Jesus loves you

イエス・キリストを通して知る神様の愛についてのシェアリング

"INSPIRED TO INSPIRE Faith, Hope, Love" by Budi Hartono

2019-08-22 10:14:48 | Weblog

この記事は2019年8月16日に掲載された、インドネシアの牧師、ブディさんのレッスンを翻訳したものです。https://centralchristianchurch.sg/english-sermons-2/

「信仰、希望、愛による励まし」

今回アジアで初めて、Seasoned Singles Conference「シーズンド・シングルズ・コンファレンス」を主催運営してくださったシンガポールの教会に感謝しています。あなた方のもてなしと愛は本当に素晴らしいです。

私は心の底からこの特別なコンフェレンスに加えていただいたことに感動しています。そしてここで皆さんの前でお話しできる特権をいただいたことを大変光栄に思っています。

皆さんに、ありがとう、ありがとう、そしてありがとうございます。

皆さんが私の信仰のヒーローになってくださっていることにありがとうございます。

皆さんの人生と忠実さが私を奮い立たせています。本当にありがとうございます。

それがどういうことなのか皆さんにはお分かりにならないかもしれませんので、少し説明させてください。

ここで、"THE SINGLES TRUTH"(独身の真実)の著者、Lori Smith(ローリー・スミス)さんの本から引用します。

[引用]多くの歳をとった独身クリスチャンは、自分がこの歳になってもまだ独身でいると想定していなかったので、途方にくれています。

彼らは、今はすでに結婚しているはずだったと思っています。離婚している人たちは、自分の人生にこんなことが起こるなんて全く予想してなかったと思っています。

彼らはクリスチャンとして足らないと感じています。 教会は家族を強調しすぎるので、”良いクリスチャンは結婚して子供をもつものだ”という印象を受けるからです。

もしかしたら神様は自分たちのことを忘れているのかもと思います。

たくさんの人たちが独身であることに落ち込んでいます。そしてこの気持ちをどう変えていいのか分かりません。

『祖国を持たない人のように』

[引用] "Challenging the Misconceptions of Singleness with God's Consuming Truth" by Lori Smith
(神様の激烈な真実をもって独身に対する誤解に挑む)

この本に書いてあるように、誰も皆、今自分が独身であることを予想していなかったですよね。誰ひとり。

だから皆さんはローリーが言っていることに完全に共感できますよね。

ものごとがうまく行っているときに、神様を愛すること忠実であることは簡単です。

願い通りにお祈りが聞き届けられたときに、神様を愛することは簡単です。

私たちの計画通りに人生が進んで行くときは簡単です。

でもどれほど神様を愛し、信じ、忠実でいるかをはっきりと見ることができるのは、ものごとが思い通りではなく予想外だったときです。

ですから、兄弟姉妹の皆さん、ありがとうございます。

いろいろな試練や葛藤、状況があるにもかかわらず、皆さんは信仰を持ち続け、神様を愛し続け、喜こび続け、与え続けているからです。

ですから、私の励ましになってくださってありがとうございます。大きな拍手を!

今晩、神様の御言葉で皆さんがもっと励まされるように祈っています。

テサロニケの教会への手紙から学びましょう。

テサロニケ信徒への手紙1章1節

「パウロ、シルワノ、テモテから、父である神と主イエス・キリストとに結ばれているテサロニケの教会へ。恵みと平和が、あなたがたにあるように。」

これはパウロからの特別な挨拶です。何故ならパウロにとってテサロニケの教会は大変特別だからです。

パウロは30もの手紙を書きましたが、テサロニケの教会あてに書かれたこの2通の手紙だけが、冒頭の挨拶でパウロの肩書が記されていません。

他の11の手紙では、「使徒」「神様のしもべ」または「囚人」などと書いていますが、テサロニケの教会への手紙では何もつけていません。

これはパウロが自分の権威には関係なくテサロニケの教会に対して非常に個人的に近しく書いているからです。

パウロはテサロニケの教会を特別に親密に思っていだけではなく、テサロニケの教会の人たちからも刺激を受けて励まされていたからです。

2節「わたしたちは、祈りの度に、あなたがたのことを思い起こして、あなたがた一同のことをいつも神に感謝しています。 」

3節 「あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐していることを、わたしたちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです。 」

We remember before our God and Father your work produced by faith, your labor prompted by love, and your endurance inspired by hope in our Lord Jesus Christ. 

 

パウロは祈るたびにテサロニケの教会の人たちのことを神様に感謝しています。

彼は、テサロニケの教会の人たちの信仰と愛と希望に刺激されて励まされています。

「信仰による働き」や「愛のための労苦」そして「希望による忍耐」を彼らの中にはっきりと見ることができます。

だからテサロニケの教会の人たちのように、「シーズンズ・シングル」(熟練したシングル)の兄弟姉妹の皆さん、あなたがたも他の人たちをINSPIRE元気づける生き方ができるのです。

私たちは周りにいるたくさんの人たちを励ますことができるのです。

だから私たちは他の人たちを励ますようにと神様がお召しになったと信じる必要があります。

 

ここで立ち止まって考え始める必要があります。

私たちの人生は、私たちの人生に何が起こったかによって決まるものではありません。

私たちの人生は、私たちの人生に起こったことに対してどう反応するかによって決まるのです。

私たちの信仰、愛、希望が私たちが反応する主要な要因となります

では信仰、愛、希望がどのように私たちの人生に影響するのでしょうか。

WORK PRODUCED BY FAITH
信仰による働き

パウロはテサロニケの教会の人たちの「信仰による働き」に励まされました。

人生で生産的になるということです。

ギリシャ語でWORKとは「エルゴン」、その意味は職業、功績、業績、生産物のことです。

信仰を持つことは、神様を信じることですよね。 

では、信仰が足りないとは、神様を疑い始めること、神様に疑問を持ち始めること、神様は良い神様であることを信じなくなることです。

そして自分の人生に満足しなくなることです。

神様のやり方ではなく自分のやり方でものごとを行うようになることです。

神様のためにではなく、自分のためにものごとをやり始めることです。

マタイによる福音書25章のたとえばなしにある一タラントンを預かったしもべのように、主人の心を疑い始めます。

マタイによる福音書25章24節から25節

「ところで、一タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』

兄弟姉妹の皆さん、私たちは信仰がないと神様を疑い始めてしまいます。

神様に頼らなくなって、人生に満足しなくなります。

神様の良さに感謝できなくなります。

 

私たちの人生を実りあるものにすることを妨げてしまいます。

 

JERRY BRIDGES(ジェリー・ブリッジス)は、こう言ってます。

[引用]「人類の歴史上一番最初の誘惑は、『不満足』への誘惑だ。これこそが『不満足』そのものである。神様の善を疑うことだ。」[引用]

  「満足」 神様は神様であり、自分は神様に属していて、いつも自分と神様は自分をこよなく愛していて、いつも自分と一緒にいるということを完全に、十分に確信していることです。

兄弟姉妹の皆さん、いろいろな苦難や試練がある中で、あなたは神様に愛されていると信じますか。

神様はあなたのことを気にかけている、面倒を見てくれると信じますか。

神様は良い神様だと信じますか。

神様を信頼しますか。

与えることに関して、何があなたを思いとどまらせていますか。

仕えること、自分の賜物を用いて神様に仕えること、ベストを尽くすことをしなくさせるものは何ですか。

本当に完全に自分は神様に愛されていると信じられた時にだけ、あなたは神様のためにベストを尽くして生きることができます。
 
私は今日、ジャカルタの兄弟姉妹たちに刺激され励まされています。シーズンズ・シングルたちに。特にスサニとキキズとたくさんの姉妹たちに刺激されて励まされています。

神様が彼女たちを本当に愛していることを彼女たちはよく知っています。

彼女たちには人生でたくさん不平不満や、打ちのめされたことなどがあることでしょう。

でも彼女たちは神様に心から捧げているのを私は見ることができます。心と人生を捧げています。

彼女らが自分たちのものを捧げられる唯一の理由は、神様において満足しているからです。

何故なら彼女たちは、いろいろな困難があるにも関わらず、神様に愛されていると信じているからです。

それゆえ11年前にPRECIOUSE WOMEN MINISTRY「プレッシャス・ウーマン・ミニストリー」が始まりました。

そして今日彼女たちがジャカルタのたくさんの女性を助けていることが分かります。

それだけではなく、「プレッシャス・ウーマン・ミニストリー」は兄弟たちにも同じ道を歩くようにと励ましました。

ですから今年、FAITHFUL BROTHERS FELLOWSHIP「信仰深い兄弟たちの交流」というミニストリーが始まりました。

FABULOUSと呼んでいます。

何故FAITHFUL BROTHERS FELLOWSHIPという名前にしたのかというと、まず最初に、私が信仰深い彼らに刺激されたからです。

いろいろな試練がありながらも信仰が深い兄弟たちだからです。

二つ目の理由は、彼らが人生の終わりまで信仰深さを持ち続けていることが見えるからです。

最後の理由は、神様が彼らを「忠実で良いしもべ」と見ていて、彼らは自分のすべての賜物を与え、自分の人生のすべてを使って神様に捧げるであろうと信じているからです

私たちはジャカルタでFAITHFUL BROTHERS FELLOWSHIPが始まることを祈っていました。

でもどのようにしてこのミニストリーが始まったかというと、姉妹たちが同じ道を歩くように導いてくれたからです。

だから私は「プレッシャス・ウーマン・ミニストリー」の姉妹たちにもう一度感謝したいのです。満足した人生がどういうものかを見せてくれた姉妹たちに。

ありがとう、スサニ、キキズ、ヘルシー、すべての人たち、あなた方は私たち全員の励ましとなりました。

今日このコンフェレンスを開くことができたのも、彼女たちのビジョンや夢そして心があったからです。
 
それゆえ私たちは喜ぶべきことを喜ぶことができます。
 
 
LABOR PROMPTED BY LOVE
愛による労苦

愛はテサロニケの教会の人たちが互いにつながるためには何でも喜んでやりたいという思いをを助けました。

他の人を愛すること、つながることは簡単なことではないと分かっていました。

そこには犠牲があり、重労働があり、謙虚さがあります。

ギリシャ語でLABOURは「コポス」、その意味は激務、困難、苦労、重労働です。

愛するとは、つながるために何でもするという意味です。

誰かを愛するとき、喜んで自分を犠牲にします、喜んで嫌なことをします、喜んで変わろうとします。

それが愛というものです。

エフェソの信徒への手紙4章2節から3節

「一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。」

愛するとは、愛をもって、喜んでお互いに忍耐することです。

忍耐とは何でしょう。重いものを背負って運ぶということです。

だからお互いに愛し合うということを学ぶ必要があります。何故なら重いものを背負うことは必然的に起こることだからです。

そして一生懸命に努力することが必要です。そうすれば愛し合えるようになれるからです。

兄弟姉妹の皆さん、神の家族皆さん、私たちが本当に愛するとき、お互いがもつすべての違いを超えてつながることを学びます。

お互いを認めながらもつながることは簡単なことではありませんが、実行可能なことです。

私たちは寂しい思いや孤独を感じなくていいのです。 それは素晴らしいことじゃないですか。

ここにお互いがいるからです。

ただ問題は、私たちは互いに愛し合うことにベストを尽くそうという気があるかどうか。

愛をもって喜んで忍耐しあいたいと思っているかどうかです。



[シングル・ファーザーのアンドレさんと子供たちについてのシェアー]は割愛しました。



兄弟姉妹の皆さん、愛は決して滅びません。失敗しません。

本当に心から互いに愛し合えば、私たちは互いに励まし合えます。つながり合えます。

それには大変な努力がいります。労苦です。 でもそれが愛と言うものです。

 


ENDURANCE INSPIRED BY HOPE
希望をもって忍耐する

ENDURANNCEのギリシャ語は しっかりとしていること、(不動)、辛抱強さ、根気、粘り強さ、不屈の努力

私たちは神様に希望をもつことによって忍耐できます。

神様を信じることによって神様はベストをご存知で、私たちに最も良い結果を与えてくださると信じることです。

でも希望を失い、大きな未来予想図を見れなくなると 私たちは心配になって不安になって、ものごとを自分の手でやろうとし始めます。

あきらめようとするし、辞めようとします。

何故、イエスはこれほどの苦難にあったのにあきらめなかったのでしょうか?

ペトロの手紙一 2章21節から23節

「あなたがたが召されたのはこのためです。というのは、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです。 『この方は、罪を犯したことがなく、その口には偽りがなかった。』 ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅さず、正しくお裁きになる方にお任せになりました。 」

クリスチャンはイエスを模範にするようにと言われています。

私たちの人生を神に委ねよと言われています。

私たちは主においてどのくらい自信をもっているのでしょうか。

あなたは自分の人生をすべて神様に委ねることにしていますか。

神様に自分を明け渡していますか。 それとも不安に駆られて自分のやり方でやろうとしていますか。

まだ神様のご計画を信じていますか。

[引用] 「人生とは嵐が過ぎ去るのを待つことではない。  雨のなかで踊ることを学ぶことである。」[引用]

人生はそのプロセスを楽しむものです。

それができるのは、神様は私たちにベストを良いものをくださると信じれることからです。

そこに自信を持つことからです。

何故まだ結婚できないのかにフォーカスするよりも、神様に希望をもつよう望んでおられます。

雨の中で踊ることを学んでほしいです。

神様は人生のプロセスを楽しんでほしいと願っています。 励ましています。

嵐にフォーカスするとがっかりします。でも嵐の中でも踊ることができれば嵐を楽しむことができます。 神様はあなたが人生のどの季節にいてもあなたを愛しておられます。 神様のおっしゃることを信じますか。


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