タツノヒノエ

神仏への道-神社仏閣巡りから、古代の神々との出会い

天狗さん・・・

2022-02-09 18:22:44 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

天狗さん・・・修験道の仏神。

詳しくは知りませんが、

「肉体を持ったまま」天狗になる者、

「死後」、天狗になる者、

あるみたいです。

天狗には、

「護法天狗」(神仏に仕える、神仏を守る、良い天狗) と、

「外法天狗 (げほうてんぐ) 」(人々に障りを成す悪い天狗) と、

あるみたいです。

天狗の精霊神は見たことはありませんが、

「尊像」でなら、

「護法」「外法」いずれも見たことがあります。(詳細は割愛)

「外法」と書いてあるわけではないですが、

わかります。

「護法」さんは、御姿は厳つく怖くても、「頼りがいがある」雰囲気が出ている。

「外法」と思われる尊像は、「見た瞬間、怖い」。

天狗像の中に「違うモノが入っている」と感じる。

数で言えば、「外法」の方がだいぶ多い。(悪い方の天狗が多い)

ただ、いずれにしろ、霊山では色々厳しい神仏のルールがあるみたいです。

霊山の「石」「草木」「物」など、霊山神仏の所有物を持って帰ってはいけない。

私は、僧侶兼修験者に、「この石きれいなんで、持って帰っていいですかね?」と聞き、「ああ、ええよー」と許可を得たので石2つ持って帰ったのですが、あとあと、大昔の説話集で「神仏霊山の、石、草木、物は絶対に持って帰ってはいけない」と言う件を読んで、

お玉串と謝罪の文を添えて、その霊山を統括する神社に「石を」お送りしました。

神職からあいさつ文と、受け取った了解と、お土産のお皿と御神札をお送りいただきました。

霊山は今は登山道が整備され、国立・国定公園になってますが、

毎年、滑落・遭難ほか事故があります。

そのことをよくよく考えてみてください。

ちなみに、「高野山」にも天狗伝説はあります。

「毘張尊師 (びちょうそんじ)」。

「覚海大徳」

奥之院には「高林坊」。

強い護法天狗さんたちです。

どなたか名前忘れましたが、昔、高野山教報に載っていた天狗伝説で、大火災から高野山の寺々を守るために、自らの「不死の命」を捨てて守り抜いた天狗様もおられたそうです。

火事は風向きが変わり、高野山の寺々は守られた後、「一枚の大きな金色の羽」が落ちていたのだとか。

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三佛寺の「投入堂」・・・

2022-02-09 18:22:21 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

前述の三佛寺。

国宝「投入堂」

ウィキより、伽藍画像もウィキより、

Sanbutsu-ji, nageiredou-1-1.jpg

投入堂(なげいれどう)は、鳥取県東伯郡三朝町にある木造建築物三佛寺の奥院として、三徳山北側中腹の断崖絶壁の窪みの中に建造された懸造仏堂で、平安時代密教建築の数少ない現存遺例である[1]

日本建築史上、他に例を見ない特異な建造物であるとともに、屋根の軽快な反り、堂を支える長短さまざまな柱の構成など、建築美の観点からも優れた作品であり、日本国宝に指定されているが、険しい登山道(行者道)を登った先の、文字通り絶壁の中に建ち、その上方は岩壁がオーバーハングしている。「日本一危険な国宝」の異名をとり[2]、参拝者は堂を斜め上方に見上げる地点までは立ち入ることが出来るが、崖を登って近付くことは滑落事故が発生する恐れがあるため、原則として禁止されている。」

何度行っても、

「どうやって作ったのか?」と、誰しも思う景観です。

現代の建築工法でも難しいのではと思います。

四国の石鎚山もそうですが、

修験の霊地には、

「奇跡」としか思えないことが多くあるのも事実です。

修験道は、明治に「修験道禁止令」が法律で定められ、大打撃を受けました。

今は復活してますが、往時とは比べ物になりません。

霊山霊地は、明治以降、国立・国定公園にされ、信仰登山は限られたところだけです。

客観的に見て、修験道には、「良い点」「悪い点」両方あります。

まず、「悪い点」は、インチキ・拝み屋・カルト系宗教なども混じっている。

「良い点」は、「裏心無しで」修行すると、これほど優れた信仰形態は無いとも言える。

(裏心・・・神通力を得たい、成功したい、宗教団体を作りたい など)

また、修験道は、日本の古代の神々の、「最大の防護壁」であったと推察します。

明治の「神仏分離」から「廃仏毀釈」で打撃を一番受けたのが、

「真言宗」「天台宗」の密教勢、そして「修験道禁止令」で最も打撃を受けたのが、「修験道」。

私論ですが、すなわち、「日本の神々」の守護的立場であった「真言宗」「天台宗」が打撃を受け、さらに、最大の防護壁と思える修験道が、わざわざ「修験道禁止令」で大打撃を受けた・・・と言うのが事実だと思います。

結果、日本の神々の威神力が弱くなり、本来、「右などでは無い」神道が、「右寄りにイメチェンされ」、今日に至っています。

私が2018年5月、真言宗の某寺院にて、日本の古代の神々「美しい女神と男神」の「生の御神霊」を拝謁してから受け取ったメッセージは、

「神仏習合が」一番正しい道。(今、神々の絵を制作している途中です。そっくりになれば、アップします)

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三佛寺・・・

2022-02-09 17:52:08 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

93・94・95・96社寺目です。

「三徳山 三佛寺」。

塔頭も合わせて、平成9年5月4日御朱印いただいております。

この日は、鳥取県を集中して回ったみたいです。

よく、観音院・大雲院・摩尼寺・・・三仏寺と回れたと思います。

それぞれ雰囲気は違いますが、すべて天台宗です。

三徳山 三仏寺。

ウィキより、伽藍画像もウィキより、

Sanbutsu-ji, hondou.jpgSanbutsu-ji, nageiredou-2-1.jpg三徳山入口の鳥居

三佛寺(さんぶつじ・三仏寺の表記もあり)は、鳥取県東伯郡三朝町にある天台宗仏教寺院。山号は三徳山(みとくさん)。国宝投入堂を有する。

開山は慶雲3年(706年)に役行者修験道の行場として開いたとされ、その後、慈覚大師円仁により嘉祥2年(849年)に本尊釈迦如来阿弥陀如来大日如来の三仏が安置されたとされる[1]

鳥取県のほぼ中央に位置する三徳山(標高900m)に境内を持ち、古くは山全体を境内としていた山岳寺院である。中腹の標高470mにある投入堂(なげいれどう)の通称で広く知られる奥院の建物は、垂直に切り立った絶壁の窪みに建てられた他に類を見ない建築物で、国宝に指定されている。また、三徳山は昭和9年(1934年7月7日に国の史跡及び名勝に指定された。」

「金剛蔵王権現」が有名です。

本家・吉野蔵王堂の蔵王権現様は、体格のごつい巨像三体。石鎚の寺々で祀られる「石鎚金剛蔵王大権現」も、けっこう厳しい表情。

この三佛寺の金剛蔵王権現さまは、意外と細い御尊像で、どこか優美さがありますね。

投入堂への登山は、現在「雪のため」登山禁止みたいです。

登山できるシーズンでも、「物見遊山の登山」は厳禁です。

投入堂付近は、過去に何人も死んでいます。

ルールを守らない人が滑落して死ぬのです。

明治以降、いくら国立国定公園に「された」と言っても、

神仏の「霊山」は、「信仰登山」以外はやめましょう。

「日本三百名山ひと筆書きグレートトラバース」の田中陽希さん、100名山とかの時は、まだそうでもなかったですが、回を重ねるごとに、霊山への畏怖と尊敬が深まっていったみたいで、鳥居くぐるとき一礼、最後の登頂時には、頂上の御社にまず御礼と感謝を伝えてから、観想を述べるスタイルに変わっていきました。

時代がどんなに変わっていっても、霊山は「神 仏 のおわす山」であることを忘れてはいけません。

そういう意味で、田中陽希さんは若いのに偉いなと思って観ていました。

塔頭も御朱印いただいております。

霊地・摩尼寺とはまた違う雰囲気の、三徳山。

神仏の霊気が厳かに鎮まっていました・・・。

上記御朱印、「金剛蔵王大権現」の仏画も御朱印になっています。

ではまた。

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