驚くべきイルカの習性 Ⅰ
それは彼女の初めての子供になるはずでした。母親になろうとしている大勢の者たちと同じように,彼女も,お産の時期が近付くと,心配そうな様子で自分の母親を探しました。
子供が産まれるときにその場にいて手助けをしてくれる“お母さん”がいるというのは,何とありがたいことでしょう。
世界中の家庭で,母親たちは昔からそうした気持ちを抱いてきました。しかし,これからご紹介する家族は,人間の家族ではありません。その家族の成員はすべてイルカなのです。
イルカははるか昔から人に知られていましたが,このような習性はほとんど知られていないようです。実際,イルカはギリシャの伝説の中でも顕著な存在です。
有名なデルフィの神話は,アポロがその姿を借りたと言われるイルカ(ギリシャ語でデルフィス)にちなんで名付けられました。また,ある時期には,イルカは王族とさえ関係がありました。
フランスの皇太子は,ドファン(イルカ)という名で知られていました。
イルカのこっけいなしぐさや,おぼれかけた人を自ら助けようとすることなどに関する話が,この動物に対する興味を大いにそそったようです。
しかしながら,太平洋上で撃墜された米軍機の飛行士の中には,イルカが差し伸べた救助をあまりありがたく思わなかった人たちもいました。イルカの救援隊は,その救命いかだを,日本領の島の方に押していったのです。
とはいうものの,かなり最近になるまで,この驚嘆すべき水生動物に関しては,比較的わずかしか知られていませんでした。それで,イルカをもっとよく観察して,何を学べるか考えてみるのはいかがでしょうか。
イルカという動物とその家族生活
イルカは,見たところ魚に似ていますが,ほ乳動物です。イルカは子供に乳を飲ませ,空気を呼吸し,人間の体温とほぼ同じ一定の体温を保っています。これを聞いて驚かれましたか。
13世紀のカトリック教徒が,“肉を食べない”金曜日にイルカを食べるのをやめるよう命じられたときも同じでした。確かに,この生物は外見とは全く違うのです。
イルカをよく観察すると,イルカと魚の幾つかの興味深い相違点が分かります。いくら捜しても,えらを見つけることはできません。
しかし,注意深く観察すれば,イルカの背中の,頭のちょうど後ろに,小さな穴が見つかるでしょう。それがイルカのたったひとつの鼻孔です。イルカは呼吸をするのに,とがったくちばしを用いません。目の真後ろにある穴が,動物界では匹敵するもののない完全な耳と言われてきたほど敏感な一対の耳に通じています。尾に関して,何か違った点に気付かれましたか。その通りです。それは魚の場合とは違って垂直ではなく水平についているのです。
どの意味から言っても,イルカの家族は大家族で,その中には,体長が9.5㍍に及ぶシャチのような巨大な親族も含まれています。比較的小さなバンドウイルカでさえ,何と体長が3㍍から4㍍,体重が409㌔余りもあるのです。
家族関係は,完全無欠というわけではありません。例えば,シャチは他の親族をおいしい食べ物とみなしているようです。
しかし,それぞれの集団の中では,イルカ科の動物はりっぱな共同生活を楽しんでおり,成長した大きなイルカが支配的な役割を果たしています。
イルカの住む水の世界では,そうした家族生活には多くの利点があります。例えば,赤ん坊が産まれると,その赤ん坊に最初の呼吸をさせるために即座に浮上させなければなりません。
“赤ん坊”の体長は母親の三分の一もあるので,ひれ足を貸すイルカの助産婦がそこにいるのは好都合なことです。そうです,“おばあさん”でさえその役目を果たすことができるのです。
しかし,産後の世話はそれで終わりではありません。誕生時に,母親と新生児の周りを共同体の他の成員が取り囲みます。血のにおいに引き寄せられて来るかもしれない捕食性のサメから守るためです。サメが現われても,だれの邪魔もせずすぐにその場を去るなら,そのサメは幸運にも長生きできることになります。数分もたたないうちに,見張り番のイルカたちが,頭を使って,招かれざる侵入者の肝臓を突き,そのサメを殺してしまうからです。
それぞれの赤ん坊のイルカには“子守”もいます。母親と一緒に,この“子守”は,赤ん坊が絶えず世話と監督を受けられるように注意をしています。そうした世話の中には,すぐに言うことをきかない場合に懲らしめを与えることも含まれます。イルカの母親は,手に負えない子供を自分のあごの間にはさんで,30秒ほどの間,水中に沈めたり,水の上に出したりすることが知られています。たいていの場合,そうした“おしおき”をすれば,元通り静かになります。
すばらしい造り
長い間研究者たちの興味をそそってきたのは,イルカが泳ぐ時のスピードです。1938年という昔に行なわれた計算では,イルカはその形からすると,時速19㌔でしか泳げないはずでした。
しかし,この生物はその三倍の速さで泳ぐことが知られています。見たところ,流体力学の法則に反するようでありながら,それほど速く泳げるのはなぜでしょうか。それは主として力の問題なのでしょうか。
ある報告によれば,イルカは人間の六倍の力をもっています。しかし,イルカが速く泳げる主な理由は力だけではないようです。そのかぎは,ほとんど抵抗を起こさずなめらかに水中を通り抜けるイルカの能力にあります。それは,跡を消してしまうような泳ぎ方にだけではなくイルカの特別な皮膚に起因しています。小さくて伸縮性のある無数の支柱の上の皮膚は,ショック・アブソーバの役目を果たします。また,“自動閉塞”として知られる作用により,皮膚の表面の摩擦が小さくなります。皮膚にすり傷やきり傷ができると,皮膚から出た脂が傷の中に流れ込んでイルカの流線形の皮膚を元通りにし,出血が続くのを防ぎます。
イルカの皮膚細胞が素速く補充されることをふまえ,急ぐときにイルカは“その皮膚から抜け出る”(英語では“驚いて飛び上がる”の意)といわれます。といっても文字通りに抜け出るのではなく,皮膚細胞を脱いで摩擦を少なくするという意味です。
イルカは海生生物ですから,食物を得るためにしばしば深い海に潜らなければなりません。イルカは,五分以上も水深二百㍍のところにおり,それからすぐに海面に浮上して呼吸をします。
人間にはそのような離れ技はできません。それは深海では大きな圧力がかかるからだけではなく,空気塞栓症にかかる恐れがあるからです。この病気は,周囲の水圧によって潜水者の血液中に窒素が入り込み,急激に浮上した場合には血液が“沸騰”してしまう,往々にして命取りになりかねない病気です。人間にはできないことがイルカにできるのはなぜでしょうか。
それには幾つかの要因があります。潜水するときには,イルカの心臓の拍動数は半分に下がり,脳や心臓など,生命を維持するための器官にだけ酸素が供給されます。その結果,空気の必要量が減ります。とりわけ興味深いのは,肺の空気の90%を自由に外に出せるという,人間にはまねのできないイルカの能力です。残った窒素はすべて,その後,肺でできる乳液の中に吸収され,イルカが呼吸をするために浮上するときでも害を及ぼさないよう除去されます。水圧に関しては,イルカの肋骨の骨組みが非常に伸縮性に富んでいるため,深いところで圧縮されても害を被ることはありません。
人間は水分の必要を満たすのに海水に依存することはできませんが,イルカはそうすることができます。なぜでしょうか。海水には,1㍑につき35㌘の塩分が含まれています。これは,人間の腎臓には処理し切れない分量です。人間の腎臓は22㌘の塩分しか除去することができません。それゆえ,人間が海水を飲むなら,のどのかわきが増し,脱水症状が起きて死を早めるに過ぎません。しかし,イルカにとっては何の造作もありません。海洋という環境向きに造られた腎臓は非常に多量の塩分を除去できるので,イルカは海水を飲んでも何ともないのです。
イルカのもう一つの顕著な特徴は,どんなに強い人でも中に入ればわずか数分で死んでしまうような氷水の中で常温を保てる能力です。なぜそのようなことができるのでしょうか。
イルカには,休んでいるときでさえ,いつもといっていいほど動き続ける能力があります。水面近くでゆったりとくつろいでいる時も,寝ているように見える時も,イルカは時折水から頭を出して,強力な尾で水をかきながら前進します。そうすることにより,呼吸ができるだけでなく,必要な熱を発生させることができるのです。しかし,この貴重な熱も,イルカの体に組み込まれている他の二つの特性がなかったなら,すぐに逃げてしまうことでしょう。その特性とは,絶縁体となる厚さ2㌢の脂肪の層と,皮膚の表面に流れる血液を抑止するイルカの能力です。
それだけでなく,イルカは,その巨体や猛烈なスピードにもかかわらず,驚くべき方法で,水中の障害物を避けることができます。それにはこの動物の優れた視力が一役買っています。
しかし,深海の暗闇の中で移動したり獲物を見いだしたりするイルカの特殊技能は,鋭い視力では説明がつきません。
イルカに元来備わっている水中探知機つまり反響位置決定装置も,このほ乳動物が障害物を避ける助けになっているという証拠があります。高周波で一連のピューという音やカチッという音を放ち,
それが何かに当たったしるしとして届いた反響音を分析することにより,距離と,その反響音の原因となっている障害物の性質を確かめることができるのです。この動物には嗅覚器官が備わっておらず,においで獲物を見つけることができないので,
この水中探知装置は生きてゆくのに必要不可欠なものです。実験で一時的に視力を奪われたときでさえ,イルカは同じ大きさの二種類の魚を正確に識別し,食べたい方の魚を捕まえることができました。反響音を分析するイルカの能力は非常に絶妙なものであるため,大きさは同じでも比重の異なる金属物質を識別することができました。そのすべてを目を閉じたまま行なったのです。
前述の実験期間中,研究者たちは,イルカが人間の命令にすぐに従うことを学べることに驚嘆させられました。このほ乳動物が優れた学習能力をもっており,多種多様な音を発するため,イルカは話をするかどうかということが問題になりました。
イルカは話をすることができるか へ続く>>>
*画像は無料フリー素材