神はわたしに何を望んでおられますか
聖書の答え
神があなたに望んでおられるのは,神を人格的存在として知り,神に近づき,心をこめて神を愛し,神に仕えることです。
「イエスは言った。『あなたは,心を尽くし,知力を尽くし,自分の全てを尽くして,あなたの神(エホバ,ヤハウェ)を愛さなければならない』。これが最も重要な第一のおきてです」。
(マタイ 22:37,38)
「神に近づいてください。そうすれば,神は近づいてくださいます。罪人たち,手を清めてください。優柔不断な人たち,心を清めてください」。
(ヤコブ 4:8)
イエスの生涯と教えを知れば,神の望んでおられる生き方が分かります。
『それに対してイエスは言った。「私の教えは私のものではなく,私を遣わした神のものです。この方の望むことを行いたいと願う人なら,この教えが神からのものか,それとも私が独自の考えで話しているのかが分かります」』。
(ヨハネ 7:16,17)
イエスは,神の望んでおられる事柄について単に語ったのではなく,神の望まれるとおりの生き方をしました。事実,「自分の意志ではなく,わたしを遣わした方のご意志を行なうため」に生きている,と言いました。
「私が天から下ってきたのは,自分の望むことではなく,私を遣わした方の望むことを行うためだからです」。
(ヨハネ 6:38)
神がわたしに何を望んでおられるかは,特別のしるしか幻か召しによって分かるのですか。
いいえ,そうではありません。神が人類に知らせたいと思っておられる事柄は,聖書に収められています。「あらゆる良い業に対して全く整えられた者となる」のに必要な情報が収められているのです。
「聖書全体は神の聖なる力の導きによって書かれたもので,教え,戒め,矯正し,正しいことに基づいて指導するのに役立ちます。それにより,神に仕える人は十分な能力を持つことができ,あらゆる良い活動を行う用意が完全に整います」。
(テモテ第二 3:16,17)
それで,あなたが「理性」を働かせながら聖書を調べて自分に対する神のご意志を知るようにしてほしい,と神は思っておられます。
「そういう訳で,兄弟たち,神の思いやりに基づいて皆さんに強く勧めます。自分の体を,生きた犠牲,神に受け入れられる聖なる犠牲として差し出してください。理性を働かせて神聖な奉仕をするのです。 そして,今の体制によって形作られるのをやめてください。かえって,考え方を新しくすることによって自分を変化させましょう。それは,神の善い意志,喜ばしい完全な意志を見極めるためです」。
(ローマ 12:1,2)
「こういうわけで愚かであってはなりません。かえって、何が主(神)のみこころであるかを理解しなさい」。
(エペソ・エフェソス 5:17)
神の望んでおられることを本当に行なえるのでしょうか。
もちろん,行なえます。「神のご命令はわたしたちにとって難しすぎるものではありません」と聖書は述べています。
「神を愛するとは,神のおきてを守ることです。神のおきては重荷ではありません」。
(ヨハネ第一 5:3)
神の命令に従うことはいつでも容易だ,と言っているのではありません。従うために払う努力は,従った場合の益に比べれば,問題にならない,ということです。
イエス自身,「神の言葉を聞いて,それに従っている人は,なんと幸いなのだろう」と言いました。
『しかしイエスは言った。「いいえ,神の言葉を聞いて守っている人たちこそ幸福です!」』。
(ルカ 11:28)