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大阪松竹座で平知盛を演じる仁左衛門を観たかった

2019年07月04日 05時12分47秒 | 歌舞伎

ああ、観に行きたい!

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ニザ様「動けなくなっても…でもね」悲劇の武将役で深み
朝日新聞 2019年6月29日16時00分

 7月、大阪・道頓堀の大阪松竹座で、関西で歌舞伎を盛んにしようと結成された、民間団体「関西・歌舞伎を愛する会」の40周年記念公演が行われる。会が後押しする形の公演が初開催されたのは、1979年。その頃、関西の歌舞伎興行は低迷していた。40周年を「感無量」と語る片岡仁左衛門に、今回の舞台にかける思いを聞いた。

 仁左衛門は昼の部、名作「義経千本桜」の「渡海屋(とかいや)・大物浦(だいもつのうら)」で、悲劇の武将・知盛(とももり)を演じる。「いかに、戦いというものが空しいか。今読むと、反戦の狂言(演目)にも思える」

 西海の合戦で死んだはずの平知盛は、ひそかに生き延び、船問屋の主人に身をやつし、幼い安徳帝や典侍(すけ)の局(片岡孝太郎)と共に報復の機会を狙っている。兄・頼朝との対決を避けて都を離れ、九州を目指す義経(尾上菊之助)一行を襲うが、返り討ちにあう。

 重傷を負った知盛に対し、義経に保護された安徳帝は「恨みに思うな」と声をかける。「源氏への怨念に燃えていた知盛が、子どもに諭された瞬間、憑(つ)きものが落ちたように普通の人間に返って、大切な帝に苦しい思いをさせたというつらさを語る。今まで戦ってきた哀れが全部出てくるところが、好きですねえ」

 初めて演じたのは、15年前人物としての「大きさ」が印象的だった二代目尾上松緑、文楽の型も採り入れていた実川延若、2人の先輩を参考にしつつ、自分なりの演じ方を練った。

 以来上演を重ね、今回が5度目となる。「初演は、とにかくがむしゃらでした。演じているうち、せりふ回しも、どんどん変わっています。台本を読み返すと、発見もありますしね」

 今年に入り、東京・歌舞伎座で3月に「盛綱陣屋」、4月に「実盛物語」と時代物の大役を続けて演じた。75歳を迎え、その舞台はますます華やぐばかりだが、「ここのところやっている役は体力がないと、ちょっとつらい。動けなくなっても、芸で楽しんで頂ける部分もあるのですけれど、その割合がね。体が動く間にやっておきたい」。

 知盛も、よろい姿での立ち回り、碇(いかり)を持ち上げて仰向けに海へと飛び込む最期――と、やはり体力を必要とする役。「関西では、今回が最後になると思います。若い人にも、見ておいてほしいという気持ちもありますし、その意気込みで務めさせて頂くものです」

 「義経千本桜」のように古典と言われる作品でも、「最近のお客様に分かって頂ける」ようにと、台本をカットすることもある。ただ「何でもありではいけない。最近増えていますけれど……」。大事なことは「歌舞伎の色を崩さずに訴えていく」ことだという。

 それでは「守るべき『歌舞伎』とは、何か?」。そう問いかけると、「それが説明できないの。先輩方に教えられ、自分の体にしみこんで、私がやっているのが『歌舞伎』ですね」。

 子どもの頃、大阪でも、千日前にあった大阪歌舞伎座、道頓堀にあった中座で同時に歌舞伎が上演され、観客でにぎわった。近年の歌舞伎人気を「うれしい」としつつも「関西での公演回数は、まだまだ東京から比べれば少ない。せめて(1年のうち)半年は、大阪・京都で安心して(公演を)打てるようになるのが目標」と語る。「自分としては、与えられたことを一生懸命努力して、今のお客様の心に訴えられるよう研究するだけ。役者は、それしかないんですよ」

     ◇

(中略)

上方らしい作品や型、残して

 「歌舞伎」とうたうと、客がそっぽを向く――。興行関係者がそう漏らしたというほど、1960年代、関西の歌舞伎は低迷した。

 戦前は、柔らかみのある芸・和事のほか、早変わりなどのケレンが得意な俳優たちが活躍。その頃を知る演出家・山田庄一氏は「悲しい物語を演じていても、お芝居の『楽しい』雰囲気があった」と懐かしむ。しかし戦後、長老が相次ぎ死去。大阪経済の地盤沈下、観客の好みの変化や人気俳優の映画界への転身が重なり、公演数は激減した。

 打開を目指した動きの一つが、62年、現仁左衛門の父・十三代目仁左衛門が赤字覚悟で始めた、自主公演「仁左衛門歌舞伎」だ。十三代目は当時の思いを「この機を逸したら、もう、それこそ再び大阪では芝居はできまい。そうすれば役者としての自分の命も、もうこれまでだ」(『役者七十年』)と後に記している。

 上方らしい演目や演出、物語の筋を通す上演形式を重視した公演は盛況。現仁左衛門が第3回で演じた「女殺油地獄」の与兵衛は、出世役となる。67年に幕を閉じたが、熱気は復興の礎に。79年に始まった「育てる会」の公演は夏の風物詩として定着した。

 近年、関西での公演は年間5カ月程度あるが、東京に比べ、若手花形が少ないなど課題もある。山田氏は「上方ならではの作品や型を、きっちり残していってほしい」と話す。(増田愛子)

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仁左衛門の大ファンです。しかし、最近は、諸事情によりその芝居を見物できずにいます。2年前の歌舞伎座での『渡海屋・大物浦』も見逃しています。

今回、大阪に行こうかとおもっていましたが、それもできませんでした。来年こそは、行けるように精進します。


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