cogito ergo sum

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橋本知事の首相公選制案の是非と政治について、今後も含め思うこと。

2011-05-31 | news column

橋下知事「自分たちのリーダーは自分たちで選ぶ」 あなたは「首相公選制」の導入に賛成ですか、反対ですか?




この記事についての意見:


 「首相公選制」の導入に反対




日本国民の現状を考えるうえで、反対です。
たしかに「自分たちのリーダーは自分たちで選ぶ」、この言葉には納得させられるものがあるでしょう。
しかし、“自分たちで選ぶ”といえるほどに政治に対し関心を向けているでしょうか。
義務を果たし、民主主義とはいかなるものか、そこに葛藤と悩み、理想理念が確固としてあるでしょうか。
ただ権利だけを叫ぶのではない、責任を負う意見構築、
多角的長期的議論に耐えられ、思考できる力が多数において養われなければ、
直接制、公選制によって得られるものは、さらなる政治の劇場化、
最も悪い意味でのポピュリズムをひたすらに促進することになりかねません。
人気取りに単純に流れやすい現状を踏まえれば、その促進効果、影響は予想以上に大きなものになるはずです。
それを思うと、なおさらの衆愚政治、場当たり的政治、
政治とも呼べない政治へと、この国の政治を追いやってしまう制度となるのではないでしょうか。
もちろん、間接制によるもどかしさはあります。
それでもそこをブレーキに、ポピュリズムに陥らない英断を政治に機能させる、
そして一定程度国民の厳しい目にもさらさせるといった、バランスを保った制度の特長もみるべきです。
それだけの重要な位置にあるという認識があるのか??と疑ってしまうような、
本来のプロフェッショナル性とはかけ離れた政治家が急増しているようにみられるぶん、
国民の不満がこうした意見への賛同、人気となってあらわれるのでしょう。
しかし、その解決策とされているものもまた、なおさらそうした悪影響を招くもの、
むしろその最たるものとなりかねないものでは??という視点も忘れてはならないのではないでしょうか。
今一度、考えていただきたいと思います。

この意見に限らず、公約や政治理念とはまったく関係なく、
橋本知事のひとつひとつの行為は注目を集めることに終始しすぎです。

なにをどうしたいのか、
素朴に問い直していただきたいと思いますし、
多くの国民にも熟慮を願います。
一人一人の熟慮があれば、ポピュリズムに走ることの無意味さが実感され、そこに終始する政治家も減るはずです。
それで簡単に評価されるからこそ走る、その部分を見逃さず、
もちろん自省も含めて述べているのですが、私たちはわが身の反省を忘れるべきではないと思います。



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復旧はもちろん、本当の復興もまた長期的に政治で、社会で進めていかねばならないもの。
短絡的にだれかを責める、
だれかに期待する
ではなく…
しっかり考えたい問題です。

前原外相の辞任に思う

2011-03-07 | news column

前原外相が外国人献金問題めぐり辞任を表明 あなたは前原氏の辞任に納得できますか?




この記事についての意見:


 どちらでもない、その他




これまでの経緯を考えると、正直やっと辞任か、という思いもあります。
しかし、それはこのような政治資金の問題ではなく、実務における問題や発言、行動に対して、です。
今回の外国人による献金問題で辞任したことについては、外務大臣という立場上も含めて考えると、
たしかにありえる判断ではあり、追及を受けても仕方のない違反をおかしていることには違いありません。
ただ、今回の辞任において前原外相はこの一件に対し責任をとったというよりは、将来的な自分の位置を確保したように思えます。
辞任を拒否し、形式上のミスであるとして続けることもできたでしょう。
しかし、それではこれまで率先して批判してきた小沢氏と変わらない、
同じ「政治とカネ」の黒いイメージを、別件も含めさらなる追及を重ねてくるであろう野党や反対勢力に貼り付けられることになる、
それよりは今はひくべきとき、ひいてクリーンなイメージをさらに印象付けるほうが得策、と判断されたように見えます。
このような細かな問題でも、形式上と見える問題でも、決して軽視はしない、それに責任をとる、
そのイメージを獲得しつつ、現閣内から去ったのは、多少のリスクももちろん伴いますが、かなり得をしたのではないかと思います。
献金された方のエピソードなども巧妙に、非常に情緒的・感情的に訴えかけ、マスコミ宣伝されているところをみると、さらにその感が否めません。
潔いイメージを守り、ひくべき時にひいて次の機を待つ、
自分のトップに立つ時代が来る可能性を残すための最善の策をとった、とみるべきなのではないでしょうか。
倒閣が起こってもやむなしの判断…まったくもはやだれがだれを守っているのかもまったく分からない、
民主党はどこへ行くのだろうと思ってしまいます。
辞任で解決ではなく、きちんと追及の矢面には立っていただくべきです。
ですが、重要な外交日程がさしせまり、国会の予算案も待ったなしの状況。
これ以上この問題で時間を費やしている暇もありません。
前原外相には、本当はむしろこれまでの外交上の失態の責任において辞任していただきたかったのですが、
こうなったからには、彼がこの辞任でそれなりに得をして去ったという見方も可能であることを国民としては忘れないようにし、
そのうえでこの問題をこれ以上引きずることはやめ、与野党とも、政治を、議論を先へ進めてほしいと思います。



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NZ災害等から見る近年の報道について

2011-03-02 | news column

ニュージーランド地震の被災者インタビューに批判の声も あなたはマスコミの災害報道にどのような感想を持ちますか?




この記事についての意見:




視聴者の知りたいという欲求にこたえること、そこでしか知りえない情報を伝えること、
それは報道の重要な役目であり、災害の際でもそれらが機能することによって、
二次的な人的被害、災害が防止されたり、安否確認で不安を解消することにつながったり、支援の輪が広がったり…
適切に行われれば、良い面が多数あるのがマスコミ報道だと思います。
しかし、それが多角的に心情を慮ることのできない、無神経なもの、
単なる野次馬的下衆な興味を満たすものとしてしか機能しないのであれば、もはや無意味と批難されても仕方がないのであり、
そういったカタチではない災害報道というものを考えていかなければならないと思います。
さまざまな「知りたい」欲求にこたえることは必要だけれど、
何の罪もない被害者、取材対象者を傷つけるような興味本位の取材は見る側にも不愉快です。

実際の救助や復興の邪魔になってしまうような行為はもちろんすべきでありません。
そうなっていないか、つねに注意を払うべきで、分からないことがあれば専門家や実際に携わる方に尋ねたうえで、
適切な取材方法を選ぶべきだと思います
また個別インタビュー等においては、取材を受けた側、その表現を受け取る側、
100%誰も傷つけないということは不可能であるにしても、常識以上にあらゆる人たちの心情に配慮できるだけの力が
報道にはあってしかるべきですし、それもまたプロの力のうちだと思います。

近年、こうした災害報道だけでなく、報道全般において、
その徹底すべきジャーナリズム精神であったり、さまざまな立場の人に対する心情面の配慮であったり、
独自の意見として確立して世の中へ投げ、それに絶対的に責任を負う、、、
大変なことだけれど、それを当たり前にしてこそプロであるということが、まったくもってできていない、
プロ意識の欠如甚だしいといった感を受けます。

その場でウケればいい、
センセーショナル性一番、スピード一番、あとは二の次、
過ぎ去れば知らん顔、
ではあまりにひどすぎます。

見る側の倫理性、知性とも共犯関係にあるのかもしれませんが、本当にここのところの報道のレベル低下には
強い危惧の念を抱かざるをえません。
早く内部からそのことに気づき、むしろ見る側を引きあげていくほどの高い精神性、良識を打ち出していくよう、
報道自身、生まれ変わっていってほしいと願います。



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市橋被告の逃亡生活手記

2011-02-26 | news column

英国人女性殺害事件で市橋被告が逃亡生活を手記に あなたはこの裁判前の手記出版をどう思いますか?




この記事についての意見:


 市橋被告の手記出版は不適切




殺人罪で起訴され裁判を前にしている状態、この段階でのこうした手記出版は不適切だと考えます。
印税が発生しても、遺族または公益に、とされている点は、精一杯の最後のモラル、救いでもあり、
出版社としてはそれで毒消しの意味を作用させているのかもしれませんが、表現の自由があるとはいえ、
やはり一般世界に流通するかたちで出版するといううえでの倫理上、私は問題を感じます。
今後の裁判の行方に影響を与える可能性もないとは言えませんし、裁判員制度が導入された以上、
なおこうした問題には注意深くあるべきではないでしょうか。
被害者遺族のことを考えても、さらに傷つける可能性はあっても、救いにつながる可能性はないに等しい…
むろん私自身、内容を細部まで読んでコメントしているわけではなく、また被害者自身でもないので、
決めつけることはできませんが、出版されるということ、その事実自体として考え、心情を慮るかぎり、
不適切な行為ではないかと否定的に感じてしまいます。

大きく世間に取り上げられた、注目度の高かった事件であり、その逃亡もまた話題となった、
数多くの話題があった事件だからこそ、特異で、センセーショナル性に長けていて、
手記として出せば“売れる”、間違いなく目をひく、
その意図ばかりがありありと感じられる、
事件、社会、人の心、これから先の世界…
そうしたさまざまなもの、問われる倫理、それらとは関係なく、売りに特化した出版のように思います。

広く一般の興味関心をひくもの、現代にぴったりと張りつき社会を考えさせるもの、
それらを書籍として世に送り出すことは出版社の使命のひとつだと思いますが、
こうした手記の出し方がその使命の行き着く先なのか?
どうしてもなにかひっかかる、
それは違うのではないかと私には感じられて仕方ありません。



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地方政治、および日本政治

2011-02-24 | news column

住民投票で阿久根市議会のリコール成立 あなたはこの結果にどのような感想を持ちますか?




この記事についての意見:




前市長退陣ののち、前市長派による運動が市役所入口のロビーで毎日のように展開され、
僅差での当選であったこともあり、新市長としては非常にやりづらい市政運営のはじまりだったという報道も耳にしましたが、
やはりあいかわらず混乱のなかにあるのだな、という点が一番の印象です。
母体数が決して多くはない阿久根市の場合、少々のさじ加減でどちらに優勢かが決まる、
それは小さな意見をすくいやすい一方、混乱を招きやすい。
より市民の良識が問われるところです。

たしかに議会の機能不全は数々の地方議会において指摘されることであり、中央においてもそれは当てはまることでしょう。
そのなかで議員報酬が不透明に高額、
なにをやっているのかも分からないのに、高額だけもらっている、その一方で自分たちの生活は苦しいのに…
そうした不満にうまく火をつけ、支持を集めたのが前市長でした。
機能しない議会、働かない議員への批判はなされて当然です。
しかし、議員報酬というわかりやすい指標のみを売りに、自身の政策に反対する人物はみな既得権益者であり市民の敵、
それを追い払えば生活は変わる、すべて良くなる、といった主張はあまりに短絡的かつ一面的、
それで本当に住民生活が向上するとは言い切れないと思います。

自身の意見をなにがなんでも通すために、議会を活性化させない、機能させない方向に動くのは、やはり健全とはいえず、
議会民主主義とはまったく言えません。
議会は=敵ではない、排除すべきものではない、と思います。

リコールが議会が議論しようとしていないから支持されたのであれば評価すべきですが、
分かりやすい二項対立、劇場型政治における悪役レッテルによって支持されたものであれば、問題です。

議会においてなにが議論されているかは見えにくく、今後それを適宜発信していく力は議員にも必要とされると思いますが、
真に活性化された議会とは、民主主義とは、存在意義のある議会とは何なのか、
報酬という分かりやすい指標のみで判断せず、その内容を小そ問い直すべきだと思います。

その内容に力を注ぐために、そしてそれによって住民の生活を支え、向上させていくためにも、
こうした混乱に終始させているのは不毛であり、いち早く事態を収拾させ、
地域課題に多様なる“議論を通じて”取り組むべきだと思います。
そのことこそ住民が必要としていることなのだという声を届ける方法として、市民は何をすべきか、
ぜひ自身に問うてほしいと思います。

日本における政治が、あらゆる点でこうした劇場化、キャラ対立化、議論内容の希薄化といった問題点を抱え、
腰を据えて問題に取り組むことのできない事態に陥っているようにも思えます。
阿久根市だけでなく、いま日本全体で問い直すべきですね。



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ニュース畑 ネット利用の反政府デモ

2011-02-23 | news column

アラブ世界で「ネットを利用した反政府デモ」広がる こうしたネットを使った民主化運動を評価しますか?




この記事についての意見:


 どちらでもない、その他




ネットを使用した反政府デモの時代へ突入したことは、今回においてとても大きな意味のあることだと思います。
電話が大きな意味を果たした時代、
FAXが大きな意味を果たした時代、
テレビが大きな意味を果たした時代、
それらを経て、ついに時代の運動がネットへと結びついたことは、
やはり時代の大きな変化の点として記録されるところであり、今という世界にあって必然であるともいえるでしょう。

ネットを通じて、圧政に苦しむ人々が情報を力に変え、ひとつになる、
誰もがもつ義務であり、権利であるといえる、自由と幸福を得る可能性を拡大する、
社会が国際水準としての民主化へとすすむ、

これらの動きはぜひ評価したい、推し進めたい流れです。

ただ、ことさらにそこにおける“ネット”の利点のみが拡大解釈されるような強調表現、
ネット万歳的にもろ手をあげて賛同、これで世界は必ず良き方向へ変わる、とは考えるべきではないと思います。
なぜなら、ネットは反政府、民衆の味方になるだけでなく、圧政をしく政府側の道具にもなりうるから、
そして、それがビジネスモデルと化すことも十分に考えられるからです。
ビジネスモデルとして、権力者に提供された時、それは
情報の操作、恣意的利用、制限等々…
使用方法によって、これまでよりも独裁化を、圧政をさらに強固にする道具に簡単になりえます。
群集心理を利用し、コントロールすることも考えられます。

よって、ネットというツールがもろ刃の剣であることを十分に理解したうえで、
今後の運動ひとつひとつを見ていく必要があるのではないでしょうか。



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