(書評)
アロイジウス・ベルトラン 及川茂『夜のガスパール』(岩波書店)
こんな本を買った覚えはない。誰かに借りたのだろうか。
*
「夜のガスパール氏を御存知ですか?」
「そいつに何の用があるのだね?」
「借りた本を返したいんです。」
「魔法の書か!」
「何ですって! 魔法の書……! どうか、彼の住まいを教えて下さい。」
「牝鹿の足が吊り下がっているあの家だよ。」
「しかしあの家は……、あなたは司祭さんの家を言ってるのですか。」
「つい今しがた、司祭の白衣や胸飾りを洗濯する褐色の髪の女が中に入って行くのが見えたからさ。」
「どういう意味ですか?」
「夜のガスパールは、信仰深い人間を惑わすために若くて美しい女に化けることがあるのさ、――わしの守護聖人、聖アントワーヌにかけて、わしは奴をしかと見届けたよ。」
「悪ふざけはやめて下さい。夜のガスパール氏は何処にいるのですか。」
「他の所にいないとすれば、奴は地獄にいるさ。」
「ああ! やっとわかった! それでは、夜のガスパールとは……?」
「そうさ……! 悪魔だ!」
「ありがとう……! 夜のガスパールが地獄にいるならば、そこで焼かれてしまうがいい。私は彼の本を出版しよう。」
(『夜のガスパール』「夜のガスパール」)
*
借りた本なら、返さねばならない。でも、誰に?
(終)