4.59 Rubik's Cube World Record - SeungBeom Cho
Lindsey Stirling - Live From London (2015)
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160㎏の減量に成功した女性 脚の見た目をバカにされ、つづる思いが胸を打つ
一部引用
体重減量と引き換えにジャックリーンさんは、Instagramで「きっと大勢が知らないことだと思う」
と前置きし、自身のダイエットで起きた副作用を明かしました。
プールサイドに座っていた夫婦が、彼女の身体を見て指さし、笑ってきたのです。
ジャックリーンさんは、夫婦に対し、意外な行動で対処しました。
私は深呼吸して、夫婦にほほ笑み返しました。
その瞬間、心のモヤモヤがスッと消えていくような心地がしました。私はもはや、226㎏の女の子ではないのです。
確かに私はまだ、たるんだ肌を持っています。不安を感じる日だってあるけれど、私は楽しい毎日を過ごしているのです。
正直にいうと、私は周囲の反応にとても悩んでいました。しかし、これからは私をバカにする人のことを気にしないようにします!
知らない人に私の人生を決められるいわれはありません。彼らは私のことを何も知らないのですから。
彼らは私が160㎏もの体重を減量するために、どんなに大変な思いをしたかを知りません。
彼らは私が大きな手術をし、回復に時間をかけたことだって知らないのです。
彼らには、指をさして私を笑う権利はありません!だから、私はほほ笑んだのです。
動物 聖書の見方
動物は,ほとんどすべての人の生活に,多かれ少なかれ影響を与えています。わたしたち人間には,動物をどう扱うかに関し,責任があるのでしょうか。
人間は動物をどう扱うべきですか
一般的な考え
思いどおりに利用してよい,と考える人もいれば,人間と同じように扱うべきだ,と考える人もいます。
動物の権利に関する,ある著名な活動家は,動物にも「専ら資源や商品として扱われることのない基本的権利」があるはずだと論じ,
「我々は間種の動物を自分の所有物として扱うことをやめるべきである」とも述べています。
多くの人から極端とみなされている例もあります。
億万長者のレオナ・ヘルムズリーという女性が,飼い犬のための信託基金として1200万㌦(約13億2000万円)を残し,その犬が死んだら自分の隣に葬るようにと遺言したのです。
どう思いますか: 動物はどう扱われるべきでしょうか。
聖書の教え
命の創造者・神(ヤハウェ,エホバ)は人間に,「海の魚と天の飛ぶ生き物と地の上を動くあらゆる生き物を服従させよ」とお告げになりました。
(創世記 1:28)
ですから,神の見方によれば動物より人間のほうが上位にある,と結論するのは理にかなったことです。
この結論は,いま引用した聖句の前の節にある意味深い言葉からも,納得できます。聖書のその言葉によれば,
「神は人をご自分の像(かたち)に創造してゆき,神の像(かたち)にこれを創造された。男性と女性にこれを創造された」のです。
(創世記 1:27)
わたしたち人間は「神の像に」創造されているので,知恵,公正,愛といった,神に似た特質を示す点で特異な存在です。
また人間には生来,道徳性や霊性を発揮する能力があります。人間のそのような能力は動物にはありません。
動物は,「神の像に」創造されていないからです。人間より下位にあり,人間と同等の扱いを受けるようには造られていないのです。
【しかしそれは,人間には動物を好きなように扱う権利がある,ということではありません】
神は,イスラエル人に授けた律法の中に規定を設け,動物が休息や食物を与えられ,苦しんでいる時には助けられ,危害から保護されるようになさいました。
「あなたの敵の牛とか,ろばで、迷っているのに出会った場合,必ずそれを彼のところに返さなければならない。
あなたを憎んでいる者のろばが,荷物の下敷きになっているのを見た場合,それを起こしてやりたくなくても,必ず彼といっしょに起こしてやらなければならない」。
(出エジプト記 23:4,5)
「あなたは牛とろばを一緒にしてすき返してはならない」。
「あなたは,脱穀している牛にくつこを掛けてはならない」。
(申命記 22:10; 25:4)
「六日の間あなたは自分の仕事をする。しかし七日目にはそれを行なわない。あなたの牛やろばが休むためである」。
(出エジプト記 23:12)
動物を殺すのは間違ったことですか
一般的な考え
獣や鳥や魚などを獲る人たちの中には,追いかけたり捕まえたりすることにスリルを感じ,娯楽として殺す人もいます。
一方,ロシアの小説家で,動物を殺して食べるのは「全くの背徳」であると書いた,レフ・トルストイの意見に賛同する人たちもいることでしょう。
聖書の教え
神は人間に,人の命を守るため,あるいは衣服を作る目的で動物を殺すことを許しておられます。
「「また,牛が男または女を突いてその者が死んだ場合,その牛は必ず石打ちにされる。そしてその肉を食べてはならない。その牛の所有者は処罰を受けない」。
(出エジプト記 21:28)
「ところで,ヨハネはらくだの毛をまとい,革の帯を腰に巻き,いなごと野蜜を食べていた」。
(マルコ 1:6)
聖書によれば,動物を殺して食物にすることも認められています。
創世記 9章3節に,「生きている動く生き物はすべてあなた方のための食物としてよい」とあるとおりです。
イエスも弟子たちが食用として魚を獲るのを助けたことがあります。
『イエスが彼らに言う,「幼子たちよ,パンと一緒に食べるさかながないのだろう」。彼らは「ええ」と彼に答えた。彼が彼らに言った,「網を舟の右舷に打ちなさい。そうすれば見つかるだろう」。そこで,打ってみた。
すると魚が多くて,もうそれを引き上げることができなかった。シモン・ペトロが舟に乗り,網を岸に引き上げた。網は百五十三匹の大きな魚で一杯であった。それほどであったのに,網は裂けてはいなかった』。
(ヨハネ 21:4~13)
とはいえ,聖書によれば,神は「暴虐を愛する者を必ず憎」まれます。
「主(神)は正しき者をも,悪しき者をも調べ,そのみ心は乱暴を好む者を憎まれる」。
(詩編 11:5)
ですから当然,人が単に娯楽として動物を傷つけたり殺したりする,あるいは面白半分にそうすることは,望んでおられません。
聖書は,神が動物の命を貴重なものと見ておられることを示しています。
創造の際「神は,地の野獣をその種類にしたがい,家畜をその種類にしたがい,地面のあらゆる動く生き物をその種類にしたがって造ってゆかれた。
そして神はそれを良いとご覧になった」と書かれています。
(創世記 1:25)
神に関して,「神は獣に,鳴きつづける幼い渡りがらすに,食物を与えておられる」と述べられています。
(詩編 147:9)
神は動物に適した生態系を造って,必要な食物や住みかが十二分にあるようにされたのです。
イスラエルのダビデ王は祈りの中で,「神よ,あなたは人と獣とを救われます」と述べました。
(詩編 36:6)
神が,全地を覆う大洪水をもたらして邪悪な人々を滅ぼす前に,8人の人間とあらゆる種類の動物を保護されたことなどは,その一例です。
「またすべての生き物,すべての肉なるものの中から,それぞれ二匹ずつ箱舟に連れてはいり,あなたといっしょに生き残るようにしなさい。それらは、雄と雌でなければならない」。
(創世記 6:19)
ですから明らかに,神は動物を良いものと認め,人間が動物を適正に扱うよう期待しておられます。
「義なる者はその家畜の魂(命)を気遣っている」。
(箴言 12:10)