いのりむし文庫

いのりむし斧舎 ⒸNakajima Hisae

鈴木壽壽子 『星のふるさと』のこと

2014-01-03 | 鈴木壽壽子 『星のふるさと』のこと


四日市人権センターが作成した『星のふるさと』を紹介する冊子
 『鈴木壽壽子 星のふるさとのこころ』のPDFは以下です。

 「hosinohurusatonokokoro.PDF」をダウンロード


現在入手困難な『星のふるさと』の復刊をめざす復刊ドットコムは、こちらです。
 

2009年5月

 ご縁に恵まれ1975年に発行された『星のふるさと』を知る。
 1970年代初めの四日市。
   コンビナートの夜のきらめき それが星でないのが悲しい 
 著者は、見上げた空を想い、その空の下で暮らす人々を想った。
 そして、この町にも青空と星空が戻ってくると信じて待てる明日のあることを祈り、星が好きな観望者から、「流れ去って帰らぬ一瞬一瞬の自然の姿をできるだけ確かに」記録する観測者となった。『星のふるさと』は、星への愛情とともに語られたあの時代の夜空の記録である。
 40年近く経った今、この町の空を見上げながら、この町の人々に『星のふるさと』が大切に読み継がれますようにと願う。

 『星のふるさと』の詳細は、霞ヶ浦天体観測隊
 
http://kasuten.blog81.fc2.com/blog-category-15.html

2009年8月

 現在入手困難になっている『星のふるさと』(1975年刊行)を紹介する小冊子(A4、8頁)を、地元で作製中。9月後半には配布開始予定。
Hosihurukokoroimage7

 『星のふるさと』と私たちの素敵な出会いのきっかけをつくってくださったore nestさん、ありがとうございます。

2009年10月

 思いがけない出会いで、最近夜空を見上げることが多くなったが、実のところ、天文はとてもとても苦手である。幼い頃、百科事典で初めて銀河の写真を見た時、なんとも言えない不安にかられて本を閉じてしまった。
 その後、私たちが今見ている宇宙は、遠い遠い過去の姿であることをを知り、あの不安の理由を思う。
 そして、足元をそっと確かめたくなるような気持ちを抱いたまま、今ここから見る空の意味を考える。
 『鈴木壽壽子 星のふるさとのこころ』では、『星のふるさと』から、「小さな発見」「一字の橋」「結びにかえて」を読むことができる。

2009年10月 帯

 新刊本に掛けられている帯には、人目を引くための「煽り」のことばが躍っているものだが、それはそれで、楽しめる。帯は捨てずに本に挟んでおくのが習慣だが、図書館の蔵書には、帯は無く、カバーも外されていることが多い。新刊で購入するとは限らないし、保存の手間を考えると仕方ないとは思うものの、ちょっと残念。
 なので『星のふるさと』の帯も諦めていたのだが、本に帯を付けたまま保存されている方がいらっしゃって、当時の空気に触れることができた。
  
   遠い昔から、人が星と語り合ってきた心豊かなならわしは、失われてしまうのだろうかー。
   煙霧に消え、光の海に沈む星を惜しみつつ、「星よ帰れ!」とうたう


2009年11月20日 四日市市民大学 
 意外と知らない四日市 空
   
  
  6回講座の最終回は「四日市に受け継がれてきた星空」
  講師は市立博物館天文係の稲垣好孝さん 

 市立博物館では、プラネタリウムで、『おじいさん おばあさんが伝えた ふるさとの星』『俳句と星 山口誓子が見た星空』という自主制作番組も上映してきた。残念ながら今はもう見られないが、この講座で、その内容が紹介された。
 『ふるさとの星』は、富田の漁師さんが海で見る七つ星や、90代の女性が子どもの頃に聞かされた「ほうきぼし」のお話。昔は今とはちがったかたちで、空が教えてくれるものと人々の暮らしが結びついていた。そんな話を自分の体験として語れる人は、もうほとんどいない。ほうき星が見えると「戦争がくる」と言われていたことを語るおばあさんの様子に、きっと怖かったんだろうなあと思う。
 『俳句と星』は、療養のため、1941年9月から1948年まで四日市(富田・天ケ須賀)で暮らしていた山口誓子の足跡をたどる。1946年に野尻抱影との共著で出版された『星恋』の中から、「露更けし星座ぎつしり死すべからず」(1941年)が取り上げられた。同書には、四日市の空が、たくさん詠まれている。
 そして、最後に鈴木壽壽子『星のふるさと』も。
 
 空、星、暮らし、ことば、それらに心を寄せ表現してきた人と人がつながっている。

2009年11月
 
鈴木壽壽子 星のふるさとのこころ 夜空のスケッチ又は写真とメッセージ募集

 四日市市人権センターが、夜空のスケッチ又は写真とメッセージ募集を始めた。

 『鈴木壽壽子 星のふるさとのこころ』を読んだ人を対象に、年齢、市内市外を問わず全国誰でもOK。自宅付近を肉眼で見た夜空のスケッチなど形式自由。締め切りは来年2月末。天文に関心のある人はもちろん、日頃、空をながめることがあまり無い方人も、『星のふるさと』に触れ、今までとは少しちがった気持ちで、見慣れた夜空を、そして、その下で暮らす私たちのことを思うことができたら嬉しい。
                             
10月27日の空スケッチ
Yozoraimage2
 2009・10・27・19:00

2009年12月 世界天文年と鈴木壽壽子『星のふるさと』
 
 「世界中の人々が夜空を見上げ、宇宙の中の地球や人間の存在に思いを馳せ、自分なりの発見」をしようという世界天文年の取り組みの中には、「アジアの星」や、光害を考える「美しい夜空への想い」という企画もある。「アジアの星」は、ギリシャ・ローマ神話に偏りがちな星の話を、それだけではない自分たちが暮らす場所の話としてアジア各地の星文化を紹介、共有しようというもの。

 2009年の天文年の関心は、1975年に刊行された『星のふるさと』のふたつのパート「炎の上の火星」と「星のふるさと」に織り込められた願いでもある。
 「炎の上の火星」は、1971年と73年地球に接近した火星の観察記録であるが、そこには石油工場の炎(フレアスタック)、煙霧(スモッグ)も記された。丹念な観察は、火星の観測記録となり、そして1970年代の四日市公害の苦しみ悲しみを伝えた。その両方に惹かれるのだが、そうしたメッセージの根底にあるのは、火星や月や夜空が見せてくれる星たちの姿と共にある私たちの★のこと。
 たとえば「姉弟の星」の章では、「太陽に育てられ、太陽のまわりで暮らしている星の姉弟」が15年ぶりに出会った時に交わすであろう会話のかたちで、地球と火星の来し方を描いている。姉(地球)の暮らしの豊かさに目をみはる弟(火星)。けれどもそんな弟の目に映るのは、姉の星の戦火や「街にただよう死の煙霧」。姉は答えるしかない「月に旅するほどの力も、戦いの火を消し去ることはできない」のだと。
 一方「星のふるさと」は、身近な人びとの星語りや、 中国、アイヌなどの昔語りからイメージを膨らませた12編。 

 ふたつのパートを収めた本のタイトルとなった『星のふるさと』には、幾重もの意味を読み取ることができる。星の降る里、かつて夜空を見上げた、あるいは今見上げているここ「故郷」。
 星降る里の故郷の星、そして、私たちと地球と、夜空の星々が誕生したふるさと。星のふるさとは、私たちのふるさとでもある。

 『鈴木壽壽子 星のふるさとのこころ』夜空のスケッチ又は写真とメッセージ募集は、世界天文年2009の公認イベント。

2010年1月 今年最大の満月           

 1月30日、仕事帰りに何気に空を見たら、前方にあまりに明るく大きな月。「何事?」と思い、調べてみると「今年最大の満月」。知ってしまえば、どうってことはないが、昔々遮るもののないところで、毎日、夜空を見て暮らしていた人は、こんな風に月が近付く夜をどう感じたのでしょう。写真の腕は一向に上達しないが、『鈴木壽壽子 星のふるさとのこころ』夜空のスケッチ又は写真とメッセージ募集の2月末締め切りに向かって、毎日空を眺めている。

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障害・障碍・障がい  表記論を越えて

2014-01-03 | 障害・障碍・障がい  表記論を越えて

2010年11月 混迷続く「障害(者)」表記という問題                       
 
 「障害」の表記について検討していた「障がい者制度改革推進会議」が、11月22日の会議で「障碍」などへの変更は当面行わないことを結論とする検討結果を提出した。

 報告では、関係者からのヒアリングと、一般意見募集の結果を検討した上で、「障害」の表記については様々な考え方があることを指摘、「現時点において新たに特定のものに決定することは困難」であり、「当面、現状の『障害』を用いる」としている。

 2010年9月に実施された意見募集には、637件の意見が寄せられ、その内訳は、「障害」を支持する意見が4割、「障碍」を支持する意見が4割、「障がい」「しょうがい」を支持する意見が1割、その他が1割であったという。

 この意見募集には、私も意見を送ったが、一つではない理由を400字でまとめなければならず苦労した。長いと読む方も大変なことは理解できるが、意見が拮抗し、情緒的な主張も見受けられるこの問題について、自分とは異なる意見を主張する人にも理解してもらえる程度に説明するには、400字というのは短い。しかし、意見集約をする人は、おそらく詳述しなくても論点は心得ていらっしゃるであろうと考え、理由を箇条書きにして提出した。

1.望ましい表記

障害 障害が(の)ある人

2.1の理由や意見など

①表記変更で解決できる問題ではない。

②「障害」とは何かについては、個人・医療・社会・文化など多角的な考察が必要。単なる個人の問題ではなく社会のあり方も問われている。

③置き換える場合、「障がい」「障害」又は「障碍」のどれを、どの場合に使用するか判断基準が不明確・困難で、混乱をもたらす。たとえば「交通」「移動」「健康」「通信」「肝機能」「脳機能」「身体」「知的」「認知」「記憶」「視覚」「摂食」「言語」「行動」「歩行」「嚥下」「呼吸」のうち「障害」ではなく「障がい」を使用すべきものはどれかを、どのような基準で判断するのか。

④表記の変更は問題解決に有効ではなく、混乱と多大な負担を生む。むしろ課題の本質的な解決に傾注すべき。

⑤大切なことは「障害」がある人の権利や尊厳をいかに考えるか。「障害者(手帳)」といった表現について新たな方向性を示すべき。権利への理解が、当事者はもちろん広く共有されることを望む。

 漢字を変更すれば解決できる問題ではないということを、「そんなことやっても、どーせ無駄」みたいな投げやりで主張しているのではないことくらいは、少なくとも理解して欲しい。というのも、マスコミの論調(投稿者ではなく、記者の書いた記事)でさえ、「どーせ無駄」などとあきらめないで、表現を変えることで意識を変えようというような主張が一部で見受けられるからである。
 今回出された結果を、「障害者」に対する無理解や、「やさしさ」の欠如、現状維持の硬直した思考などといった紋きりで非難せず、なぜこの表記問題がこんなにも膠着し出口が見えないのかを考えて欲しい。「障害」か「障碍」か「障がい」か問題に矮小化せず、合意形成できる方向を見出したいと思う。
 
 「障害」の表記は現状の「障害」が良い。「障害者」という表記は、もっと議論を尽くしてよい表現を考えましょうと、私は思うのである。

 つまり問題があるとしたら、それは「障害」ではなく、「障害者」の方である。「障害」を負った、あるいは、こうむった人を「障害者」と表現することは妥当だろうか。とりあえず「障害の(が)ある人」などと言い換えているが、「障害者」の代替としては、文字数が多く、話すにしても書くにしても使いにくい。

 被害(者)、被災、罹災、罹患、罹病、負債、負担、負傷、受傷、あるいは、被差別、被保険といった用例を考えると、「障害者」には違和感を感じる。
 「被障者」「罹障者」「負障者」ではなく「障害者」というのは、障害の人を意味する。
 つまり、ある人に降りかかった災害や病気という困難は、一時的なものと考えられるのに対して、ひとたび「障害」を負えば、そこから一生逃れることはできず、障害者という特別な人生を行くしかないという障害観に基づいているのだと思う。

 しかし、たとえば「まず、人間として」を掲げたピープル・ファースト運動が、障害者である前に、同じ人間であるという当たり前のことを訴えたように、「障害」という言葉をめぐる試行錯誤は、障害観・障害者観を大きく変えようとしてきた。
 だからこそ、「障害者」でも「障碍者」でも「障がい者」でもない新しい人間観を、どう表現すればよいのかを考えたいと思う。

2009年4月  「障害」「障がい」表記問題の波紋                            

 三重県は、2007年に「障害」「障害者」を「障がい」「障がい者」に改めると発表。その波紋から、3月23日「県民啓発講座」~障がい表記と障がい者の人権~ というシンポジウムが開催されるということで注目していた。

 この問題は、たとえば同様の決定をした岐阜県と岐阜市に対して、東海聴覚障害者連盟相談役後藤勝美が、「私は、障がい者にあらず、障害者である」(朝日新聞 私の視点 2009. 1. 23)と主張するなど、関係者の間でも批判が強いのである。が、結局、シンポでは多様な意見があることは示したものの、県は「障がい」路線を見直すことはない模様。

 今回の県の決定が問題となるのは「障害」と「障がい」のどちらが良いかだけではなく、「障がい」が正しいかのように結論付けるメッセージを、一定の強制力をもって発することにある。
 「障害者」という表現の妥当性については、40年にもなろうとする議論の歴史があり、そこで尽くされてきた指摘は「障害」の「害」だけをひらがなにすれば解決するようなことではないのである。

 しかし、いずれにしても「障害」か「障がい」かではなく、ぼちぼち問題の本質に迫るような具体的な提起で、こうした議論を越えていきたいものである。


障害・「障害」・障碍・障がい ー表記論を越えてー 2008年2月記

 三重県は2007年、「障害」「障害者」を「障がい」「障がい者」の表記に改めることを決定した。

 決定を伝える県のHPによると、その背景として、「『障害者』の表記における『害』という漢字のひらがな表記については、さまざまな意見がありますが、『害』という漢字のイメージの悪さから、『障がい者』と表す自治体などが増加しています。」と述べ、「もとより、障がい者施策の推進にあたっては、障がいのある人も、ない人も、ともにくらすことができる社会を築くため、当事者の思いを大切にして取り組んでいくことが重要です。」と続けている。
 
 また更に「『害』という漢字の使用を不快に思うとの主張がある一方で、漢字かひらがなかという議論自体を無意味あるいは不快に思うといった意見など、県民、県内外の団体などにもさまざまな議論があります。」とも指摘している。

 これらの三重県の説明を一読して、私がまず感じたことは、では、この「障がい」表記問題を決定するにあたり、「当時者の思い」をどのようにくみ取ったのかということであった。

 そこで、具体的にどのような方法で「当時者の思い」を聞き取り、どのような意見があったのかをお尋ねしたところ、そのような調査は全くしていないとのご返答であった。これは甚だ面妖なことではないか。たとえばアンケートの実施、関係団体に意見を求めるなど、県民、特に「当時者」の意見を聞くことは欠くことのできない必須事項ではあるまいか。
 
 しかも、三重県も「県民、県内外の団体などにもさまざまな議論があります。」と自ら指摘している通り、「障がい」という表現をめぐっては様々な意見があるにも関わらず、このような手続きを経ることなく、決定を急がなければならない如何なる理由があるのであろうか。

 また、「障がい」に置き換える必要のある事例と、「障害」で差し支えない事例として、次のように述べている。
  
  なお、次のような場合は、漢字表記で差し支えないと考えられます。
  ・過重労働による健康障害についての基礎知識を習得する。
  ・交通事故の後遺症による高次脳機能障害の話題が出た。
  ・Aさんは、飲酒に起因するアルコール性肝機能障害の疑いがある。
 
 同じく人間を対象とした「障害」の状態について「害」と表記しても「差し支えない」ものと「差し支える」ものがあるという認識は、いったい何を根拠にしているのか私には理解し難い。たとえば「身体障害」「知的障害」(私は「知的障害」ではなく、できるだけ「知的機能障害」と表現するようにしているが)と「脳機能障害」「肝機能障害」とは違うというのは、いったい如何なる価値観に基づくものだろうか。

 具体例をあげる。「認知障害」「記憶障害」「視覚障害」「摂食障害」「言語障害」「行動障害」「歩行障害」「嚥下障害」「身体障害」。これらのうち「害」と書くと差し支えるものと、差し支えないものの判断基準は何か。
 
                        ●

 いわゆる「障害者」問題を語る前提として、それは本当に「障害」と表現されるものなのか。つまりどのような意味において「障害」なのかという問いかけは長年の課題であった。
 
 すでに1971年10月には、『コロニー解体』創刊号に掲載された関西「障害者」解放委員会綱領「障害者解放のために」の冒頭「一、「障害者」の定義」において、「この綱領案を提起するにあたって、まず我々はこれまで何の疑問もなく使用されてきた「障害者」という言葉を改めてとらえかえすことから始める必要がある。」と指摘されている。(楠敏夫『「障害者」解放とは何か -「障害者」として生きることと解放運動』1982)

 それは単にことばの問題ではなく、当時の「障害者」をとりまく社会への異議申し立てであった。「善意」であるかどうかはともかく、結果的には「コロニー」という巨大施設に閉じ込められ、時には生きる価値のない存在であるかのように見なされ、一人の人間としてあたりまえの人生を生きることが今以上に困難な時代だったのである。

 こうした時代に「障害」「障害者」を語る時には、問題提起を込めて「」を使用する人も少なくなかった。私自身、「障害」「障害者」というように「」を厳格に使用していた時期もあるし、今でも文脈によっては「」を使用している。
 
 その後、国際障害者年の取り組みを経て、どのような「障害」があっても(なくても)人間として等しく尊く、同じように人生を生きる権利があるという当たり前のことを確認すると共に、「障害」観の見直しもすすめられてきた。

 昨今の「障害学」においては、個人モデル・医療モデル・社会モデル・文化モデルにおける検証がすすんでいる。ヘレン・ケラーのことばとされる「障害は不便だ、しかし不幸ではない」が紹介されたり、「障害は個性(のひとつにすぎない)」という主張も生まれた。

 又一方で「障害者」に関わる用語の見直しも試みられてきた。たとえば1990年代から「精神薄弱」に代替する用語の検討がすすみ「知的障害」に置き換えられた(私は、できるだけ「知的機能障害」を使うようにしているが)。また、同じ頃から「障碍」「エンジェル」「チャレンジド」などが使用されるようにもなった。
 
 このように「障害」観の見直しや、用語の使用について多くの議論が蓄積されてきた経緯を踏まえる時、「障害」とはいかなる意味で「障害」なのか、それは「障害」で良いのかという問いは、今でも大きな課題を投げかけているといえる。では、その解決にとって「障がい」という表記はいかなる意味を持つのだろうか。

 只今の状況下において、私は次のように考える。

 ① 「障害」という表現が適切なものであるかどうかは、「障がい」という置き換えによって解決できるような問 題ではないと理解している。

 ② 「障害者」をどのように表現するかの判断において、最も優先されるべき要素のひとつは、「当事者がどのように考えているか」であると考える。

 ③ 現今の状況において、「障害者」団体の多くが「障害」を使用しているという現実を尊重する。すでに述べたように、この現実は、「障害者」団体等の当事者が、「障害」という表現の持つ問題に無自覚、無批判に使用してきたということを意味するものではないことを強調しておきたい。また、今後、多くの「障害者」団体や個人が「障がい」の使用を主張することがあるならば、その時点において、その主張を尊重する。

 ④ 固有名詞をのぞき、「障害」をどのように表現するかは、基本的にそれぞれが判断することである。障害、「障害」、障碍、障がいのいずれを使用するかについては、個々の判断に委ねられるべきであり、たとえば「障がい」という表現が、他に比べて優れているかのように強制力をもって主張することは、現段階では適切ではない。県の決定は、県の文書のみならず、県の関わる助成や委託事業などにまで広く強制力を発揮しており、「障がい」以外の用語を使用することが事実上困難な状況が広がっている。これは、豊かな議論の前提である「表現の自由」の保障と、「障害者」の自己決定の尊重という二つの意味において看過できない。。

 私のまわりには、何らかの身体的な「障害」を持つ人、重い「知的機能障害」を持つ人、軽い「知的機能障害」がある人、重度の心臓疾患で日常生活にも制限がある人など、たくさんの友人がいる。その「障害」の内容も程度もあまりにさまざまである。

 こうした友人との私的な関係においては、かの人々を総括して表現できるような便利なことばなどは無いし、そのようなくくり方をする必要もないと思っている。

 現代の医療・技術や社会のあり方の中で、一定の「援助」や「配慮」が必要と考えられる状況にある人々に対して、対策を講じることが必要である場面において、便宜的・限定的に「障害者」という概念が必要なのである。

 決して「障害者」という特別な存在として生きているわけではないというのが、私の理解である。私にとっては、どのような「障害」があっても(なくても)友人・知人の一人であり、大切なことは、それぞれが抱えている具体的な「問題」を理解し共有することだと考えている。
 
 そのために「障害」という表現が必要であれば、その必要の範囲で使用している。「障害」という言葉の持っている限界を感じ、「障害」という言葉を使うことの居心地の悪さと向き合いながら、「障害」を持つ友人たちと共に生きていく道をさがしたいと思う。

 その上でもし福祉の分野などにおいて、「障害」を持っていることで支援を必要とする人びとを総称する何らかの用語が必要であるならば、 援助を受けることを、権利として有しているということが明確になるような表現(たとえば一例として、「受援権者」又は、「身体的受援権者」など)が、求められているのではないか。

 この「障害」表記問題が実りあるものとなることを願っている。

[参考]
三重県の見解

http://www.pref.mie.jp/KENKIKA/SOGOH/hyouki.htm

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