(書評)
ローレンス・ポッター 谷川漣『学校では教えてくれなかった算数』(草思社)
何年も前に買ったのに、まだ読み終えていない。読み終えることはできないのかもしれない。そもそも、この本を読むということがどういう作業になるのか、はっきりとしない。帯に「算数・数学のトラウマを吹っ飛ばす!」と書いてあるが、本当に吹っ飛ばせるのかどうか、私にはわからない。
けれども、紹介する。
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学校。だれもが忘れられない場所だ。さまざまな喜劇や悲劇の演じられた舞台として、一生頭にこびりついて離れない。数々の儀式。教師たちの奇妙な専制。「起立、礼、着席」「ポケットから手を出して」「静かに」「スカートはひざ丈より長く」「ガムをゴミ箱に捨てて」。巨大な大人の手が、ばんと机をたたく。真っ赤な顔が「話を聞きなさい」とどなる。そしてテスト。試験。成績。レポート。
なかでも記憶に残る数学の時間。そこで待ちうけるのは、できない生徒をさらし者にするために考え出された質問の連射だ。生徒たちはしかたなくノートを開き、計算につぐ計算で行を埋めつづける。だれのひたいにもしわが寄り、苛立(いらだ)たしげなげなため息が同じ無言のメッセージを伝えている――「わからないよ」
数学の先生は、この小さな世界を支配する専制君主だ。彼はつぎつぎ問題を出し、赤ペンをさっさっとすべらせて、生徒たちの苦労の成果を切って捨てる。そして難解な説明を黒板に書きなぐったあと、生徒たちが何やら神秘的な力を発揮して、眼の前の紙きれの問題を解いてみせるのを期待する。
そんな環境だけでなく、クラス全体の雰囲気も、生徒たちに影響をおよぼす。答えをまちがえたときの恐怖を思うと、生きのびるための最善の策は、沈黙しかない。だからいつも眉間(みけん)にしわを寄せ、本の上に頭をうつむけている。先生と目が合うのが怖くて、決して視線をさまよわせようとはしない。
(「はじめに」)
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学校に対する嫌悪は、年齢を重ねることによって薄まるどころか、むしろ濃くなっている。
以前、『高校生日記』や『キッズ・ウォー』みたいなものはたまに見ていたが、『金八先生』なんか、もう、本当、むかむかして、ほとんど見なかった。今では、学校の風景がちらりと見えただけでもチャンネルを変えてしまう。通りで学生服を見るのさえ嫌だ。
成人してから、「トラウマ」を克服するために、少しずつ、算数・数学の復習をしていたが、中2で止まった。数学は、やればできそうな感じがしてきたからだ。しかし、算数は違う。算数は難しい。
(終)