前世・・・過去世はあるのか無いのか・・・
「ある」に決まっている。前世、過去世がなければ、世界中全員同じカオであるはず。同じ身分能力寿命であるはず。
前世、過去世があるから・・・
全ての生物に「生まれの違いが」ある。
人間だけで言えば、
生まれながらに、「貧乏」と「中流」と「金持」があり、
「美男」「ふつう」「不美男」がある。(見た目も違う)
「頭のでき」も、生まれそれぞれ。「頭が良くても勉強できないのも」いるし、「勉強できても、非道徳で道理を知らない」のもいる。
「長生き」「短命」「ふつう」。
「人種の違い」「生まれた国の宗教の違い」。
これらはすべて、過去世の産物 (因縁) なのである。
様々な事象が複雑に絡み合い、「因」が「縁」を呼び、「果 (結果) 」となる。死んだからと言って終わりではない。生前の善悪の業により、来世の生まれ変わる先が決定する。
お釈迦様は、悟りを開かれたとき、自身のすべての過去世を思い出した。今の宇宙期、前の宇宙期、その前の宇宙期まで遡っても、「始まりは無い」。だから、仏教 (真理) では、「無始の昔 (始まりが無い昔) 」と言う。
天眼通を開いたお釈迦様は、ご自身だけでなく、他人の過去世も全て見えた。また、他の生物の過去世も全て見えた。宇宙の誕生、宇宙の破壊 (終焉) 、宇宙の成立破壊も全て見えた。宇宙も転生するのである。
音楽家などはわかりやすい。よく、幼くしてピアノや音楽に天才的な人が歴史上多く出ているが、そういう天才も、前世、前前世と、音楽に没頭していた結果なのである。「ローマは一日にして成らず」である。
曹洞宗開祖「道元禅師」の、「今生に発心せずんば、いずれの時をか待ってか行道すべきや」である。
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