物語は、いきなり夜中に電話で、昔付き合った女性の夫(たぶん)から、その女性が自殺したという知らせが入るところから始まります。その女性を仮にエム(M)と呼んでます。
しかし、本をいくら注意深く、2度読んでも、その自殺した理由、たぶん夫が電話をしてきた理由、はわかりません。Mの夫が「女のいない男たち」になったこと。主人公は、(名前不明)奥さんがいるので、「女のいない男たち」では、ないでしょう。
一つだけはっきりしているのは、状況がこんなですので、「たぶん」を使いすぎていると、主人公(作者)は言います。なんか自分も、曖昧にして書くことが多いとは自覚してます。作者の場合は意図したものだと思いますが、自分の場合は自信がないだけ。
この本を読み終わって感じるのは、冒頭に書いてるように、主人公は、わからない状況に置かれてしまいます。読んでいる方も、ほぼ主人公の目線ですので、同じ立場に置かれます。村上作品では、両義性とかメタファー(よく分かってませんが)が、理解の手助けとなるかもしれません。
例えば、Mは「エレベータ音楽」(そんな言葉が有るのか?エレベータで流れているような音楽、自分たちの世代では、イージーリスニングと言ってました)を、よく聞くが、主人公はジャズぽい曲を聞きます。Mとは中学生の時に、消しゴムを半分分けてくれたことが、片思いのきっかけとなっているようです。何年かして、大人の関係で2年ほど付き合うようですが、お互い中学生の時と違います。本では、水夫となってますが(たぶん、一般的に男性)、魅力的で美しい女性には、群がる水夫も多いのでしょう。分かれてしまいます。
それから、全くの音沙汰無しで、冒頭の電話です。主人公の身の回りでは、3人目の自殺者だったようです。「女のいない男たち」は、やはり寂しいものとして描かれてます。そうならないように努力するしかないですね。
Mは「夏の日の恋」が好きだったようです。自分も好きでした。