タツノヒノエ

神仏への道-神社仏閣巡りから、古代の神々との出会い

サーリプッタ尊者の入滅・・・

2022-02-25 18:22:02 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

お釈迦様の二大弟子の一人、サーリプッタ尊者 (舎利弗尊者) 。

誰にでも優しく、新米の弟子が眠る場所を得なかったときは、自身のスペースを与え、ご自身は座って眠るようなお方。

「現代語佛教聖典 (釈尊編)」より。

「ブッダがマガダ国におられた時、 サーリプッタは、己の死期が近づいたことを知ったが、未信の母を入信せしめ、生まれた室で死にたいと思い、ブッダの許しを乞うた。

ブッダは、「汝の如き弟子は得難い。弟子らのために最後の法を説け」と命じた。サーリプッタは命に従い、「一切の諸行が無常である。一切は苦である。また一切は無我である。ただ涅槃のみは、常恒であり、寂静である。」と説法したのち、「私は重荷を下ろした人の如く、七日の間に、安らかにこの世を去るでありましょう。これがこの世において、世尊にささげる最後の礼拝であります」と言って恭しく拝んで、ブッダの許を去った。

故郷に帰ったサーリプッタは、母に法を説き、母の起信を見て、母に恩に報いることができましたと告げ、チャンナを呼んで、時を聞いた。

「暁が近づいています」

サーリプッタは、身を起こし、弟子らに御礼と別れの挨拶をし、

いざ我滅度に入らん。われは、あまねく身心の自由を得たり

満月の光、清き夕、母のもとに帰ったサーリプッタは、生まれた室に入って臥した。夜中、彼は、激しい苦痛に襲われたが、暁近い頃、右脇を下にし、静かに入滅した。七日の後、荼毘に付したが、アヌルッダは、香水をもって火を消し、チャンナは、恭しく遺骨を集めて、衣鉢と共にブッダのもとに持ち帰った。

アーナンダは、涙にむせびながら、「この日、四方暗し」と嘆き、ブッダの前に進み出た。

ブッダは、

「弟子らよ、賢い法の子の遺骨を見よ」と右の掌にのせて、弟子らに示された。

ブッダは、サーリプッタのために、舎利塔を建立された。

昭和33年8月10日 第一版発行 日本仏教文化協会

・・・・・


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

永平寺・・・

2022-02-25 17:40:17 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

127社寺目です。

曹洞宗大本山「永平寺 (えいへいじ) 」。

平成10年7月18日御朱印いただいております。

成田山福井別院・九頭龍寺に参拝した後行きました。

門前町にまで、「龍王の気」のような、「神気」がほとばしっていたのを覚えています。

ウィキより、伽藍画像もウィキより、

Eihei-ji Temple Chokushimon, Eiheiji-cho 2013.jpg大光明蔵法堂傘松閣

永平寺(えいへいじ)は、福井県吉田郡永平寺町にある曹洞宗仏教寺院總持寺と並ぶ日本曹洞宗の中心寺院(大本山)である。山号を吉祥山と称し、開山道元本尊釈迦如来弥勒仏阿弥陀如来の三世仏である。寺紋は久我山竜胆紋(久我竜胆紋・久我竜胆車紋)。」

曹洞宗では、陀羅尼 (長い真言) を唱えますが、三祖か四祖が四国で禅を布教した際、真言僧から、真言と陀羅尼を習ったのが始まりだと・・・曹洞宗の方丈 (ほうじょう。和尚のこと) から教わりました。

曹洞宗の宗祖「道元禅師」が修行した中国の禅寺、天童寺。

ウィキより、

天童寺(てんどうじ)は、「天童禅寺」とも呼ばれ、「東南佛国」とも称される、著名な禅宗の寺院である。禅宗五山の第二に列されている。浙江省寧波市鄞州区にあり、太白山の麓に位置し、山に依り、水に臨む、勝景の地にある。天童寺と日本の仏教の関係は深く、日本の曹洞宗は、天童寺を祖庭としている。」

天童寺での修行中、道元禅師は「身心脱落 (しんじんだつらく・しんじんとつらく) 」して開悟。

この天童寺、20年以上前ですが、偶然参拝したことがあります。

御守買いました。

聖観世音菩薩の金カード守護符。箱入り。

手に取った瞬間、「御縁」を感じて購入しました。

中国の寺院は、道教の神の一人「関羽さん (三国志の) 」を守護神として祀る寺院が多いです。

ではまた。

・・・・・

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする