2005年3月5日(土)の定期上映会報告です。この日はスティーブン・スピルバーグ監督による異色の戦争映画を取り上げました。
この映画は、大東亜戦争に巻き込まれるイギリス人の少年(クリスチャン・ベール)の成長を1941年から1945年まで追いかけていく形で進みます。その間少年は、日本軍に囚われ、収容所生活を余儀なくされるのです・・・。
スピルバーグという監督は、第二次世界大戦を映画の題材に取り上げるのが好きな監督です。有名な『シンドラーのリスト』や『プライベート・ライアン』の他にもこの『太陽の帝国』そして変わったところでは『1941』というジョン・ベルーシを使ったブラック・コメディもあります。それに、『インディ・ジョーンズ』三部作もある意味このタイプの映画だと言えなくもありません。
スピルバーグはユダヤ人であるから第二次世界大戦を無視できないのだとよく言われます。しかし、それでは『太陽の帝国』や『1941』のような大東亜戦争を描いた映画を撮ったのを説明できません。彼本人に直接尋ねたいところです。
しかも『太陽の帝国』の中の日本軍の描き方は、『戦場にかける橋』なでのアメリカ映画で描かれるそれとは異なり、どこか好意的な匂いを持ちます。何の予備知識もなければ、自虐的歴史観に縛られている人たちは当惑しても不思議ではないほどです。
とはいえ、少年が収容所に入れられてから空気はどんよりとしてくるのは事実です。ナチスの強制収容所のような虐殺こそありませんが、人間としての尊厳を奪われた人々の間に渦巻く日本軍憎しの感情が手に取るように見え始め、いたたまれなくなるのです。
こうしたスピルバーグの映画の作り方を見ていると、激しい戦闘シーンを次から次へと見せられるよりも、戦時中の完全に閉塞した日常を淡々と描いた方がよほど恐怖感を募らせるのだぞと主張しているような気がします。
そういう意味では、この『太陽の帝国』は、スピルバーグの戦争映画の中で最も「戦争」を描いていると言っても間違いではないのはないでしょうか。この映画から比べれば、『シンドラーのリスト』は「人間のずるさ」を、『プライベート・ライアン』は「戦闘」を描いている気がします。
ジョン・マルコビッチ以外は無名の俳優ばかりを使っているがゆえに、スピルバーグの意図がはっきりと見通しやすい映画でしょう。(伊武雅刀やガッツ石松の登場を見て喜ぶというディープな楽しみ方も否定しませんが・・・。)
とはいえ、スピルバーグです。1941年の上海の群集シーン・戦闘シーンの描き方にはぞーっとさせる怖さを画面に集約させます。上記の映画をあわせても、そのリアリティは一番かもしれません。
通常無視されることが多い作品ですが、一度ご覧になってください。
ゴウ先生ランキング:B+
なお、この作品の解説については、下記の本が最近の論考の中では一番詳しいと思います。参考にしてください。
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この映画は、大東亜戦争に巻き込まれるイギリス人の少年(クリスチャン・ベール)の成長を1941年から1945年まで追いかけていく形で進みます。その間少年は、日本軍に囚われ、収容所生活を余儀なくされるのです・・・。
スピルバーグという監督は、第二次世界大戦を映画の題材に取り上げるのが好きな監督です。有名な『シンドラーのリスト』や『プライベート・ライアン』の他にもこの『太陽の帝国』そして変わったところでは『1941』というジョン・ベルーシを使ったブラック・コメディもあります。それに、『インディ・ジョーンズ』三部作もある意味このタイプの映画だと言えなくもありません。
スピルバーグはユダヤ人であるから第二次世界大戦を無視できないのだとよく言われます。しかし、それでは『太陽の帝国』や『1941』のような大東亜戦争を描いた映画を撮ったのを説明できません。彼本人に直接尋ねたいところです。
しかも『太陽の帝国』の中の日本軍の描き方は、『戦場にかける橋』なでのアメリカ映画で描かれるそれとは異なり、どこか好意的な匂いを持ちます。何の予備知識もなければ、自虐的歴史観に縛られている人たちは当惑しても不思議ではないほどです。
とはいえ、少年が収容所に入れられてから空気はどんよりとしてくるのは事実です。ナチスの強制収容所のような虐殺こそありませんが、人間としての尊厳を奪われた人々の間に渦巻く日本軍憎しの感情が手に取るように見え始め、いたたまれなくなるのです。
こうしたスピルバーグの映画の作り方を見ていると、激しい戦闘シーンを次から次へと見せられるよりも、戦時中の完全に閉塞した日常を淡々と描いた方がよほど恐怖感を募らせるのだぞと主張しているような気がします。
そういう意味では、この『太陽の帝国』は、スピルバーグの戦争映画の中で最も「戦争」を描いていると言っても間違いではないのはないでしょうか。この映画から比べれば、『シンドラーのリスト』は「人間のずるさ」を、『プライベート・ライアン』は「戦闘」を描いている気がします。
ジョン・マルコビッチ以外は無名の俳優ばかりを使っているがゆえに、スピルバーグの意図がはっきりと見通しやすい映画でしょう。(伊武雅刀やガッツ石松の登場を見て喜ぶというディープな楽しみ方も否定しませんが・・・。)
とはいえ、スピルバーグです。1941年の上海の群集シーン・戦闘シーンの描き方にはぞーっとさせる怖さを画面に集約させます。上記の映画をあわせても、そのリアリティは一番かもしれません。
通常無視されることが多い作品ですが、一度ご覧になってください。
ゴウ先生ランキング:B+
なお、この作品の解説については、下記の本が最近の論考の中では一番詳しいと思います。参考にしてください。
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自分が書いたものよりも短く、リズミカルでズバッと本質を突く迫力に魅了されます。
プリントアウトし、自分が書いたものと何が違うのか分析し、次回以降の感想文に反映させて参りたいと思います。
様々な角度から描かれた戦争映画を観て、自分の視座を固めていきたいと思っております。
「スクリーンの中の戦争」も購入させて頂きました。勉強致します。
スピルバーグの映画の中でも戦争の描き方に差があるということ、最も日常の閉塞感という「戦争」を如実に描いているという戦争映画の本質に迫った見方に、ハッとさせられました。私の感想文も、もっと鋭いものにしていきたいと思っております。
「スクリーンの中の戦争」をぜひ読ませていただきます。
ありがとうございました。