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罪を犯す魂は死ぬ~聖書

2020年03月07日 | 日記

罪を犯した者,その人が死ぬ。
聖書(エゼキエル18:4後半)


罪を犯している魂 ― それが死ぬのである。
聖書(エゼキエル18:4後半)


罪を犯した魂は必ず死ぬ。
聖書(エゼキエル18:4後半)

 

二人の証人または三人の証人の口によって,その死ぬべき者は死に処せられるべきである。一人の証人の口によって死に処せられることはない。
聖書(申命記17:6)


死刑に処せられるには,二人ないし三人の証言を必要とする。一人の証人の証言で死刑に処せられてはならない。
聖書(申命記17:6)


ふたりの証人または三人の証人の証言によって,死刑に処さなければならない。ひとりの証言で死刑にしてはならない。
聖書(申命記17:6)

 

 

 

「罪を犯す魂は死ぬ」


主なる神は言われる、わたしは生きている、あなたがたは再びイスラエルでこのことわざを用いることはない。
見よ、すべての魂はわたしのものである。父の魂も子の魂もわたしのものである。罪を犯した魂は必ず死ぬ。
人がもし正しくあって、公道と正義とを行い、山の上で食事をせず、また目をあげてイスラエルの家の偶像を仰がず、
隣り人の妻を犯さず、汚れの時にある女に近づかず、だれをもしえたげず、質物を返し、決して奪わず、
食物を飢えた者に与え、裸の者に衣服を着せ、利息や高利をとって貸さず、手をひいて悪を行わず、人と人との間に真実のさばきを行い、
わたしの定めに歩み、わたしのおきてを忠実に守るならば、彼は正しい人である。彼は必ず生きることができると、主なる神は言われる。
しかし彼が子を生み、その子が荒い者で、人の血を流し、これらの義務の一つをも行わず、かえって山の上で食事をし、
隣り人の妻を犯し、乏しい者や貧しい者をしえたげ、物を奪い、質物を返さず、目をあげて偶像を仰ぎ、憎むべき事をおこない、
利息や高利をとって貸すならば、その子は生きるであろうか。彼は生きることはできない。彼はこれらの憎むべき事をしたので、必ず死に、その血は彼自身に帰する。
しかし彼が子を生み、その子が父の行ったすべての罪を見て、恐れ、そのようなことを行わず、
山の上で食事せず、目をあげてイスラエルの家の偶像を仰がず、隣り人の妻を犯さず、だれをもしえたげず、質物をひき留めず、物を奪わず、かえって自分の食物を飢えた者に与え、裸の者に衣服を着せ、その手をひいて悪を行わず、利息や高利をとらず、わたしのおきてを行い、わたしの定めに歩むならば、彼はその父の悪のために死なず、必ず生きる。
しかしその父は人をかすめ、その兄弟の物を奪い、その民の中で良くない事を行ったゆえ、見よ、彼はその悪のために死ぬ。
しかしあなたがたは、『なぜ、子は父の悪を負わないのか』と言う。子は公道と正義とを行い、わたしのすべての定めを守っておこなったので、必ず生きるのである。
罪を犯す魂は死ぬ。子は父の悪を負わない。父は子の悪を負わない。義人の義はその人に帰し、悪人の悪はその人に帰する。
しかし、悪人がもしその行ったもろもろの罪を離れ、わたしのすべての定めを守り、公道と正義とを行うならば、彼は必ず生きる。死ぬことはない。
その犯したもろもろのとがは、彼に対して覚えられない。彼はそのなした正しい事のために生きる。主なる神は言われる、わたしは悪人の死を好むであろうか。むしろ彼がそのおこないを離れて生きることを好んでいるではないか。しかし義人がもしその義を離れて悪を行い、悪人のなすもろもろの憎むべき事を行うならば、生きるであろうか。
彼が行ったもろもろの正しい事は覚えられない。彼はその犯したとがと、その犯した罪とのために死ぬ。
しかしあなたがたは、『主のおこないは正しくない』と言う。イスラエルの家よ、聞け。わたしのおこないは正しくないのか。
正しくないのは、あなたがたのおこないではないか。義人がその義を離れて悪を行い、そのために死ぬならば、彼は自分の行った悪のために死ぬのである。
しかし悪人がその行った悪を離れて、公道と正義とを行うならば、彼は自分の命を救うことができる。
彼は省みて、その犯したすべてのとがを離れたのだから必ず生きる。死ぬことはない。
聖書(エゼキエル18:3~18:28)

 

 


わたしは生きている、と主なる神は言われる。お前たちはイスラエルにおいて、このことわざを二度と口にすることはない。
すべての命はわたしのものである。父の命も子の命も、同様にわたしのものである。罪を犯した者、その人が死ぬ。
もし、ある人が正しく、正義と恵みの業を行うなら、すなわち、山の上で偶像の供え物を食べず、イスラエルの家の偶像を仰ぎ見ず、隣人の妻を犯さず、生理中の女性に近づかず、
人を抑圧せず、負債者の質物を返し、力ずくで奪わず、飢えた者に自分のパンを与え、裸の者に衣服を着せ、利息を天引きして金を貸さず、高利を取らず、不正から手を引き、人と人との間を真実に裁き、わたしの掟に従って歩み、わたしの裁きを忠実に守るなら、彼こそ正しい人で、彼は必ず生きる、と主なる神は言われる。
彼に生まれた息子が乱暴者で、これらの事の一つでも行う人の血を流し、自分自身はこれらすべての事の一つですら行わず、かえって山の上で偶像の供え物を食べ、隣人の妻を犯し、貧しい者、乏しい者を抑圧し、力ずくで奪い、質物を返さず、偶像を仰ぎ見て忌まわしいことを行い、利息を天引きして金を貸し、高利を取るならば、彼は生きることができようか。彼は生きることはできない。
彼はこれらの忌まわしいことをしたのだから、必ず死ぬ。その死の責任は彼にある。
ところで、その人にまた息子が生まれ、彼が父の行ったすべての過ちを見て省み、このような事を行わないなら、
すなわち、山の上で偶像の供え物を食べず、イスラエルの家の偶像を仰ぎ見ず、隣人の妻を犯さず、人を抑圧せず、質物を取らず、力ずくで奪わず、飢えた者に自分のパンを与え、裸の者に衣服を着せ、貧しい者の抑圧から手を引き、天引きの利息や高利を取らず、わたしの裁きを行い、わたしの掟に従って歩むなら、彼は父の罪のゆえに死ぬことはない。必ず生きる。
彼の父は搾取を行い、兄弟のものを力ずくで奪い、自分の民の中で善くない事をしたので、自分の罪のゆえに死んだのである。
それなのにお前たちは、『なぜ、子は父の罪を負わないのか』と言う。しかし、その子は正義と恵みの業を行い、わたしの掟をことごとく守り、行ったのだから、必ず生きる。
罪を犯した本人が死ぬのであって、子は父の罪を負わず、父もまた子の罪を負うことはない。正しい人の正しさはその人だけのものであり、悪人の悪もその人だけのものである。
悪人であっても、もし犯したすべての過ちから離れて、わたしの掟をことごとく守り、正義と恵みの業を行うなら、必ず生きる。死ぬことはない。
彼の行ったすべての背きは思い起こされることなく、行った正義のゆえに生きる。
わたしは悪人の死を喜ぶだろうか、と主なる神は言われる。彼がその道から立ち帰ることによって、生きることを喜ばないだろうか。
しかし、正しい人でも、その正しさから離れて不正を行い、悪人がするようなすべての忌まわしい事を行うなら、彼は生きることができようか。
彼の行ったすべての正義は思い起こされることなく、彼の背信の行為と犯した過ちのゆえに彼は死ぬ。
それなのにお前たちは、『主の道は正しくない』と言う。聞け、イスラエルの家よ。わたしの道が正しくないのか。正しくないのは、お前たちの道ではないのか。
正しい人がその正しさから離れて不正を行い、そのゆえに死ぬなら、それは彼が行った不正のゆえに死ぬのである。
しかし、悪人が自分の行った悪から離れて正義と恵みの業を行うなら、彼は自分の命を救うことができる。
彼は悔い改めて、自分の行ったすべての背きから離れたのだから、必ず生きる。死ぬことはない。
聖書(エゼキエル18:3~18:28)

 

 


「『わたしは生きている』と、主権者なる神(ヤハウェ、エホバ)はお告げになる、『あなた方がこの格言的なことばをイスラエルで述べることはもはやなくなる。
見よ、すべての魂 ― それはわたしのものである。父の魂がそうであるように、子の魂も同様に ― それらはわたしのものである。罪を犯している魂 ― それが死ぬのである。
「『そして人については、それが義なる者で、公正と義を行ない、 山の上で食べず、その目をイスラエルの家の糞像に上げず、友の妻を汚さず、不浄のときの女に近寄らず、
だれをも虐待せず、負債に対して取った質物を返し、何も略取せず、飢えた者に自分のパンを与え、裸の者を衣で覆い、
利息を取って与えることはせず、高利を取らず、不正から手を引き戻し、人と人の間に真の公正を行ない、
わたしの法令によって歩みつづけ、わたしの司法上の定めを守って真実を行なおうとしたのなら、その人は義なる者である。彼は必ず生きつづける』と、主権者なる神(ヤハウェ、エホバ)はお告げになる。
「『そして、人が父となって、その子が強盗で、血を流す者であり、これらのことの一つに類することを行なったのであれば(しかし彼自身はこれらのことを何一つ行なわなかった)、
また、その者が山の上で食べ、友の妻を汚し、 苦しんでいる貧しい者を虐待し、物を略取し、質物を返さず、糞像に目を上げたなら、彼は忌むべきことを行なったのである。
彼は高利を取ってものを与え、利息を取った。それで、彼は決して生きつづけることはない。彼はこれらすべての忌むべきことを行なった。彼は必ず死に処せられる。彼の血はその身に帰する。
「『そして、見よ、人が父となったが、その子は自分の父の行なったすべての罪を見ているが、見ても、そのようなことを行なわない。
山の上で食べず、目をイスラエルの家の糞像に上げず、友の妻を汚さなかった。だれをも虐待せず、質物を奪わず、何も略取せず、飢えた者に自分のパンを与え、裸の者を衣で覆い、
 苦しむ者から手を引き戻し、高利も利息も取らず、わたしの司法上の定めを実行し、わたしの法令によって歩んだ。彼がその父のとがのゆえに死ぬことはない。彼は必ず生きつづける。
一方その父は、紛れもない詐取を行ない、兄弟から物を略取し、すべて良くないことをその民の中で行なったので、見よ、彼はそのとがのために必ず死ぬ。
「『そして、あなた方は必ず言うであろう、「父にとががあるのに、子が何も負わなくてもよいのはどうしてか」と。さて,その子については、彼は公正と義を行ない、わたしのすべての法令を守った。彼はそれを行ないつづけている。彼は必ず生きつづける。罪を犯している魂 ― それが死ぬのである。子が父のとがのゆえに何かを負うことはなく、父が子のとがのゆえに何かを負うこともない。義なる者の義はその人自身に帰し、邪悪な者の邪悪はその人自身に帰する。
「『さて、邪悪な者については、彼が自分の犯したすべての罪から立ち返り、実際にわたしのすべての法令を守り、公正と義を行なうのであれば、彼は必ず生きつづける。彼は死なない。
彼の犯したすべての違犯 ― それが彼を責めるために思い出されることはない。彼は自分の行なったその義のために生きつづけるのである』。
「『一体、わたしは邪悪な者の死を喜ぶだろうか』と、主権者なる神(ヤハウェ、エホバ)はお告げになる、『[わたしは]彼がその道から立ち返り、実際に生きつづけることを喜ぶのではないか』。
「『さて、義なる者がその義を離れて、実際に不正を行なうとき、すなわち彼が邪悪な者の行なったすべての忌むべきことにしたがって事を行ない、そして生きているとき、
彼の行なったそのすべての義なる行為は何一つ思い出されることはない。自分の犯した不忠実と自分の犯した罪とのために、そのために彼は死ぬであろう。
「『そして、あなた方は必ず言うであろう、「神(ヤハウェ、エホバ)の道は正しく調整されていない」と。イスラエルの家よ、どうか、聞くように。わたしの道は正しく調整されていないのか。あなた方の道が正しく調整されていないのではないか。「『義なる者がその義を離れて、実際に不正を行ない、それゆえに死ぬとき、彼は自分の行なった不正のために死ぬのである。
「『また、邪悪な者が自分の犯した邪悪から立ち返り、公正と義を行なうようになるなら、彼は自分の魂を生き長らえさせる者となる。彼は見て、自分の行なったすべての違犯から立ち返るとき、必ず生きつづける。彼は死なない』」。
聖書(エゼキエル18:3~18:28)

 

魂とは何ですか   魂は不滅ですか 

「聖書の答え」

聖書に出てくる「魂」という語は、ヘブライ語のネフェシュ、ギリシャ語のプシュケーという語の訳です。
字義的には、ネフェシュは「呼吸するもの」、プシュケーは「生きた存在」を意味します。 
ですから、魂とは生き物全体のことであり、生き物の中にあって肉体の死後も残る何かのことではありません。
では聖書は、人間の魂が人の全体を指していることをどのように示しているでしょうか。

アダムは創造された時、生きた魂になった。
アダムは魂を与えられたのではなく、「生きた魂になった」
神が最初の人間アダムを創造なさった時のことについて、聖書は、「人は生ける魂となりぬ」と述べています。
(創世記 2:7)
アダムは魂を与えられたのではなく、生ける魂つまり人になったのです。


「魂は不滅ですか」

いいえ、魂は死にます。聖書の多くの箇所で、魂は死ぬものであると述べられています。例を取り上げましょう。

「罪を犯した魂は必ず死ぬ」。「罪を犯す魂は死ぬ」。
エゼキエル 18:4,20,

古代イスラエルで最も重大な罪を犯した人に対する処罰に関し、聖書には、その「魂は断たるるべし」と述べられています。
(出エジプト記 12:15,19; レビ記 7:20,21,27; 19:8)

その人は「死に処せらる」ことになりました。
出エジプト記 31:14

聖書の幾つかの箇所では,人の遺体が「死んだ魂」と呼ばれています。
(レビ記 21:11。民数記 6:6)

多くの聖書翻訳はそれらの聖句の中で「死体」や「死人」という言葉を用いていますが、
原語のヘブライ語ではネフェシュつまり「魂」という語が使われています。


「魂」が「命」を意味する場合もある。

聖書は「魂」を「命」の同義語としても用いています。
例えば、ヨブ 33章22節には、ヘブライ語の「魂」(ネフェシュ)が「命」に対応する語として出ています。
同様に、聖書は人の魂つまり命が危険にさらされたり失われたりすることを示しています。
「主はミディアンでモーセに言われた。『さあ、エジプトに帰るがよい、あなたの命をねらっていた者は皆、死んでしまった』」。
(出エジプト記 4:19)

「わたしの父はあなた方のために戦い、あなた方をミディアンの手から救い出そうと自分の魂をさえ危うくした」。
(裁き人・士師記 9:17)

「なぜなら、キリストの働きのために、彼は命(文字どおりには、魂)をかけて、死ぬばかりになったからです。
彼はわたしに対して、あなたがたが奉仕できなかったところを補おうとしたのです」。
(フィリピ・ピリピ 2:30)