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化学物質 ― 友であり敵でもある?

2021年08月31日 | 日記

化学物質 ― 友であり敵でもある?

わたしたちは日常の生活で多くの決定をしますが,そのさいには物事の長所と短所をよく比較します。例えば,多くの人は,その便利さゆえに自動車を購入します。
しかし,便利さの反面,車の所有に伴う負担として,保険,登録諸費用,減価償却,また走行できる状態にしておく経費も考慮に入れなければなりません。
自動車事故によるけがや死の危険も念頭に置くべきです。それぞれの長所と短所をよく比較しなければならないという点では,合成化学物質についても同じようなことが言えます。
例えば,MTBE(メチル・ターシャリー・ブチル・エーテル)という化学物質について考えてみましょう。これは,燃料の燃焼効率を上げ,車の排気ガスを減らすために添加される物質です。

一つにはMTBEのおかげで,米国の多くの都市の空気はここ数年,かつてなくきれいになっています。しかし,きれいな空気には「それなりの代償が伴う」と,ニュー・サイエンティスト誌(英語)は伝えています。
なぜなら,MTBEは発ガン物質である可能性が高く,幾万もあるガソリンの地下貯蔵タンクから漏れ出して地下水を汚染している場合が多いからです。
その結果,ある町では水道水の82%を外部から得なければならず,そのために毎年350万㌦(約5億円)をかけています。
ニュー・サイエンティスト誌は,この災害が,「今後何年もの間,米国の地下水汚染危機の中でもとりわけ深刻なものになる可能性がある」としています。

化学物質の中には,環境や健康に大きな危害を与えるため,禁止されて市場から完全に取り除かれたものもあります。しかし,『なぜそういうことが起こるのだろうか。
新しい化学物質はすべて,徹底的に毒性試験を行なってから市場に出されるのではないのか』と尋ねる方もおられるでしょう。

 

毒性試験の問題点

実は,化学物質の毒性を調べる試験は,科学と憶測を織り交ぜたようなものです。
「リスク査定者は,いかなる化学物質にさらされることについても,“安全な場合”と“安全でない場合”とを明確に区別する方法を知らない」と,ジョセフ・V・ロドリックスは自著「計算されたリスク」(Calculated Risks)の中で書いています。
それは,人工的に合成されることの多い医薬品についても同じです。ワールドブック百科事典(英語)は,「最も精密な試験を行なっても,医薬品が予期せぬ有害な影響をもたらす可能性をすべて洗い出すことはできない」と述べています。

実験室には,その性質上一定の限界があります。例えば,多様で複雑な外の世界で化学物質がどのように働くかを完全に模擬実験することはできません。
実験室外の世界には,幾百,いえ幾千種類もの合成化学物質があふれており,その多くは互いに反応し合ったり,生体に作用したりすることがあります。それらの化学物質は,それ自体は無害であっても,人体内もしくは体外で他の物質と結合すると,新しい有毒化合物を生ずることがあります。中には,人体内での代謝によって処理されて初めて有毒に,さらには発ガン物質になるものさえあります。

こうした難問があるなかで,リスク査定者たちはどのようにして化学物質の安全性を見極めようとしているのでしょうか。これまで行なわれてきた通常の方法は,実験動物にその物質を一定量与え,
その結果を人間に当てはめてみることでした。この方法はいつも信頼できるのでしょうか。

 

動物実験は信頼できるか


毒性試験に動物を用いることは,動物に対する残虐行為という倫理上の問題を生んでいますが,ほかにも幾つかの問題を生じさせています。例えば,化学物質に対する反応は動物によって大きく異なる場合が少なくありません。
雌のモルモットは猛毒のダイオキシンを少量投与されるだけで死亡しますが,ハムスターはその5,000倍の量でなければ死にません。ラットやマウスといった非常に近接した動物種についてさえ,反応の異なる化学物質が多くあります。

もしある動物種の反応から別の種の反応を正確に予測できないのであれば,研究者たちは特定の化学物質が人間に安全であると,どれほどの確かさで言えるでしょうか。実のところ,研究者たちも正確には分からないのです。

化学者にとっては本当に大変な仕事です。自分たちが造り出した製品を欲しがる人たちを喜ばせ,動物の福祉を気遣う人たちをなだめ,なおかつ製品の安全性に関して自分の良心を満足させなければなりません。こうした理由から,現在,培養した人間の細胞を使って化学物質の毒性試験を試みている研究所もあります。しかし,それにより安全性に関して信頼できる保証が得られるようになるかどうかは,時の経過を待たなければならないでしょう。

研究室の試験が機能しない時

今でも環境に幅広く残留している殺虫剤のDDTは,発表当時には,安全であると不正確な宣言のなされた化学物質の一例です。科学者たちは後に,DDTが,生体内に蓄積しやすいことを知りました。
毒性を持ち得る他の物質の場合と同様です。どのような悲しい事態が生じているでしょうか。食物連鎖は膨大な数の微小な生物,次いで魚類,そして最終的には鳥類やクマやカワウソなどによって構成されますが,それはさながら生物界の漏斗のようにして最終的捕食者の体に毒物を集中させてゆきます。ある場合など,水鳥であるカイツブリの一群は,10年余りのあいだ1羽のひなもかえすことができませんでした。

こうした生物学的な漏斗は極めて効率がよく,水中ではほとんど検出されないような化学物質でも,最終捕食者のもとへは驚くほどの量が濃縮されて集まることがあります。
北米のセントローレンス川に生息するシロイルカはそのよい例です。そこのシロイルカの毒物レベルは余りにも高く,死ぬとその体は有害廃棄物として処理されなければなりません。

多くの動物の体内に残存したある種の化学物質は,ホルモンに類似した働きをすることが分かっています。そして,科学者たちはごく最近になって,それらの化学物質が知らない間に有害な影響を及ぼす場合のあることに気づくようになりました。

 

ホルモンのような働きをする化学物質 へ続く>>>

 

 

             

 


【公式】#武田教授 2021年8月30日 学問として正しいコロナとワクチン(その3) PCR検査言論が統制されているが、1)実績のある学者が 2)データや従来の知見に基づき 3)繰り返し述べていて…

2021年08月31日 | 日記

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女性の直面する厳しい現実 Ⅵ   女性に対する神の見方を偽って伝える ~ 聖書

2021年08月31日 | 日記


女性に対する神の見方を偽って伝える

 

モーセの律法下では,女性たちも誉れある立場を得ており,女性の種々の権利は尊重されていました。
しかし,西暦前4世紀以降,ユダヤ教が,女性を劣った存在とみなすギリシャ文化の影響を受けるようになりました。*脚注

例えば,ギリシャの詩人ヘシオドス(西暦前8世紀)は,人類の抱える問題すべてを女性のせいにしました。
自著「神統記<テオゴニア>」の中で,「死すべき男たちのただ中にいて非常に厄介な問題を引き起こす,女性という極めて危険なやから」について述べています。
そうした思想が西暦前2世紀初期にユダヤ教に取り入れられました。西暦2世紀以降にまとめられたタルムードは,男性に,「女性とあまり会話してはならない。必ずや不品行につながるからである」という警告を与えています。

そうした不信感は,これまで幾世紀にもわたり,ユダヤ人社会における女性の役割に深刻な影響をもたらしてきました。イエスの時代にはすでに,神殿境内で女性が入れるのは,“婦人の中庭”まででした。宗教 教育は男性しか受けられず,会堂内で女性は男性とは分けられていたようです。タルムードは,あるラビの「だれでも自分の娘にトーラー[律法]を教える者は,淫らなことを教えている」という言葉を引用しています。
ユダヤ人の宗教指導者たちが神の見方を偽って伝えたため,多くの男性が女性蔑視の態度を取るようになりました。

イエスは地上にいた時,そのような偏見に気づいていました。そうした偏見は伝統に深く根づいていました。

「『父や母を敬わなくてよい』。そのようにして,自分たちの伝統によって神の言葉を否定しています」。
(マタイ 15:6)

「私を崇拝し続けても無駄である。人間の命令を教理として教えるからである」。
(マタイ 15:9)

『白い石(雪花石膏)のつぼに入った高価な香油を持った女性が近づき,食事をしていたイエスの頭に注ぎ始めた。これを見た弟子たちは,憤って言った。「もったいないではないか。これなら高く売れて,貧しい人たちに施しをすることができたのに」。イエスはこれに気付いて弟子たちに言った。「なぜこの女性を困らせようとするのですか。私に立派なことをしてくれたのです。貧しい人たちはずっといますが,私はずっといるわけではありません』。
(26:7~11)


それは,女性に対するイエスの接し方に影響を与えたでしょうか。イエスの振る舞いや態度からどんなことを学べるでしょうか。真のキリスト教は女性に安らぎをもたらしてきたでしょうか。


脚注
古代の書に見られる女性差別
西暦1世紀以降,アレクサンドリアのフィロンなどの著述家たちが,創世記の記述をギリシャ哲学に基づいて解釈し直すようになりました。
フィロンの解釈によれば,エバは性的な罪を犯し,それゆえに「完全に自由を奪われ,自分の伴侶である男性に服従する」人生を送るように定められました。そのような女性蔑視の態度は,ユダヤ教に,そして教会教父たちの書にも浸透してゆきました。

西暦2世紀のユダヤ教の書物「ミドラシュ・ラバ」の中で,あるラビは,女性にベールをかぶらせるべきだと考える理由を,「女性は,間違ったことをしたため恥じて人目を避ける者に似ている」からである,と述べています。
やはり2世紀ごろ著書によって影響力を及ぼした神学者テルトゥリアヌスも,女性は「エバであるかのように,嘆き,悔い改めつつ」歩き回るべきだ,と教えました。
そのような教えが,多くの場合,間違って聖書の教えとみなされ,女性に対する差別を相当助長してきました。

 

                            


女性の直面する厳しい現実 Ⅴ 種々の権利を保護されていた ~ 聖書

2021年08月31日 | 日記

女性の直面する厳しい現実 Ⅴ


種々の権利を保護されていた

 

神は,聖書の中でご自身を「父なし子の父,やもめの裁き主」と描写しておられます。つまり,父親または夫の庇護を受けられなくなった人たちの権利を守られたのです。

「孤児の父,やもめを保護する方,それは聖なる住まいにいる神」。
(詩編 68:5)

「あなたがたの神である主は,神の神,主の主,大いにして力ある恐るべき神にましまし,人をかたより見ず,また,まいない(賄賂)を取らず,みなし子とやもめのために正しいさばきを行い、また寄留の他国人を愛して,食物と着物を与えられるからである」。
(申命記 10:17,18)

ですから,ある預言者のやもめが債権者から不当な扱いを受けていた時など神(エホバ,ヤハウェ)は奇跡をもって介入し,そのやもめが生き延びて尊厳を保てるようにされました。

『預言者の子たちの妻の1人がエリシャに訴えるように言った。「私の夫が死にました。よくご存じのように,夫は神(エホバ,ヤハウェ)をずっと畏れていました。でも,債権者が来て,私の2人の子供を連れ去って奴隷にしようとしています」。 エリシャは彼女に言った。「そうでしたか。何かしましょう。あなたの家には何があるか,教えてください」。彼女は答えた。「私の家には,油のつぼ以外,何もありません」。エリシャは言った。「外に行って,近所の人たちみんなからつぼを借りてきてください。空のつぼを,できるだけ多くです。それから家に入り,戸を閉じてあなたと息子たちだけになり,全てのつぼに油を注いでください。いっぱいになったものは脇に置いてください」。それで彼女は去っていった。彼女が戸を閉じて自分と息子たちだけになると,息子たちはつぼを手渡し,彼女は油を注いでいった。つぼがどれもいっぱいになると,彼女は息子の1人に,「つぼを持ってきて」と言った。しかし息子は,「つぼはもうないよ」と言った。すると油は止まった。彼女が真の神に遣わされた人の所に行って報告すると,こう告げられた。「その油を売りに行き,負債を返済しなさい。その残りであなたと息子たちは生活していけます」』。
(列王第二 4:1~7)

イスラエル人が約束の地に入る前,家族の頭であったツェロフハドは,息子を一人も残さずに死にました。それで,5人の娘たちはモーセに,『わたしたちにも約束の地での「所有地」をお与えください』と訴えました。それに対して神(エホバ,ヤハウェ)は,この女性たちにも公平な扱いをするようモーセに命じ,『その者たちに,父の兄弟たちの中にあって相続分としての所有地を得させなさい。その父の相続分を彼女たちに渡すように』とお告げになりました。
以来,イスラエルの女性たちは,父親から相続分を受けて自分の子孫に継がせることができるようになりました。

『ヨセフの子マナセの氏族であるツェロフハドの娘たちが進み出た。ツェロフハドはマナセの子,マキルの子,ギレアドの子ヘフェルの子であった。娘たちの名はマフラ,ノア,ホグラ, ミルカ,ティルツァといった。彼女らは会見の幕屋の入り口で,モーセ,祭司エルアザル,指導者たちおよび全会衆の前に立って言った,「わたしたちの父は荒れ野で死にましたが,主(神)に逆らって結束したコラの仲間たちではありませんでした。自分の罪によって死にましたが,父には息子がありませんでした。父に息子がなかったからといって,なぜ,わたしたちの父の名がその氏族の中から除かれなければならないのですか。父の兄弟たちと同じように,わたしたちにも所有地を与えてください」。モーセは彼女らの訴えを主の前に出した。すると主(神)はモーセに次のように告げられた,「ツェロフハドの娘たちの言い分は正しい。お前は彼女たちに,その父の兄弟たちと同じように,相続する所有地を必ず与えよ。彼女らにその父の相続地を譲与せよ。そして,イスラエルの子らに次のように言え,『人が死に,その者に息子がない時は,その相続地を娘に譲与せよ』。
(民数記 27:1~8)