「心配するのをやめなさい」
それから群衆に言った。「じっと見張っていて、あらゆる貪欲に警戒しなさい。たくさんの物を持っていても、命は所有物からは生じないからです」。
そして次のような例えを話した。「ある裕福な人の土地で作物が豊かに実りました。そこでその人は心の中で考え始めました。『どうしようか。作物を集める場所がない』。
その人は言いました。『こうしよう。倉を取り壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物などを全て集めるのだ。 そして自分に言おう。
「おまえはたくさんの良い物を何年分も蓄えることができた。楽にして、食べて、飲んで、楽しめ」』。しかし神は言いました。
『無分別な者よ、今夜,あなたの命は取り上げられる。そうしたら、蓄えた物は誰のものになるのか』。自分のために宝を蓄えても、神から見て裕福でない人はこうなるのです」。
それからイエスは弟子たちに言った。「ですから、何を食べるのだろうかと自分の命のことで、また何を着るのだろうかと自分の体のことで、心配するのをやめなさい。
命は食物より,体は服より価値があります。 ワタリガラスのことを考えなさい。種をまいたり刈り取ったりしませんし、納屋も倉も持っていません。それでも神はその鳥を養っています。
あなたたちは鳥よりずっと価値があるのではありませんか。 心配したからといって、誰が自分の寿命を少しでも延ばせるでしょうか。 では、そのような小さなこともできないのに、
なぜほかのことについて心配するのですか。 ユリがどのように育つかを考えなさい。苦労して働いたり、糸を紡いだりはしません。しかし、華やかな生活を送ったソロモン王でさえ、
このような花の1つほどにも装ってはいませんでした。 神が、今日は生えていて明日火に放り込まれる野の草木にこのように服を与えているなら、ましてあなたたちには服を与えてくださるのです。信仰の少ない人たち。 それで、何を食べるのか、何を飲むのかとばかり考えるのをやめ、心配して気をもむのをやめなさい。これらは全て世の人々が必死に求めているものですが、天の父は、あなたたちがこうしたものを必要としていることを知っています。
聖書(ルカ書12:15~12:30)
それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、
からだは着物にまさるではないか。 空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。
あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。 あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。 また、なぜ、
着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。 しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、
この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。 きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。 だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。 これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。
あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。 まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。 だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。
(マタイ書6:25~6:34)