Jimmyの旅行放談

私は海外旅行が好きで、これから色々体験談を流して皆さんのご意見をお伺いいたしたいと思います。

「Jimmy の旅行放談は、今度は何処へゆくのだうか?」  P 326

2006年02月22日 00時02分13秒 | Weblog
正面でグラスを持っていらっしゃるのがアニーさん、
ホー博士の奥様でパリジェンヌです。

とてもダンスがお上手で私も御一緒させて戴いたこと
があります。

左手の御婦人がアニーさんの御母堂です。

アニーさんの右手のお嬢さんが、長女の高校生テビー
さんです。

「Jimmy の旅行放談は、今度は何処へゆくのだうか?」  P 324

2006年02月21日 00時22分59秒 | Weblog
正面に見える方は、キムさんと言って現在は
パリ市庁舎のお役人です。
この方もカンボジアから移住して来てフランス
の国籍を取得され、ズッとパリで公務員として
働いているお役人なのです。

フランスでは公務員になるためには、自国の仏
語の他に複数の外国語が要求される、と伺いま
した。

新年の彼からの年賀状によると、年金受給資格
の得られる65歳まであとまだ4年働かなけれ
ばならいと伝えていました。

現在フランスでは40年間も働かないと年金受
給資格が貰えないようなので、どの国でも社会保
障制度は厳しいものだとわかりました。

フランスでは、公務員の定年制が早くから延長
されているようでした。

私がキム氏を知ったキッカケは、やはり、ホー
博士の御紹介で私とも友人になりました。
キム氏自身、来日の際には、東京見物、鎌倉見
物案内、私の職場であったアメリカン・スクー
ルの教室にまで紹介したことがあります。

キム氏は、英語が出来るので、時々ホー博士と
私との会話で困った時には、通訳して戴いてと
ても助かります。
お家もホー博士から車で10分ばかりの所です。

キム氏のお家にも伺っていますが、そこではゴ
ッドマザーと御一緒に住んでいらっしゃるので
す。

初めて、ゴッドマザーにお会いした時は、ゴッ
ドマザー(後見人)の存在すら知りませんでした。
やはり、海外に友人を得られることは、見聞を
広めるだけに留まらず、色々な文化や知識も得
られるものです。

「Jimmy の旅行放談は、今度は何処へゆくのだうか?」  P 321

2006年02月19日 08時38分00秒 | Weblog
私が尊敬するホー博士は、いつも笑顔を
絶やさず前向き精神で物事に対処していると
ころである。

また、不言実行型の生き方にも共感を呼び
大いに学びたいところである。

持つべきものは良き友だと実感する今日この
頃である。

  今日は、ここまで。

「Jimmy の旅行放談は、今度は何処へゆくのだうか?」  P 320

2006年02月18日 08時01分26秒 | Weblog
写真手前、右側にホー博士夫人、アニーさん、
その左に長女、テビー(Thevy,14歳)さんです。
テビーさんは、パリの高校生である。地下鉄駅
が家の近くにあり電車通学生だと聞きました。

さて、ここで、意外なお話をさせて下さい。

皆さんも、あの世界中で注目を浴びた元英国
チャールズ皇太子妃であったダイアナ妃の最
後の自動車事故をご存知でしょう。その事故
現場というのは、パリ都心から郊外へ抜ける
トンネル内で発生したのです。

私たちがその事故の直前僅か1週間前に1日
3往復6回も往来した日もあり、とても感慨
深いものがあるのです。

私達二人がこの旅行を終えて、日本へ帰国して
から、このトンネルでダイアナ妃がパパラッチ
に追跡された果ての交通事故での急逝だと知っ
た時は、ほんとうに胸がつまる思いでした。

ロンドン滞在中も毎日大衆紙(タブロイド版)
サン紙を買って読んでいましたが、毎日のよう
に紙面一面にチャールズ皇太子と恋人、カミーラ
女史(現在は正式に結婚できて皇太子夫人)のス
キャンダル記事が事細かに報道されていたのを
よく記憶しています。

今となっては、貴重な悲しい思い出の場所となっ
てしまったのです。

  今日は、ここまで。

「Jimmy の旅行放談は、今度は何処へゆくのだうか?」  P 319

2006年02月17日 08時31分47秒 | Weblog
私は、専らバーベキューを食みながらビール
を頂戴する。

ところで、私の友人のホー博士は、元カンボジア
の貴族出身なのです。

ご存知の通り、1970年代反中親米派、シハヌーク
政権を打倒した、親中共産勢力カクメール・ルージュ
(KR)との間で内戦が続き、1975年にはKRが内戦
勝利。民主カンボジア政権樹立の際、同政権下で大量
の自国民虐殺が行われたのです。

その混乱の中でお気の毒にホー博士の父親は暗殺された、
と伺っています。

この混乱の最中に賢明な上流階級のカンボジア人はフラ
ンスへ移住して来たようです。

ホー博士は、既にパリ大医学部を卒業していて、外科医
の免許も取得していたのです。パリジェンヌと結婚し、
今では、二人の娘をもつ良き父親になって、開業医とし
て幸せな家庭を築いていらっしゃるのです。

ところで、私との関係を説明いたしましょう。私がアメ
リカン・スクールに在任中、1977年ハワイの東西セ
ンター(East West Center)で、研修した関係から東西
センターの国際同窓会員の資格を取得していたのです。

研修後は、毎2年毎にホスト役のホノルル・東西センタ
ー本部を始め環太平洋地域全域内で国際同窓会が場所を
変えて開かれているのですが、私は、大体参加している
のです。

そうした中で彼との出会いは、1989年夏シンガポール
で開催された国際同窓会がキッカケになって親密度を深め
て行ったという次第です。

彼も家族を連れて、東京にも遊びに来て戴いています。

因みに今年、2006年は北ベトナムのハノイでその東西
センターの国際同窓会が12月7日~12日開催される予
定で、ホー博士御夫妻との再会を今から楽しみにしていま
す。

  今日は、ここまで….。

「Jimmy の旅行放談は、今度は何処へゆくのだうか?」  P 318

2006年02月16日 08時25分55秒 | Weblog
この、歓迎会にはホー博士の友人キム氏夫妻、
その息子、キム氏家のゴッドマザー(教母)
も招待されていた。

また、ホー博士には、パリジェンヌの奥さん
アニー(Annie)さん、先に御紹介した娘アリサ
(Alyssa、7歳)が妹で、も一人のお姉さん
テビー(Thevy、14歳)、奥さんの母親の5人
家族である。

私達夫婦を入れて総勢11名という結構賑やか
な歓迎会と相成ったのであります。

  今日は、ここまで。