2005年3月26日(土)の定期上映会の報告です。現在INDECではアカデミー最優秀作品賞受賞映画特集を組んでいることもあって、この第43回(1970年度)受賞作品を選びました。
この映画を語る時には時代背景が問題にされることが多いようです。主役のジョージ・C・スコットがアカデミー最優秀主演男優賞を辞退したことを象徴的に用いて、ヴェトナム戦争末期のアメリカの行き詰った状況を第二次世界大戦の伝説の将軍を語ることによって描きたかったという解釈です。
脚本が『地獄の黙示録』のフランシス・フォード・コッポラですから、なおのことそう理解したくなります。マーロン・ブランドが演じたカーツ大佐とジョージ・C・スコット演じるジョージ・パットン中将とをダブらせようとするのはカッコイイ解釈のように見えますから。
どちらも自分の非凡なる才能を信じた結果、アメリカ陸軍の全体の規律からはみ出しがちになります。パットンの場合には、その武勲たるや彼の右に出る人間はただの一人もいないにも関わらず、彼の独断専行ぶりが当時のヨーロッパの連合国軍総司令官アイゼンハワーから疎んじられ、かつての部下の下で働くはめになるのです。そして、戦争が終わると、軍人としてしか生きられないパットンの居場所はもはや平和なヨーロッパにはありませんでした。
しかしこうした解釈は間違いだとは言いませんが、何やらこじつけのような気もしないではありません。このような型破りの人物はいつの時代にも存在するものでしょうから。取り立ててヴェトナム戦争だから、コッポラが脚本を書いたからといって特別な偏見をこの映画の鑑賞に持ち込むのは決して好ましい態度だとは言えません。
そうして映画そのものを見ようとした時に、もう一つ不要な先入観を与える邪魔者があることに気づきます。日本語のタイトル『パットン大戦車軍団』です。これそのものが観客に余計な先入観を持たせるという意味で決してよろしくない題名だと考えるのです。
原題は、『パットン(Patton)』。つまり将軍のラスト・ネームがそのままタイトルに使われてあくまでこの映画がパットン本人を描くぞと宣言しているのに対し、邦題は彼が率いた戦車部隊が主人公のような印象を与えています。
しかし、どう見てもこの映画は、1942年から1945年までのわずか4年弱の間に展開するベテラン将軍の生き様を描く映画です。彼の部隊、ひいてはアメリカ軍や連合国軍がどのようにしていたかというのは副次的な関心事にしかなっていません。あくまでパットン個人の目から見た第二次世界大戦がどのようなものかが語られているだけなのです。
それゆえ、この映画にはアイゼンハワーもヒトラーも登場しません。製作者たちが、こういう歴史上の人物たちは戦闘そのものにロマンを感じるパットン自身にとって何の意味もない、と判断したからです。パットンは自分自身の戦争を闘っているだけだと言いたいのですから。
パットンは、映画の冒頭彼自身が星条旗を背景に演説する時に語る「負けるのが死ぬほど嫌いなアメリカ軍人」そのものなのです。そんな戦争するために生まれてきた才能は、戦争を極度に複雑な外交手段として使いたい現代政治家もしくは現代軍政家の考えることを到底受け入れることはできません。
時代に取り残された将軍の孤独さがエンディングで強調されるのも、まさに第二次世界大戦が個人の戦闘から集団の戦争へと変化していくことと無関係ではありません。
そういう視点からアカデミー最優秀作品受賞作を見てみると、今年までの77の受賞作品のうち15の作品が主人公の名前を題名に掲げます(巻末参照)。そのうち邦題で操作されたのは、『パットン大戦車軍団』以外では、第31回『恋の手ほどき(Gigi)』(1958年)と第36回『トム・ジョーンズの華麗な冒険(Tom Jones)』(1963年)のたった2つしかないのです。しかし、後者は有名な英文学の小説を映画化したもので、日本ではこの邦題で読まれていましたから、致し方ありません。
つまり『ロッキー』や『ガンジー』に代表されるように、タイトル・ロールは本来華々しく取り扱われるはずなのに、そうならないこの映画に製作者たちの正しい歴史認識が反映されているのです。
もうそろそろ、あれこれ偏見から離れて映画そのものを虚心坦懐に楽しませてくれる環境をくれと申し上げたくなります。特に戦争映画は。
(とはいえ、だからと言って何でも原題をカタカナにしてしまう風潮には大反対のゴウ先生です。『ナショナル・トレジャー』に『アビエイター』はないだろうと思ってます。)
ゴウ先生ランキング:A-
DVDの画質・音質は驚くほどレストアされたもので、映像もきれいなシネマスコープですし、サラウンド感も十分にあります。大画面で楽しみたくなる良質のDVDです。
参考:主人公の名前を原題にしたアカデミー最優秀作品受賞作品
第67回 1994 フォレスト・ガンプ/一期一会 (Forrest Gump)
第57回 1984 アマデウス (Amadeus)
第55回 1982 ガンジー (Gandhi)
第50回 1977 アニー・ホール (Annie Hall)
第49回 1976 ロッキー (Rocky)
第43回 1970 パットン大戦車軍団 (Patton)
第41回 1968 オリバー! (Oliver!)
第36回 1963 トム・ジョーンズの華麗な冒険 (Tom Jones)
第35回 1962 アラビアのロレンス(Lawrence of Arabia)
第32回 1959 ベン・ハー (Ben-Hur)
第31回 1958 恋の手ほどき (Gigi)
第28回 1955 マーティ (Marty)
第21回 1948 ハムレット (Hamlet)
第15回 1942 ミニヴァー夫人 (Mrs. Miniver)
第13回 1940 レベッカ (Rebecca)
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この映画を語る時には時代背景が問題にされることが多いようです。主役のジョージ・C・スコットがアカデミー最優秀主演男優賞を辞退したことを象徴的に用いて、ヴェトナム戦争末期のアメリカの行き詰った状況を第二次世界大戦の伝説の将軍を語ることによって描きたかったという解釈です。
脚本が『地獄の黙示録』のフランシス・フォード・コッポラですから、なおのことそう理解したくなります。マーロン・ブランドが演じたカーツ大佐とジョージ・C・スコット演じるジョージ・パットン中将とをダブらせようとするのはカッコイイ解釈のように見えますから。
どちらも自分の非凡なる才能を信じた結果、アメリカ陸軍の全体の規律からはみ出しがちになります。パットンの場合には、その武勲たるや彼の右に出る人間はただの一人もいないにも関わらず、彼の独断専行ぶりが当時のヨーロッパの連合国軍総司令官アイゼンハワーから疎んじられ、かつての部下の下で働くはめになるのです。そして、戦争が終わると、軍人としてしか生きられないパットンの居場所はもはや平和なヨーロッパにはありませんでした。
しかしこうした解釈は間違いだとは言いませんが、何やらこじつけのような気もしないではありません。このような型破りの人物はいつの時代にも存在するものでしょうから。取り立ててヴェトナム戦争だから、コッポラが脚本を書いたからといって特別な偏見をこの映画の鑑賞に持ち込むのは決して好ましい態度だとは言えません。
そうして映画そのものを見ようとした時に、もう一つ不要な先入観を与える邪魔者があることに気づきます。日本語のタイトル『パットン大戦車軍団』です。これそのものが観客に余計な先入観を持たせるという意味で決してよろしくない題名だと考えるのです。
原題は、『パットン(Patton)』。つまり将軍のラスト・ネームがそのままタイトルに使われてあくまでこの映画がパットン本人を描くぞと宣言しているのに対し、邦題は彼が率いた戦車部隊が主人公のような印象を与えています。
しかし、どう見てもこの映画は、1942年から1945年までのわずか4年弱の間に展開するベテラン将軍の生き様を描く映画です。彼の部隊、ひいてはアメリカ軍や連合国軍がどのようにしていたかというのは副次的な関心事にしかなっていません。あくまでパットン個人の目から見た第二次世界大戦がどのようなものかが語られているだけなのです。
それゆえ、この映画にはアイゼンハワーもヒトラーも登場しません。製作者たちが、こういう歴史上の人物たちは戦闘そのものにロマンを感じるパットン自身にとって何の意味もない、と判断したからです。パットンは自分自身の戦争を闘っているだけだと言いたいのですから。
パットンは、映画の冒頭彼自身が星条旗を背景に演説する時に語る「負けるのが死ぬほど嫌いなアメリカ軍人」そのものなのです。そんな戦争するために生まれてきた才能は、戦争を極度に複雑な外交手段として使いたい現代政治家もしくは現代軍政家の考えることを到底受け入れることはできません。
時代に取り残された将軍の孤独さがエンディングで強調されるのも、まさに第二次世界大戦が個人の戦闘から集団の戦争へと変化していくことと無関係ではありません。
そういう視点からアカデミー最優秀作品受賞作を見てみると、今年までの77の受賞作品のうち15の作品が主人公の名前を題名に掲げます(巻末参照)。そのうち邦題で操作されたのは、『パットン大戦車軍団』以外では、第31回『恋の手ほどき(Gigi)』(1958年)と第36回『トム・ジョーンズの華麗な冒険(Tom Jones)』(1963年)のたった2つしかないのです。しかし、後者は有名な英文学の小説を映画化したもので、日本ではこの邦題で読まれていましたから、致し方ありません。
つまり『ロッキー』や『ガンジー』に代表されるように、タイトル・ロールは本来華々しく取り扱われるはずなのに、そうならないこの映画に製作者たちの正しい歴史認識が反映されているのです。
もうそろそろ、あれこれ偏見から離れて映画そのものを虚心坦懐に楽しませてくれる環境をくれと申し上げたくなります。特に戦争映画は。
(とはいえ、だからと言って何でも原題をカタカナにしてしまう風潮には大反対のゴウ先生です。『ナショナル・トレジャー』に『アビエイター』はないだろうと思ってます。)
ゴウ先生ランキング:A-
DVDの画質・音質は驚くほどレストアされたもので、映像もきれいなシネマスコープですし、サラウンド感も十分にあります。大画面で楽しみたくなる良質のDVDです。
参考:主人公の名前を原題にしたアカデミー最優秀作品受賞作品
第67回 1994 フォレスト・ガンプ/一期一会 (Forrest Gump)
第57回 1984 アマデウス (Amadeus)
第55回 1982 ガンジー (Gandhi)
第50回 1977 アニー・ホール (Annie Hall)
第49回 1976 ロッキー (Rocky)
第43回 1970 パットン大戦車軍団 (Patton)
第41回 1968 オリバー! (Oliver!)
第36回 1963 トム・ジョーンズの華麗な冒険 (Tom Jones)
第35回 1962 アラビアのロレンス(Lawrence of Arabia)
第32回 1959 ベン・ハー (Ben-Hur)
第31回 1958 恋の手ほどき (Gigi)
第28回 1955 マーティ (Marty)
第21回 1948 ハムレット (Hamlet)
第15回 1942 ミニヴァー夫人 (Mrs. Miniver)
第13回 1940 レベッカ (Rebecca)
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言葉のイメージが与える力は本当に大きいと感じます。私も言葉をよく選ぶことを心掛けます。
これからは様々な偏見や先入観を横に置いて、映画そのものを楽しむように致します。