同性愛を正当化できる根拠はあるか
『遺伝,育った環境,性的虐待などによるトラウマのせいで,同性愛的な欲求に屈するのは仕方ないのではないか』と考える人もいるかもしれません。
しかし,それは間違っています。次の例を考えてみてください。ある人は,一部の科学者の言うアルコールの乱用に関係する遺伝的傾向を持っているか,
アルコールの乱用が日常的だった家庭で育ったかもしれません。
大抵の人は,そのような人に同情するでしょう。とはいえ,そういう傾向を持って生まれた,あるいはそういう環境で育ったからといって,その人にアルコールを乱用し続けるよう勧めたり,
乱用を克服する努力をやめるように言ったりはしないことでしょう。
同じように,聖書は同性愛的な傾向に悩まされている人をとがめてはいませんが,そうした傾向が遺伝によるものであれ,他の要因によるものであれ,それに屈することを決して容認していません。
「私には次の法則が当てはまります。正しいことをしたいと願うのに,自分の中に悪がある,ということです。私は,内面では神の律法を本当に喜んでいます。しかし,体の中で別の律法が,
考えを導く律法と戦い,私を捕らえて体の中にある罪の律法に従わせているのが分かります。私は実に惨めな人間です! こうして死につつある体から,誰が私を救ってくれるでしょうか。
私たちの主イエス・キリストを通して救ってくださる神に感謝します! このように,私自身,考えにおいては神の律法の奴隷ですが,体においては罪の律法の奴隷なのです」。
(ローマ 7:21~25)
「自分の体を打ちたたき,奴隷にして従わせます。人々に伝道しておきながら,私自身が何かのことで退けられないためです」。
(コリント第一 9:27)
むしろ,同性愛の習慣を持つ人がそれを克服できるよう,実際的な助けや励ましを差し伸べています。
同性愛的な欲求を持つ人に神は何を望んでおられるか
聖書に示されているように,神は「あらゆる人が救われて,真理の正確な知識に至ること」を望んでおられます。
(テモテ第一 2:4)
聖書は同性愛行為を非としていますが,同性愛者を憎むように勧めたりはしていません。
同性愛に対する神の見方は,都合よく解釈できるようなものではありません。
聖書のコリント第一 6章9,10節には,「男どうしで寝る者」は「神の王国を受け継がない」とはっきり述べられています。
しかし,続く11節は慰めとなります。
「とはいえ,あなた方の中にはそのような人たちもいました。しかし,あなた方は洗われて清くなったのです。神聖な者とされたのです。わたしたちの主イエス・キリストの名において,
またわたしたちの神の霊をもって,義と宣せられたのです」。
神に喜ばれる仕方で神を崇拝したいと誠実に願った人たちは,初期クリスチャン会衆に温かく迎え入れられました。今日でも同様です。
神の是認を求める誠実な人たち ― 聖書を解釈し直すのではなく,聖書に調和した生き方をする人たち ― は皆,神に受け入れられるのです。
考えたことがありますか
● 同性愛行為に対する聖書の見方はどのようなものですか。
「それで,神は彼らが恥ずべき性欲に溺れるままにしました。女性は自然に反して女性同士で関係を持ち,男性も女性と自然な関係を持つ代わりに男性同士で欲情を激しく燃やし,みだらなことを行って十分な罰を受けました。過ちに対して当然の罰です」。
(ローマ 1:26,27)
● 聖書は同性愛的な欲求を持つ人を差別していますか。
「神は,あらゆる人が救われて,真理の正確な知識を得ることを望んでいます」。
(テモテ第一 2:4)
● 欲求があっても同性愛行為をしないでいることはできますか。
「正しくない人が神の王国を授けられることはない,ということを知らないのですか。思い違いをしてはなりません。性的に不道徳な人,偶像を崇拝する人,姦淫をする人,
同性愛行為に身を任せる人,同性愛にふける人, 盗む人,貪欲な人,酩酊する人,ののしる人,脅し取る人が神の王国を授けられることはありません。皆さんの中には,
以前そのような人もいました。しかし,洗われて清くなり,神聖なものとされました。主イエス・キリストの名によって,また私たちの神の聖なる力によって,正しいと認められました」。
(コリント第一 6:9~11)