お釈迦様の二大弟子の一人、サーリプッタ尊者 (舎利弗尊者) 。
誰にでも優しく、新米の弟子が眠る場所を得なかったときは、自身のスペースを与え、ご自身は座って眠るようなお方。
「現代語佛教聖典 (釈尊編)」より。
「ブッダがマガダ国におられた時、 サーリプッタは、己の死期が近づいたことを知ったが、未信の母を入信せしめ、生まれた室で死にたいと思い、ブッダの許しを乞うた。
ブッダは、「汝の如き弟子は得難い。弟子らのために最後の法を説け」と命じた。サーリプッタは命に従い、「一切の諸行が無常である。一切は苦である。また一切は無我である。ただ涅槃のみは、常恒であり、寂静である。」と説法したのち、「私は重荷を下ろした人の如く、七日の間に、安らかにこの世を去るでありましょう。これがこの世において、世尊にささげる最後の礼拝であります」と言って恭しく拝んで、ブッダの許を去った。
故郷に帰ったサーリプッタは、母に法を説き、母の起信を見て、母に恩に報いることができましたと告げ、チャンナを呼んで、時を聞いた。
「暁が近づいています」
サーリプッタは、身を起こし、弟子らに御礼と別れの挨拶をし、
「いざ我滅度に入らん。われは、あまねく身心の自由を得たり」
満月の光、清き夕、母のもとに帰ったサーリプッタは、生まれた室に入って臥した。夜中、彼は、激しい苦痛に襲われたが、暁近い頃、右脇を下にし、静かに入滅した。七日の後、荼毘に付したが、アヌルッダは、香水をもって火を消し、チャンナは、恭しく遺骨を集めて、衣鉢と共にブッダのもとに持ち帰った。
アーナンダは、涙にむせびながら、「この日、四方暗し」と嘆き、ブッダの前に進み出た。
ブッダは、
「弟子らよ、賢い法の子の遺骨を見よ」と右の掌にのせて、弟子らに示された。
ブッダは、サーリプッタのために、舎利塔を建立された。
昭和33年8月10日 第一版発行 日本仏教文化協会
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