念仏・・・現代では、「南無阿弥陀仏」「南無釈迦牟尼仏」「南無観世音菩薩」「南無不動明王」など、仏に帰依しますと言う言葉を唱えるのが念仏になっているが・・・
本来の「念仏」は、
①お釈迦様のお言葉 (真理の言葉) を、結跏趺坐して瞑想しながら頭の中で唱和するのが「念仏」だったはず。(テレビか何かで見た記憶がある)
それが難しくて、簡単にできる「念仏」が、
②「お釈迦様の御姿を」、瞑想しながら想念するのが「念仏=お釈迦様=仏を念じる」であった。
初期の仏教僧団では、ごく限られた上品 (じょうぼん) の修行僧は、「お釈迦様と同じ=宇宙の真理を体得する=覚醒する」修行をして悟りを開き、
その次の上品の修行僧が、「お釈迦様が説かれた真理を、瞑想しながら頭で悟る」、
中品 (ちゅうぼん) の修行僧は、上記①の瞑想念仏をして、
下品 (げぼん) の修行僧は、上記②の簡易念仏をする。
・・・日本では、奈良仏教 (法相宗) や平安仏教 (天台宗) では、観想念仏が主流であった。
日本天台宗の開祖・伝教大師最澄は、止観 (しかん=坐禅のような行) によって阿弥陀仏と自己の一体を観想する念仏修法を導入した。
これら、観想念仏や、止観による念仏は、お釈迦様時代の「本来の念仏②」に該当すると言えよう。
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