自民党が誕生したのは、1955年の11月15日。ここから「五十五年体制」という言葉が生まれました。
当然、11月15日に盛大な結党50周年大会が開かれるものだと思っておりましたが、紀宮様の結婚式と重なったためでしょう、一週間ずらした今日記念大会が開かれます。
自民結党50年、安倍官房長官は「21世紀も切磋琢磨」 (朝日新聞) - goo ニュース
その五十五年体制を築いた立役者の一人が、上の記事でも談話が使われている安倍晋三官房長官の祖父岸信介元首相でありました。
東条内閣において商工大臣を務めたがゆえに、戦後A項戦犯(一般に、A級戦犯と呼称されているもの)に問われます。しかし、無罪で放免され、日本の独立後政界復帰を果たし、55年に自由党と民主党が「保守合同」をした時には、自由民主党の幹事長に就任するほどまでに政界で力を発揮してきた「昭和の妖怪」であります。
なにゆえ、それほどまでに岸信介の復帰がすんなり行ったのか。
ある種お孫さんの安倍官房長官にも通じる運のよさがあったことも想像できます。しかし、それだけでは語りきれないものがあることも想像のつくところです。自民党幹事長とは、杉村太蔵方式の棚ボタ幸運で登りきれるポジションではありませんから。
そういう疑問をもった方に、特に、幸便に戦前・戦中・戦後政治史を俯瞰できる本が先週出版されました。
満州国研究の第一人者である小林英夫早稲田大学教授が、「戦後日本は満州国の宣言だった」(同書・帯より)というテーゼを展開している本です。そして、「満鉄調査部、商工省、戦後の経済安定本部、そして保守合同まで――その中心には岸信介がいた」とまとめます。
著者によれば、満州の発展は社会主義的統制経済そのもの。こうした国家政策の一環により、商工省から同国に派遣された岸信介が満州の産業発展に大いに寄与しました。
そして、戦後日本がどん底から這い上がろうとした時に、岸が考えたのは満州国で行った統制経済の導入でした。民間企業が大打撃を受けていた以上、仕方ない選択でもあったのでしょう。
つまり、自民党による政財官が強調しながら進んできた五十五年体制は、岸信介が理想にした統制経済を基礎にしていると著者は主張するのです。
もちろん、岸は経済再生のことばかり考えていたわけではありません。強力な反共産主義者であり、自主外交推進者であり、憲法改正論者でもありました。
しかし、その思いはいまだ十分に達成されたとは言えません。
中国や北朝鮮にペコペコする自由主義者の皮をかぶったコミュニスト。アメリカにべったり頼りきりの国際派。国防の義務を国民の義務であると断言できないエセ護憲主義者。こうした人たちがいまでも自民党内部にはびこっているのです。岸が望んだことが実現されるはずもありません。
お孫さんにはお祖父さんの思いを正しく実現してもらうことを期待したいものです。
とはいえ、本書、あまりに概論すぎますし、構成もいまいち重複が多く、この分野に詳しい方には、食い足りない恨みが残ります。
というわけで、ゴウ先生ランキング:B-
日本の戦後政治史入門書として、戦前の満州との関係を知ってみたい方にはお勧めします。
満州に見た当時の日本人の夢を少しでも垣間見ると、いまの日本がよく分かるというのも皮肉な話ですが・・・。
当然、11月15日に盛大な結党50周年大会が開かれるものだと思っておりましたが、紀宮様の結婚式と重なったためでしょう、一週間ずらした今日記念大会が開かれます。
自民結党50年、安倍官房長官は「21世紀も切磋琢磨」 (朝日新聞) - goo ニュース
その五十五年体制を築いた立役者の一人が、上の記事でも談話が使われている安倍晋三官房長官の祖父岸信介元首相でありました。
東条内閣において商工大臣を務めたがゆえに、戦後A項戦犯(一般に、A級戦犯と呼称されているもの)に問われます。しかし、無罪で放免され、日本の独立後政界復帰を果たし、55年に自由党と民主党が「保守合同」をした時には、自由民主党の幹事長に就任するほどまでに政界で力を発揮してきた「昭和の妖怪」であります。
なにゆえ、それほどまでに岸信介の復帰がすんなり行ったのか。
ある種お孫さんの安倍官房長官にも通じる運のよさがあったことも想像できます。しかし、それだけでは語りきれないものがあることも想像のつくところです。自民党幹事長とは、杉村太蔵方式の棚ボタ幸運で登りきれるポジションではありませんから。
そういう疑問をもった方に、特に、幸便に戦前・戦中・戦後政治史を俯瞰できる本が先週出版されました。
満州と自民党新潮社このアイテムの詳細を見る |
満州国研究の第一人者である小林英夫早稲田大学教授が、「戦後日本は満州国の宣言だった」(同書・帯より)というテーゼを展開している本です。そして、「満鉄調査部、商工省、戦後の経済安定本部、そして保守合同まで――その中心には岸信介がいた」とまとめます。
著者によれば、満州の発展は社会主義的統制経済そのもの。こうした国家政策の一環により、商工省から同国に派遣された岸信介が満州の産業発展に大いに寄与しました。
そして、戦後日本がどん底から這い上がろうとした時に、岸が考えたのは満州国で行った統制経済の導入でした。民間企業が大打撃を受けていた以上、仕方ない選択でもあったのでしょう。
つまり、自民党による政財官が強調しながら進んできた五十五年体制は、岸信介が理想にした統制経済を基礎にしていると著者は主張するのです。
もちろん、岸は経済再生のことばかり考えていたわけではありません。強力な反共産主義者であり、自主外交推進者であり、憲法改正論者でもありました。
しかし、その思いはいまだ十分に達成されたとは言えません。
中国や北朝鮮にペコペコする自由主義者の皮をかぶったコミュニスト。アメリカにべったり頼りきりの国際派。国防の義務を国民の義務であると断言できないエセ護憲主義者。こうした人たちがいまでも自民党内部にはびこっているのです。岸が望んだことが実現されるはずもありません。
お孫さんにはお祖父さんの思いを正しく実現してもらうことを期待したいものです。
とはいえ、本書、あまりに概論すぎますし、構成もいまいち重複が多く、この分野に詳しい方には、食い足りない恨みが残ります。
というわけで、ゴウ先生ランキング:B-
日本の戦後政治史入門書として、戦前の満州との関係を知ってみたい方にはお勧めします。
満州に見た当時の日本人の夢を少しでも垣間見ると、いまの日本がよく分かるというのも皮肉な話ですが・・・。