多くの物議を呼んだ大谷翔平投手の二刀流挑戦 はNPBでは大成功、今年より活躍の場をMLBに移す。
大谷選手が二刀流としてその歩みを開始した2013年、その14年前に…大谷選手のようにスケールの大きい二刀流選手が誕生直前までこぎつけていた。
新庄剛志(当時阪神)
1998年秋季キャンプより外野手との兼務(二刀流)を目指し投手としての練習を開始。この挑戦について、自身は「センターの守備位置からリリーフ登板してみたい」と発言するなど乗り気であり、発案者の野村克也監督は「打撃時に活かせるよう、投手心理を理解させるため」「あれだけの強肩の持ち主。どんな球を放るか元捕手として純粋に興味がある」「下半身の使い方を覚えたら150km/hは出る」などと説明した。翌年のオープン戦では、3月5日の巨人戦においての初登板でリリーフの1回を三者凡退に抑え、球速143km/hを記録(藤崎台県営野球場)。次の登板の21日、福岡ドームでのダイエー戦では自己最高の145km/hを記録し、フォークボールで本間満から三振を奪い、計2試合でリリーフの2回を投げて奪三振1、被安打および被本塁打1(松中信彦より)での失点および自責点1を記録。しかし傾斜のあるマウンドからの慣れない投球動作により、また当時の肘痛をかばって投げていたことも影響してか、左膝を痛めたために挑戦は断念した。
野球に「もしも」なんてない!ってよく言われるが…新庄さんが、もし阪神で二刀流として稼働していたのなら…投手としての勇姿もMLBで見れたかなぁ~とつい色々と想像したくなるような華のある選手だった!
大谷選手が二刀流としてその歩みを開始した2013年、その14年前に…大谷選手のようにスケールの大きい二刀流選手が誕生直前までこぎつけていた。
新庄剛志(当時阪神)
1998年秋季キャンプより外野手との兼務(二刀流)を目指し投手としての練習を開始。この挑戦について、自身は「センターの守備位置からリリーフ登板してみたい」と発言するなど乗り気であり、発案者の野村克也監督は「打撃時に活かせるよう、投手心理を理解させるため」「あれだけの強肩の持ち主。どんな球を放るか元捕手として純粋に興味がある」「下半身の使い方を覚えたら150km/hは出る」などと説明した。翌年のオープン戦では、3月5日の巨人戦においての初登板でリリーフの1回を三者凡退に抑え、球速143km/hを記録(藤崎台県営野球場)。次の登板の21日、福岡ドームでのダイエー戦では自己最高の145km/hを記録し、フォークボールで本間満から三振を奪い、計2試合でリリーフの2回を投げて奪三振1、被安打および被本塁打1(松中信彦より)での失点および自責点1を記録。しかし傾斜のあるマウンドからの慣れない投球動作により、また当時の肘痛をかばって投げていたことも影響してか、左膝を痛めたために挑戦は断念した。
野球に「もしも」なんてない!ってよく言われるが…新庄さんが、もし阪神で二刀流として稼働していたのなら…投手としての勇姿もMLBで見れたかなぁ~とつい色々と想像したくなるような華のある選手だった!