私は,エホバの証人ではありませんが,時々,
エホバの証人より配布いただいてる,「目ざめよ」誌・「ものみの塔」誌,パンフレット等より引用の記事もあります。
(どこの宗教,宗派にも属していません)
*いろんな宗教にも交わりました(立正佼成会,創価学会,キリスト教のカトリック,プロテスタント等)
その中で,聖書に忠実に教えてるのは,エホバの証人と思います。
*私が用いる聖句は,新世界訳,新共同訳,新改訳,口語訳,回復訳(新約聖書のみ)
2020-2「ものみの塔」誌より
神様はあなたの心を落ち着かせてくださる
「心配事で圧倒されそうな時,あなたは私を安心させ,落ち着かせてくださった」。
(詩編 94:19)
【指揮者によって。伴奏付き。賛歌。ダビデの詩。】
「呼び求めるわたしに答えてください,わたしの正しさを認めてくださる神よ。苦難から解き放ってください,憐れんで,祈りを聞いてください。
人の子らよ,いつまでわたしの名誉を辱めにさらすのか,むなしさを愛し,偽りを求めるのか。〔セラ
主(神)の慈しみに生きる人を主は見分けて,呼び求める声を聞いてくださると知れ。おののいて罪を離れよ。横たわるときも自らの心と語り,そして沈黙に入れ。〔セラ
ふさわしい献げ物をささげて,主(神)に依り頼め。恵みを示す者があろうかと,多くの人は問います。主(神)よ,わたしたちに御顔の光を向けてください。人々は麦とぶどうを豊かに取り入れて喜びます。
それにもまさる喜びを,わたしの心にお与えください。平和のうちに身を横たえ,わたしは眠ります。主(神)よ,あなただけが,確かに,わたしをここに住まわせてくださるのです」。
(詩編 4:1~8)
何を学ぶか
不安に悩まされたことがありますか。誰かに言われたりされたりしたことで傷ついたからですか。
自分が言ったり行ったりした事柄を考えて不安になることもあります。
もしかしたら,何かの過ちを犯して,神に許していただけないと思い悩んでいるでしょうか。
不安に圧倒されているのは,信仰が足りず,駄目な人間だからだ,と考える人もいます。この考え方は正しいでしょうか。
聖書中の例を取り上げましょう。後に預言者サムエルの母親となったハンナは,強い信仰を持っていました。
それでも,家族の1人からひどい扱いを受けたために不安を抱えました。
忠実なハンナから学べること
誰かにきついことを言われたり不親切なことをされたりすると,不安になります。
親しい友や親族からそのような扱いを受けると,特にこたえます。気持ちが晴れず,もう仲良くやっていけないかも,と感じます。
中には,悪気なく傷つけるようなことを言う人がいます。剣で突き刺されたと感じるでしょう。
「心ない発言は剣のように突き刺し,賢い人たちの舌は人を癒やす」。
(箴言・格言 12:18)
わざと傷つけるようなことを言う人もいます。ある若い姉妹は,そのような経験をしました。
「数年前,仲良くしていた子がネット上で私のことを中傷するようになりました。傷つき,悲しくなりました。そんなことを平気でできるのが信じられませんでした」。
親しい友や親族に傷つけられたことがあるなら,ハンナから大切な点を学べます。
ハンナは幾つかの難しい問題を抱えていました。長い間,子供ができませんでした。
「エルカナには妻が2人いた。一方はハンナ,もう一方はペニンナである。ペニンナには子供がいたが,ハンナには子供がいなかった」。
(サムエル第一 1:2)
昔のイスラエルでは,子供ができないのは神から災いを受けているからだ,と考えられていました。
ハンナにとって屈辱的なことでした。
『ラケルは,自分がヤコブの子を一人も産んでいないので,姉に嫉妬するようになり,ヤコブにこう言いだした。「私にも子供を持たせてください。そうでないと,私は死んだも同然です」。
するとヤコブはひどく怒り,ラケルに言った。「私が神だとでもいうのか。あなたに子供ができないようにしているのは神なのだ」』。
(創世記 30:1,2)
しかも,夫のもう1人の妻ペニンナには子供がいました。
ペニンナはハンナをライバルと見て,「傷つけようとして……しきりにあざけり」ました。
「しかも,彼女と張り合う妻ペニンナが彼女を傷つけようとして,神(エホバ,ヤハウェ)から子供を授かっていないことをしきりにあざけっていた
(サムエル第一 1:6)
初めのうち,ハンナは参ってしまっていました。つら過ぎて,「泣いて,食事をしようと」せず,「非常に苦しんで」いました。
「毎年このようにして,ハンナが主の家に上るたびに,彼女はペニンナのことで苦しんだ。今度もハンナは泣いて,何も食べようとしなかった」。
「ハンナは悩み嘆いて主に祈り,激しく泣いた」。
(サムエル第一 1:7,10)
ハンナはどうしましたか。
ハンナは神(エホバ,ヤハウェ)に祈り,気持ちを全て打ち明けました。祈った後,大祭司エリに事情を説明しました。するとエリは言います。
「安心して行きなさい。あなたが願い求めたことをイスラエルの神がかなえてくださいますように」。どうなりましたか。ハンナは「そこを離れて,食事をした。もう沈んだ顔ではなかった」とあります。
『エリは言った。「安心して行きなさい。あなたが願い求めたことをイスラエルの神がかなえてくださいますように」。
ハンナは言った。「これからも私のことを良く思ってくださいますように」。彼女はそこを離れて,食事をした。もう沈んだ顔ではなかった』。
(サムエル第一 1:17,18)
ハンナは祈ったので,気持ちが落ち着きました。
粘り強く祈るなら気持ちが落ち着きます。ハンナは天のお父さん(神)に長く祈りました。
「 ハンナが主(神)の前で長く祈っている間,エリはその口もとを見守っていた」。
(サムエル第一 1:12)
私たちも,不安や恐れや自分の弱さについて,じっくり祈ることができます。
祈りの言葉が詩のようにきちんと整っているかどうかを気にする必要はありません。
苦しい胸の内を語りながら涙し,言葉が続かないこともあるでしょう。そういう時でも,神様はひたすら耳を傾けてくださいます。
「何も心配せず,いつでも祈り,祈願を捧げ,感謝しつつ,願いを神に知っていただくようにしましょう。
そうすれば,神からの平和が,キリスト・イエスを通して皆さんの心と考えを守ります。その平和は人間の理解をはるかに超えています」。
(ピリピ・フィリピ 4:6,7)
* セラ
音楽や朗唱に関係した専門用語で,「詩編」とハバクク書に出てくる。黙想のために,あるいは表現された感情を際立たせるために,歌唱か演奏かその両方を休止するという意味かもしれない。
ギリシャ語セプトゥアギンタ訳ではディアプサルマと訳されており,その語は「間奏」と定義されている。
【クリック】
打ちのめされた人を救ってくださる~聖書