どうも勘違いをしていたようだ。
『論語(為政)』に記された孔子の言葉、
吾十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順(みみした)がう。
七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)を踰(こ)えず
における年齢の解釈を、である。
この言葉に対して、ぼくが次のように書いたのはつい一週間ほど前のことだ。
古代中国における平均寿命が、いったい幾つなのか、今となっては知る由も調べようもないが、ごく大雑把な感覚としても、そこにおける70を現代の90と置き換えても、なんら不都合はない気がするし、むしろ、プラス20ぐらいがちょうどよい加減のような気もする。(中略)となると、まもなく60と7つを数えるぼくの場合は、「天命を知る」少し前ということになろうか。つまり、そこになってはじめて、自分の人生についての天命や運命がどういうものであったのかがわかる。そして首尾よく80まで生きることができれば耳順、すなわち、他人の意見に反発を感じることなく、素直に耳を傾けられるようになる。
ここでぼくは孔子が引き合いに出した年齢を、寿命、つまり死亡する年齢から逆算した齢だと捉えている。しかし、原典を素直に読んでみれば、それは曲解というものだろう。
孔子は、例えば70歳を例にとると、その齢になって「矩(のり)を踰(こ)えず」、つまり、思ったように振る舞っても道を外れるということがなくなったと言う。それはすなわち、そうなるまでに自分は70年もかかったと述べていると同義だ。そこにおける70歳という数字は、生後何年が経過しているかという絶対値であって、その当時の中国で暮らす人たちの平均的寿命との相対値ではない。どれだけの年月を経たらそうなれるか、あるいはそうなったかについて述べているのであって、世の中の寿命の相場がどうだとか死ぬ年齢から逆算してどうだとか、そういうことを言っているわけではないのである。
ということは、現代における人間の寿命が当時と比べて20年ほど長くなっていようといまいと、たとえば「不惑」における40も「耳順」における60も、2500年孔子が述べた値となんら変わることはない、同じ数字だとして考えなければならない。
といっても、孔子という歴史上に燦然とかがやく巨人がそうだからといって、それをぼくやアナタのような凡夫の身に置き換えることに無理がある。そもそも、誰しもが40歳になれば惑うことがなくなり、50歳となれば天命を知ることなど、できるはずがないではないか。
となれば、凡夫としての正しい在りようはこうだろう。
昔むかし、ロングロング・ずっとずっと・とてつもなく・アゴーの中国に、孔子という偉い人がいてね、
吾十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順(みみした)がう。
七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)を踰(こ)えず
なんて言葉を残してるんだけど、みんなも、孔子と同じ歳では無理かもしれないけど、そして、結局のところ全部をクリアできないだろうけど、ひとつの指標として心がけるようにしようね。
と、ここまで書いて腕を組んで考えた。
あれ?
となると、一週間前と結論は変わらないのではないのか?
その結論とはこうだ。
う~ん・・・今さらながらではあるがそれは、齢を積み重ねればそうなるという類のものであるはずがない。それに、ぼくの場合においては、天命よりも耳順よりも不惑、すなわち「惑わず」がもっとも困難で、ほぼ実現不可能なもののような気がしてならない。つまり、いかにその基準となる年齢を変えようと、こうなるわけだ。
40にして惑い
50にして惑い
60にしてなお惑い
70になったらなおいっそう惑い
80になってもまだまだ惑う
思い惑い心惑い
戸惑い暗れ惑い
ふらつき
ぐらつき
ためらって
途方に暮れてオロオロする
サウイウモノニワタシハナリタイわけではないけれど、そうならそうで、一生惑うと思い定め、そこに拠って立つのもわるくないかもしれない。
不「不惑」、いや、わるくないと思うよ。