この土曜日にテレ朝で放映された『祇園囃子』。倉本聡脚本だと聞いて、大いに期待しておりました。
何せ倉本とくれば、ゴウ先生にとっては、『北の国から』の作者ではありません。高倉健さんの最高傑作『駅STATION』の脚本家なのですから。
しかも倉本+石原プロとくれば、20年以上前に創られた名作ドラマ『大都会』の組み合わせでもあります。石原裕次郎健在の頃、映画俳優渡哲也と松田優作ががっぷり四つに組んで素晴らしい刑事ドラマを見せてくれた記憶が蘇ります。
これで期待しなければ、邦画ファンだとは言えません。
しかし、結論から言えば、そこそこ面白くはありましたが、古くからの倉本ファンには欲求不満がたまるドラマとなってしまいました。
出演陣が悪いとは思いません。確かに、舘ひろしの場合、この間の『積木くずし真相』の方が見ごたえある演技をしていましたが、十分に期待値をクリアしていましたし、渡哲也も徳重聡も平均以上の演技でした。
(それにしても、倉本は同じ名前を別の作品で使うのが好きなのですが、舘の役名が「五郎」はないでしょう。さすがに苗字は「黒板」ではなくて、「入江」ではあるのですが・・・。)
問題は、脚本です。伏線に伏線が絡み合う重厚な大人のサスペンス・ドラマを期待していたら、単に隠し子と再会するだけの人情ドラマで終わってしまったのでした。これならば、渡をアメリカ国防省の要人とする設定など大して意味がなかった気がします。
そこで、特に脚本が破綻していると思われる2点を指摘させてもらいます。
第一に、渡哲也の息子の問題です。渡は25年前に死んだことになっている北山秀彦という男を演じます。しかし実はその時死んではおらず、ジョージ白州という日系三世になってアメリカ国防省で働くことになります。そしてアメリカに渡ってアメリカ女性と結婚して息子が一人出来たというのです。
ここまではよしとしましょう。問題は、「息子は湾岸戦争で死んだ」という北山のセリフがあることです。
北山がジョージ白州になってすぐに結婚して息子ができたとします。もしドラマの設定が2005年を基準にしているとすれば、1981年か82年に息子は生まれたことになります。そして、湾岸戦争は1991年のこと。つまり、10歳かそこらで「湾岸戦争で死んだ」ことになるのです!そんな、バカな!
この矛盾を解決するためには、ドラマの設定が1992、3年だと理解するか、北山の息子が結婚したアメリカ人女性の連れ子で1991年当時には20歳前後にはなっていると思うかのどちらかでしょう。
ところが、両方ともこのドラマの場合は機能しそうにもありません。
前者に関して言えば、入江五郎(舘ひろし)がジョージ白州を北山秀彦だと気づくキッカケとなる写真は3年前にイラクのバクダッドでテロ攻撃を受けた際の写真です。しかし、湾岸戦争前後にアメリカの国防省の要人がバクダッドに乗り込めるのは無理がある気がします。
後者に関しても、もし戦死した息子が実子でないとすれば、北山が心情を吐露するセリフが途中あるのですが、辻褄の会わないことになってしまいます。入江と会った北山が、自分は変わったという時に、「泣けない男になってしまった」と言うのです。その際に、「実の母が死んだことを知った時も泣けなかった。息子が死んだ時も泣けなかった」と言うのですが、この息子が実子でなければ、そのセリフの真実味が薄れるのではないでしょうか!
というわけで、倉本は実に初歩的な計算ミスをした気がするのです。
2番目の破綻も計算ミスのような気がします。
北山としのぶの間にできた子供が秀子(藤原紀香)です。25年前に妊娠していたのですから、秀子は現在24歳だと推定できます。
藤原が24歳の秀子を演じることに無理があるとは、思っていても、言いません。しかし、途中本当かなあと思うセリフが飛び出すのです。
秀子は、いま現在フランス語の同時通訳として働いています。その語学力をどこで身につけたかといえば、パリに絵を勉強しに行っていたからだというのです。
しかし、彼女はパリ時代の友人原田玲央(木村多英)と会ったときに、「5年前に帰国した」と言います。そしてその理由は「妊娠した子供を堕すために」と言うのです。
だとすれば、19歳の時に秀子は傷心のまま帰国したことになります。それならば、同時通訳になるのに必要な語学力をいつ身につけたのでしょう?高卒で行ったとしたら、パリに1年いるかいないかで日本に戻ったことになります。その程度の滞在で後に同時通訳ができるようになる基礎力が身につけられるでしょうか?
もっと長くパリにいたとすれば、高校あたりからすでにフランスへ渡っていたのでしょうか?大学とかには行かなかったのでしょうか?さらには、大学の学位がなくて、国際会議の同時通訳をさせてくれるのでしょうか?
謎だらけです。
というわけで、本当に祇園囃子を視聴者の胸に響かせるためには、もう少し細部に神経を注いだ脚本が必要でした。重量級の出演者に頼りきるのではなく、脚本の力で感動させて欲しかったと思うのです。
まだまだ老け込む歳ではないはず。倉本には次回作における挽回を期待したいものです。
何せ倉本とくれば、ゴウ先生にとっては、『北の国から』の作者ではありません。高倉健さんの最高傑作『駅STATION』の脚本家なのですから。
しかも倉本+石原プロとくれば、20年以上前に創られた名作ドラマ『大都会』の組み合わせでもあります。石原裕次郎健在の頃、映画俳優渡哲也と松田優作ががっぷり四つに組んで素晴らしい刑事ドラマを見せてくれた記憶が蘇ります。
これで期待しなければ、邦画ファンだとは言えません。
しかし、結論から言えば、そこそこ面白くはありましたが、古くからの倉本ファンには欲求不満がたまるドラマとなってしまいました。
出演陣が悪いとは思いません。確かに、舘ひろしの場合、この間の『積木くずし真相』の方が見ごたえある演技をしていましたが、十分に期待値をクリアしていましたし、渡哲也も徳重聡も平均以上の演技でした。
(それにしても、倉本は同じ名前を別の作品で使うのが好きなのですが、舘の役名が「五郎」はないでしょう。さすがに苗字は「黒板」ではなくて、「入江」ではあるのですが・・・。)
問題は、脚本です。伏線に伏線が絡み合う重厚な大人のサスペンス・ドラマを期待していたら、単に隠し子と再会するだけの人情ドラマで終わってしまったのでした。これならば、渡をアメリカ国防省の要人とする設定など大して意味がなかった気がします。
そこで、特に脚本が破綻していると思われる2点を指摘させてもらいます。
第一に、渡哲也の息子の問題です。渡は25年前に死んだことになっている北山秀彦という男を演じます。しかし実はその時死んではおらず、ジョージ白州という日系三世になってアメリカ国防省で働くことになります。そしてアメリカに渡ってアメリカ女性と結婚して息子が一人出来たというのです。
ここまではよしとしましょう。問題は、「息子は湾岸戦争で死んだ」という北山のセリフがあることです。
北山がジョージ白州になってすぐに結婚して息子ができたとします。もしドラマの設定が2005年を基準にしているとすれば、1981年か82年に息子は生まれたことになります。そして、湾岸戦争は1991年のこと。つまり、10歳かそこらで「湾岸戦争で死んだ」ことになるのです!そんな、バカな!
この矛盾を解決するためには、ドラマの設定が1992、3年だと理解するか、北山の息子が結婚したアメリカ人女性の連れ子で1991年当時には20歳前後にはなっていると思うかのどちらかでしょう。
ところが、両方ともこのドラマの場合は機能しそうにもありません。
前者に関して言えば、入江五郎(舘ひろし)がジョージ白州を北山秀彦だと気づくキッカケとなる写真は3年前にイラクのバクダッドでテロ攻撃を受けた際の写真です。しかし、湾岸戦争前後にアメリカの国防省の要人がバクダッドに乗り込めるのは無理がある気がします。
後者に関しても、もし戦死した息子が実子でないとすれば、北山が心情を吐露するセリフが途中あるのですが、辻褄の会わないことになってしまいます。入江と会った北山が、自分は変わったという時に、「泣けない男になってしまった」と言うのです。その際に、「実の母が死んだことを知った時も泣けなかった。息子が死んだ時も泣けなかった」と言うのですが、この息子が実子でなければ、そのセリフの真実味が薄れるのではないでしょうか!
というわけで、倉本は実に初歩的な計算ミスをした気がするのです。
2番目の破綻も計算ミスのような気がします。
北山としのぶの間にできた子供が秀子(藤原紀香)です。25年前に妊娠していたのですから、秀子は現在24歳だと推定できます。
藤原が24歳の秀子を演じることに無理があるとは、思っていても、言いません。しかし、途中本当かなあと思うセリフが飛び出すのです。
秀子は、いま現在フランス語の同時通訳として働いています。その語学力をどこで身につけたかといえば、パリに絵を勉強しに行っていたからだというのです。
しかし、彼女はパリ時代の友人原田玲央(木村多英)と会ったときに、「5年前に帰国した」と言います。そしてその理由は「妊娠した子供を堕すために」と言うのです。
だとすれば、19歳の時に秀子は傷心のまま帰国したことになります。それならば、同時通訳になるのに必要な語学力をいつ身につけたのでしょう?高卒で行ったとしたら、パリに1年いるかいないかで日本に戻ったことになります。その程度の滞在で後に同時通訳ができるようになる基礎力が身につけられるでしょうか?
もっと長くパリにいたとすれば、高校あたりからすでにフランスへ渡っていたのでしょうか?大学とかには行かなかったのでしょうか?さらには、大学の学位がなくて、国際会議の同時通訳をさせてくれるのでしょうか?
謎だらけです。
というわけで、本当に祇園囃子を視聴者の胸に響かせるためには、もう少し細部に神経を注いだ脚本が必要でした。重量級の出演者に頼りきるのではなく、脚本の力で感動させて欲しかったと思うのです。
まだまだ老け込む歳ではないはず。倉本には次回作における挽回を期待したいものです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます