆虫ばかりなのは、彼らは弱肉強食の世界の生き物であるが、神仏に対して、また、「生きる」と言うことに対して「純粋」であるからに他ならない。

今の日本では、様々な事象により失った信仰心が、真逆の方向へと向いている。

昔、ある名刹寺院の管長から、「インドの神=天部も、日本の神さんも、人間界の一個上やから、好き嫌いあるぞー」と習った。

私論では、日本の神々は、「純粋無垢な心が好き」で、「傲慢」「驕慢」「物見遊山」「ふざけ半分」「面白半分」的なのが・・・「嫌い」な感じがする。

またまた私論であるが、

「神仏は今でも習合しておられる」。

「宮司・社家・神職」と、「住職・寺族・僧侶」が、別れ別れになった「だけ」である。

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ブッダ と 孔子 と 老子・・・

2022-02-21 17:50:14 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

ブッダと孔子。

諸説あるが、同時代の可能性もある。

前述した通り、共通点は多い。

基本的にはよく似ておられる。

「師」「柔軟な性格」(孔子に関しては、堅物のイメージがあるが、実際は、とても柔らかい性格) 「優秀な弟子が多い」「人々の尊敬を集める」

孔子「己の欲せざる所は人に施すなかれ」=「自分がして欲しくないと思うことは、他人にとっても同じなのだから、他人にすべきではない」

ブッダ「わが身に置き換えて考えてみよ」

孔子「あやまてばすなわあらたむるにはばることかれ」 (過ちを犯したことに気づいたら、体裁や対面などにとらわれず、ただちに改めるべきだ)

ブッダ「あやまちをなしたる時は、自ら悔い、ただちに改めよ」

孔子は、道教の始祖「老子 (子とは先生と言う意味) 」と謁見したと言う話がある。

「老子」は、(老子道徳経) の著者であるとか、複数のモデルがいるとか言われる。

孔子が教えを請うために会いに行った老子 (老聃 ろうたん先生) とは別人物と言う説もある。

中国には、お釈迦様と老子、孔子を祀る寺院が存在する。

懸空寺と言う、断崖絶壁に張り付くようにお堂がある。

ウィキより、

懸空寺(けんくうじ)は、中華人民共和国山西省大同市渾源県永安鎮の恒山金龍峡翠屏峰に位置する寺院。大同市中心部からは南東に約60キロメートルである。5世紀末、北魏後期に造営された、仏教道教儒教の三つを一体化した独特の宗教の寺院。懸空寺の名は「玄空閣」と呼ばれていたことに由来する。「玄」は道教、「空」は仏教の教義に由来し、断崖の途中にぶら下がる(「懸ける」の意味)ように建てられていることから現在の名に改められた。中国語では「懸」と「玄」は同音(拼音xuán)である。

懸空寺には主要な建物が6つあり、これらが木製の桟道で結ばれている。建物内には多くの塑像が置かれているが、三教殿には仏教、道教と儒教の三開祖の釈迦老子孔子の塑像が一堂に並んでおり、稀有な眺めとなっている。」

鳥取県の三仏寺「投入堂」を、もっと大きくしたような感じ。三聖が一緒に祀られていることと、大絶壁に立つ寺院が奇跡である。

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荒陵山勝鬘院愛染堂、四天王寺・・・

2022-02-21 17:47:44 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

121・122社寺目です。

荒陵山勝鬘院愛染堂 (こうりょうざん しょうまんいん あいぜんどう)、と、四天王寺。

2社寺とも、平成10年4月25日御朱印いただいております。

ウィキより、伽藍画像もウィキより、

Aizendo Shomanin Osaka01s5s3200.jpg

勝鬘院(しょうまんいん)は、大阪市天王寺区にある和宗寺院山号は荒陵山。本尊愛染明王で、愛染堂とも呼ばれる。四天王寺別院。西国愛染十七霊場第1番札所、聖徳太子霊跡第29番札所。真言密教勝鬘流根本道場。多宝塔は大阪市内最古の木造建造物である。」

Shitennoji06s3200.jpg中心伽藍金堂講堂五重塔南鐘堂

四天王寺(してんのうじ)は、大阪市天王寺区四天王寺にある和宗の総本山寺院山号は荒陵山(あらはかさん)。本尊救世観音(ぐぜかんのん)。聖徳太子建立七大寺の一つとされている。新西国三十三箇所第1番札所のほか多数の霊場の札所となっている。宗派は天台宗に属していた時期もあったが、元来は特定宗派に偏しない八宗兼学の寺であった[2]。日本仏教の祖とされる「聖徳太子建立の寺」であり、既存の仏教の諸宗派にはこだわらない全仏教的な立場から、1946年昭和21年)に「和宗」の総本山として独立している。」

四天王寺は、元三大師と、弘法大師も祀られる稀有なお寺です。神仏ともに祀られるお寺です。

なんか少し、インドっぽさを感じるところもあります。

ではまた。

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お釈迦様と、父王・・・

2022-02-21 17:47:22 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

現代語佛教聖典 (釈尊篇) 日本仏教文化協会より

ブッダは、多くの弟子等をつれ、べーサーリー城に入り、城外の大林で、この年の雨季を過ごされたが、父のスッドーダナ王が病床にあることを聞き、急ぎカピラ城に還られ、弟のナンダと共に、王の枕辺に立って、病をいたわり法を説き、すべてのものの無常転変の理 (ことわり) を述べられた。王は、苦痛の中にも、教化によって覚醒を得、やがて来るべき日の用意は、全くできた。6日目の夜、王は97歳でこの世を去った。

葬儀の日に、アーナンダ尊者はブッダに、「伯父の棺を私に担がせたまえ」 ラーフラ尊者は「お祖父さまの棺を私に担がせたまえ」と願い出たが、ブッダは共に許されず、後世の範にと、自ら棺を薪の上にのせ、火を点じられた。ブッダの説法により、多くの人は悲しみから脱することができた。

悟りを開き、全き人=ブッダと成られたお釈迦様自ら、父親の葬儀を執り行う点に注目したい。

(昭和33年8月10日 第一版発行)

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