らいん屋☆親父の『しらしんけん』に『一寸ずり』

大分の人生修行中の五十路親父です。
先の見えた人生です。『しらしんけん』⇒一所懸命・『一寸ずり』⇒少しずつ前進する。

ポテト

2008年08月17日 19時29分51秒 | 親父の人生・思い出
最後の休みの夜を、ポテトをつまみにのどごしをグビッといっている。
親父にとって、ポテトは特別な食い物なのだ。
思い出がいっぱい詰まった食い物なのだ。

16年前に、いいかげんな親父のため離れた、我が子との思い出のポテトなのだ。
子供が歩けるようになった頃から、車で走っているとMのマークのマクドナルドがあると、言葉もまだ話せないのだが「アッ・アッ」と指をさし、親父が「マクド行くか」というと「ハイ」とはっきり返事をしてた。
Yちゃんのマクドでの大好物がポテトだった。1人前をペロッと食べていたのを思い出す。
親父、大分へ来てからはマクドへ行ったことがないし行きたくない。

お盆の最後の日だからポテトを食ってみたが、思い出しては涙している。

「ハイ」という、大きな声での返事が聞こえてきそうである。

お盆休みも終わり

2008年08月17日 14時43分57秒 | 親父の人生・思い出
永かった盆休みも終わり。
親父、長い休みは苦痛です。
明日から仕事。会社へ行くほうが楽しみです。
子供の頃は日が暮れるまで遊んで、真っ黒になりお盆が終わると福知山の田舎から大津へ帰り、地蔵盆が楽しみでした。

夏休みで思い出したのですが、親父が子供の頃は栄養のある食べ物が少なかったのか、田舎で毎日、肝油を食べていました。今の子供たちは、食べているのかなあ。
田舎には甘いものがあまり無かったので、肝油・浅田アメが大好物でした。
そういうと、親父スイカは最近食わんなー。子供の頃は夏の果物はスイカかマクワやったもんな。田舎にはスイカ畑があったから、勝手に取って食っていた。
夏の風物詩言うたら、花火・風鈴・キンチョウ蚊取りやろ。風鈴も見んし、音も聞かん。もうじき、鈴虫の音も聞ける時期やけど、何年も聞いとらん。

日本らしさはどこへいったのかと感じるお盆でした。