ダニー食堂

右往左往の日々。

新しい生活の始まり

2012-05-18 | もう1品
結婚当初から良い事も悪いことも綴ってきたので、続けようと思います。
なぜなら、それは私たちの記録だから。

それらを全部ひっくるめての結婚生活だと思うから。





あの日。



ダニーが帰宅予定だったあの日。



ご飯の下準備も出来ていたあの日。



初めて目にする市外局番から電話がありました。



理解できませんでした。



理解したくなかったのかも知れません。



でも私の正常な神経のどこかで事の重大さを理解していました。



だから、うろたえて体が震えました。



「自分がしっかりしなければ」という意思が働いて、震える手であの子のお父さんに電話しました。



そして助けを求めました。



気が動転して運転が出来ないから一緒に来て欲しいとお願いしました。



その間、また病院から電話がありました。



様態を聞いても「まだ分からない」の一点張り。



代わりに病院の所在地と連絡先、ダニーが私の名前を発音したこと。
そして、こちらの状況を把握してか運転手を確保したか否かの確認。



そんなことを諸々言われながら所在地をGoogoleしている頃にあの子のお父さんが到着。



移動中に再度、病院から連絡が。
とりあえず「stable(落ち着いてる)」とのこと。



とはいっても、空輸されて大事になっているのは明らか。



「あなたのいうstableとは具体的にどういう状態なのか」と尋ねるも「今の時点ではstableとしか言えない」とのアメリカンな答え。



病院に到着し、救急病棟の受付に行くもダニーは既に開放されているとの事。



そこで希望の光が見えるも、残念ながら次に案内された先はICUでした。



言われた部屋を恐る恐る中を覗くと横たわるダニー。



すぐに駆け寄るも、虚ろな目で言われました。



「僕は一生半身麻痺だ」と。