ういろう(外郎)
日本の蒸し菓子の一種。
「外良」、「ういろ」、「うゐろ」、「ういらう」、「うゐらう」などの表記が用いられることもある。外郎餅(ういろうもち)とも言う。
以下、蒸し菓子(外郎餅)を「ういろう」、薬(透頂香)を「外郎薬」と表記して区別する。
ういろうは、典型的には米粉などの穀粉に砂糖と湯水を練り合わせ、型に注いで蒸籠で蒸して作る。
穀粉には米粉(うるち米、もち米)、小麦粉、ワラビ粉などが用いられ、砂糖には白砂糖、黒砂糖などが用いられる。
小豆あん、抹茶など、さまざまなものが加えられることも多い。室町時代のころから存在する黒砂糖を用いた「黒糖ういろう」が本来の姿と考えられている。
ちなみに、「ういろう」や「外郎」は普通名詞であり、発祥に関わりない第三者による商標登録も認められている。
ういろうの起源については、
江戸時代の百科事典『和漢三才図会』にも見られる、色(黒色)が外郎薬(透頂香)に似ていることから「外郎(ういろう)」と呼ばれる菓子になったという説。
当時の中国から博多に亡命した陳宗敬の子、宗奇が足利義満の招請で上洛して外郎薬を献上した際に、口直しに添えた菓子に由来するという説。
以上の2説が通説となっている。
以上から、日本におけるういろう発祥の地は、前説を採れば不詳、後説を採れば外郎家初代宗敬の在住した博多、
または、2代目宗奇が在住し、ういろうを初めて世に知らしめた京都となる。一方、小田原をういろう発祥の地とする説が唱えられることがあるが、
これは間違いで、ういろうの元祖を標榜する外郎家の末裔(小田原外郎家)が現在、小田原市に存在することから生じた誤解である。
小田原外郎家自身もういろう発祥の地を小田原としていない。なお、宗敬が在住した妙楽寺(福岡県福岡市)では、「ういろう伝来之地」の石碑が1987年(昭和62年)に建立されている。
また、発祥に関する独自の伝承が存在する地域もある。
*【陳宗敬】1322-1395 元(げん)(中国)の医師。
至治2年生まれ。元の滅亡で応安(1368-75)のころ博多に亡命,医を業とした。
室町幕府の招きに応じず,筑前(ちくぜん)(福岡県)崇福寺で出家した。元では礼部員外郎(ういろう)だったので,以後代々陳外郎と称した。
応永2年7月2日死去。74歳。台州出身。名は延礼。法名は明照。通称は順祖。
薬(透頂香)・「外郎薬」
ういろうは、仁丹と良く似た形状・原料であり、現在では口中清涼・消臭等に使用するといわれる。
外郎薬(ういろうぐすり)、透頂香(とうちんこう)とも言う。中国において王の被る冠にまとわりつく汗臭さを打ち消すためにこの薬が用いられたとされる。
江戸時代には去痰をはじめとして万能薬として知られる。
現在も外郎家が経営する薬局で市販されているが、購入には専門の薬剤師との相談が必要である。
【各地のういろう】
江戸時代にはすでに日本各地に製法が広まり、製造販売が行われるようになっていた。
現在でも各地の名物となっていることが確認できる。原材料や製法は、製品や地域によって変化に富み、味、食感、見た目にはさまざまなものが存在する。
世間的には名古屋銘菓の代名詞のような扱いをされているが、他にも小田原市・京都市・山口市のものが比較的知名度が高い。
小田原
外郎薬を製造する小田原外郎家は、外郎家(京都外郎家)の分家として1504年(永正元年)に成立した。
家祖は宇野定治(定春)で、本家4代目の祖田の子とされる。
以後、京都の本家とともに外郎薬の製造を代々行ってきたが、江戸時代の元禄年間頃に本家が衰亡した後は、小田原外郎家が独占的に外郎薬を製造するようになり、
現在に至っている。
ういろうは京都の本家2代目の宗奇が考案し、外郎薬とともに製法が代々伝えられたとの伝承がある。
小田原外郎家は元々薬屋であったため、ういろうに付いてくる説明書きには、胃腸の弱かったり病後の人間や成長期の子供、産婦なども安心して食べられる「栄養菓子」と記載されている。
なお小田原城近くの本舗(本店)は、和菓子店や薬局として営業しているほか、1885年(明治18年)の蔵を利用した小規模の博物館を併設している。
*室町時代に日本に帰化した医師・陳宋敬の子孫を称する。
元の礼部省外郎の職にあった陳宋敬は,応安年間(1368~75)日本に亡命し,博多で医を業とした。
その子・陳宋奇は足利義満の招きで上洛し,遣明船に乗り秘薬「透頂香」を伝える。以後,子孫は外郎家を称した。宋奇の孫・定治は北条早雲の招きで永正1(1504)年小田原に移る。
「透頂香」は医薬品や消臭剤として用いられていたが,陳氏が北条氏綱に献上して以来,小田原名物外郎となった。
名古屋
名古屋ういろうでは、うるち米からできる米粉を主原料として用いるのが一般的である。庶民的な店では黒砂糖を使ったものも多くみられる。
名古屋のういろうの老舗 青柳総本家 1879年(明治12年創業)が製造販売する「青柳ういろう」は、日本一の販売量を誇る。
砂糖(しろ)・黒砂糖(くろ)・抹茶・小豆(上がり)・さくらのほか、さまざまな種類が楽しめる。「青柳」の屋号は徳川慶勝から贈られた。
1931年(昭和6年)に名古屋駅の構内とプラットホームでういろうの立ち売りを始めた。
1964年(昭和39年)に東海道新幹線が開通した後は、青柳ういろうだけが全列車内での車内販売を許されたことから、名古屋ういろうが全国的に知られるようになった。
昭和43年に業界に先駆けてういろうのフィルム充填製法を開発。
ういろうの包装技術を進化させることで、出来たての風味を閉じ込めういろうの日持ちを伸ばすことに成功し、ういろうの土産需要に貢献した。
昭和56年には業界初のひとくちサイズのういろうを発売。青柳ういろうの有名なローカルCMソングは多くの人に親しまれている。
伊勢
伊勢地方では、伝統的に黒砂糖を用いたういろうが食されていた[18]。「虎屋ういろ」は、1938年(昭和13年)にういろう専門店となり、製造販売を行っている。
原材料に小麦粉を使用するため、やや固めの食感になる。加える材料などで35種類程度のバリエーションがある。
京都
1855年(安政2年)創業の五建外良屋が「五建ういろ」の製造販売を行っている。
また、茶席などで提供される主菓子(上生菓子)ではういろう皮を使ったものも多数作られていたり、ういろうのちまきも作られている。
「水無月」の名前は京都菓子工業組合が商標登録をしている。
神戸
「長田のういろや」は1877年(明治10年)と非常に古くからういろうを作り続けている老舗である。まだ温かい作りたてが購入出来、長田神社の参拝者が多く並んでいる。
「長田のういろ」として知られており、「白ういろ」と「抹茶ういろ」がある。
米粉と砂糖と葛粉を使った「ういろ」であり、もっちりとしていて他の地域のういろうと比べてかなり柔らかい独特の食感が特徴である。
山口
山口のういろうはワラビの粉に砂糖を加え、蒸して作られる。小豆、抹茶等が加えられることもある。
他の地方のういろうと異なり、わらびもちを彷彿とさせる、くせのないとろりとした食感が特徴である。
山口県下では山口市だけでなく、県下の多くの地域でういろうが作られており、他に岩国市(ふるたのういろう)などが、ういろうが名物である都市として知られる。
また周南市もかつてはういろうが名物であった(原要うい郎、2006年(平成18年)5月に廃業)。なお、現在では山口県内のどの新幹線駅売店でも手軽に購入できる。
山口ういろうは、室町時代に周防山口の秋津治郎作が現在の製法を考えたとする説もあるが、歴史的経緯について詳しいことは分かっていない。
史実として確認できる最も古い例としては、福田屋が現在の山口市大内御堀の萩往還沿いで戦前からういろうの販売を行っており、中原中也もよく食べていたとされる。
しかしながら、福田屋は太平洋戦争で後継者をなくし、廃業してしまう。
その後、その福田屋の職人だった人物が御堀堂を、福田屋のういろうをよく食べていた人物が豆子郎を創業し、山口ういろうの味が現在まで受け継がれることとなった。
徳島
「阿波ういろ」と総称される。
阿波ういろ(あわういろ)は、徳島県徳島市を中心に作られる「ういろう」の総称。外郎餅。
阿波ういろは、大納言小豆、餅粉・米粉・砂糖等で作られており、独特のもっちりとした食感と小豆の深い味が特徴である。
種類には鳴門の塩を用いたものや鳴門金時や栗を用いた「栗ういろ」、こしあんを混ぜて棒状に加工した「棒ういろ」等がある。
砂糖の代わりに和三盆、地元産の阿波和三盆糖が使われることもある。
寛政年間(1789年 - 1800年)にサトウキビ栽培が阿波国(現在の徳島県)に伝わり、それをもとに作られた阿波和三盆糖が出来た御祝いとして、
徳島藩主や領民一同が旧暦3月3日の節句のときに食したのが始まりと云われている。爾来、旧暦3月3日の節句の際には、阿波ういろを食すのが地元では習慣となっている。
徳島県においては、和三盆を用いたものや、漉し餡を混ぜて、棒状に加工した「棒ういろ」、「一口ういろ」、栗を用いた「栗ういろ」などが作られている。
七五三などの行事の際に自宅で作ることもあったという。
宮崎
1877年(明治10年)頃から、旅館を営んでいた鈴木サトが売るようになったといわれる。宮崎市の観光地・青島で売られるようになった。
うるち米と砂糖を使った「白ういろう」と、黒砂糖を使った「黒ういろう」があり、昔ながらの経木に包まれている。
もともと賞味期限が1日程度しかなく、買って帰ってその日に食べきれない分は処分せざるを得なかった。
今では、真空技術が進み、保存料を使わず賞味が長期間になった為、遠方のファンも出来たての味を楽しめる様になった。
最近では主原料も宮崎県産米で作られた地元原料にこだわる日向夏や宮崎マンゴー味、都城茶味、都農町ではトマト味も販売されている。
~Wikipedia~




2017-10-31の再掲