なぜ動画?
と思っていたのは初めのころだけで、すぐに、動画でされたそれには心がシャッターをおろしてしまい、まったく脳内に届かなくなってしまった。
チュートリアルというかハウツーというか、どの表現が正しいのかわからないが、動画でツールやアプリケーションの使い方を教える、あ、そうそう教材ビデオ的なものに対してだ。
それでも、先生役が顔を見せて説明する形式なら、すぐ退屈はするが、受け入れられないことはない。しかし、PC画面だけを見せられながら操作手順を説明する類のものは、まったくといってよいほど届かない。
なのに、ぼくが発するその手の疑問や質問に答えるのにも、動画でもって返事をされることがある。
「動画、アップしときましたから」
なんだかなぁ、と思いながら、その労を考えると無下にするのもしのびなく、向き合ってみるにはみるが、やはりダメ。いつもは、変化を是とする自分のことは棚に上げて、ダメなものはダメ、受けつけられないものは受けつけられない、とボヤいていた。
そんなぼくがきのう、ある3Dモデリング関係ソフトの操作手順動画をつくった。キッカケは他でもない。その日の昼間に行われた会で、そのソフトの操作方法におけるある発見を、「こんなんできるんやでぇ、知らんかったやろ」と、ICT推進チームの他ふたりに自慢したところ、そのうちひとりが、「あとで教えてください」と真面目な顔で言ったからだ。
といっても、この時期ともなれば、特定の現場をもたないぼくと異なり、彼らの身は基本的に現場にあるし、多くのことは現場が優先だ。畢竟、現場に直接関係しないことをレクチャーしようとすると、夜となる。しかも、彼我の時間を調整する必要がある。繰り返すが、ぼくの場合はいい。だが、彼らの時間をそのために調整させるのはしのびない。
そうだ。アレがあるではないか。思いついたのは操作説明動画だ。
たしかにぼくは受けつけかねる。しかし彼らは、むしろアレの方が受け入れやすいらしい。ならば、ぼくがつくれば済むことではないか。
思い立ったが吉日だ。
といっても、そのためのソフトや方法を教示してもらうとなれば、たとえそれがオンラインであっても、彼らの時間を奪うことになる。となれば自分で探すしかない。
さっそく、PC操作を動画にするソフトにはどのようなものがあるかを検索し、そのなかから、初心者かつ固いアタマの人間に手頃そうなひとつをチョイスし、試してみた。
とはいえ、すんなりと事が運ぶはずもない。
しかも、悪戦苦闘の末にできあがった動画は、どう考えても10分以内で説明できるような操作に対して、20分近くの「大作」となってしまった。
だがまあいい、この場合、踏み出した一歩に意味があるのだから。と、相変わらず自分に都合のよい解釈を経て、くだんの動画は社内グループウェアにアップロードされた。
その日の夕方。
「あ、アレ、アップしといたから」
と、いかにも恩着せがましい物言いで伝えたあと、
「ところで・・」
と切り出してみた。
「操作画面を動画にするのってどのソフトを使ったらいいの?」
彼が示してくれたのは、ぼくもふだん使っている動画編集ソフトだ。
「え?それでできるの?」
「ハイ、ここでこうやって・・・」
あらま。まずあたらしいソフトの使い方習得に充てたあの時間はなんだったのよ。そう思わないではなかったが、すぐに思い直し、心のなかでこう言い聞かせた。
「だがまあいい、この場合、踏み出した一歩に意味があるのだから」
ということで宗旨替えだ。
この先ぼくの口から、「なんで動画なの?」という言葉が発せられることは、たぶんない。