孔子の時代ですら50才で天命を知るくらいですから、いまの長寿時代なら60才くらいで不惑、70過ぎてからようやく天命を知るのかもしれません。わたしも70代に向けて迷走、道草を楽しみたいと思います。
ぼくよりひと回りほど年下の敬愛してやまない知人が、フェイスブックに投じた文章に、我同意せりとついつい膝を打った自分自身に思わず苦笑。
それが20年も前ならば、「チャンチャラおかしいや、老兵は消え去るのみだ」と鼻で笑っていたかもしれないことを思えば、まことに身勝手なことこの上ない。
しかし、恥かきついでに言わせてもらえば、その位置に立たなければわからないことが確かにある。年齢と、それを重ねたことによってちがってくる感覚や自己評価などは、その最たるものかもしれない。
ちなみに、孔子が七十余年の生涯を閉じたのは、今からざっと2500年も前の昔だから、ロングロング・ずっとずっと・とてつもなく・アゴーである。
そんな気の遠くなるほど遠い昔に彼いわく。
吾十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順(みみした)がう。
七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)を踰(こ)えず
わたしは15歳で学問を志し、30歳になると、独立した立場を得た。40歳になると、迷うことがなくなり、50歳で天から与えられた使命を知り、60歳になると他人の言葉を謙虚に受けとめられるようになり、70歳になると、思ったように振舞っても道を外れるということはなくなった。
ここから
15歳を「志学(しがく)」
30歳を「而立(じりつ)」
40歳を「不惑(ふわく)」
50歳を「知命(ちめい)」
60歳を「耳順(じじゅん)」
70歳を「従心(じゅうしん)」
というようになったのは有名だが、現代日本の一般的には、「不惑=四十にして惑わず」以外の言葉はあまり知られていないような気がする。というのはさておいて・・。
古代中国における平均寿命が、いったい幾つなのか、今となっては知る由も調べようもないが、ごく大雑把な感覚としても、そこにおける70を現代の90と置き換えても、なんら不都合はない気がするし、むしろ、プラス20ぐらいがちょうどよい加減のような気もする。
孔子より1200年もあとの唐代に生きた詩人杜甫の作『曲江』にはこうある。
酒債尋常有行處
(しゅさいじんじょうゆくところにあり)
人生七十古来稀
(じんせいしちじゅうこらいまれなり)
ここから「70歳=古稀」となったのも、これまた有名な話だ。
そうすると、知人の言葉とピタリと重なってしまう。
となると、まもなく60と7つを数えるぼくの場合は、「天命を知る」少し前ということになろうか。つまり、そこになってはじめて、自分の人生についての天命や運命がどういうものであったのかがわかる。そして首尾よく80まで生きることができれば耳順、すなわち、他人の意見に反発を感じることなく、素直に耳を傾けられるようになる。
う~ん・・・今さらながらではあるがそれは、齢を積み重ねればそうなるという類のものであるはずがない。それに、ぼくの場合においては、天命よりも耳順よりも不惑、すなわち「惑わず」がもっとも困難で、ほぼ実現不可能なもののような気がしてならない。つまり、いかにその基準となる年齢を変えようと、こうなるわけだ。
40にして惑い
50にして惑い
60にしてなお惑い
70になったらなおいっそう惑い
80になってもまだまだ惑う
思い惑い心惑い
戸惑い暗れ惑い
ふらつき
ぐらつき
ためらって
途方に暮れてオロオロする
サウイウモノニワタシハナリタイわけではないけれど、そうならそうで、一生惑うと思い定め、そこに拠って立つのもわるくないかもしれない。