例年行ってきた東日本大震災に対する会見を今年は取りやめ。
東京で追悼式典で耳障りのいいことを言っておしまい、だ。
理由が、彼らしい。六年過ぎて復興も進んでいるからと。
よく現地を見てから言ってほしい。
このことは、報道についても同様。
NHKは情緒的なことに終始。
TBS系はいまだ復興の道遠しと特集していた。
自力で再建できる人はまだ言いだろう。
そうできない人が圧倒的に多い。
原発事故で各地を転々と非難している人。自主的に非難し、避難先で子供はおろか大人社会でも
「いじめ」にあっているという。
避難制限が解かれる。
だが、安心と言うわけではない。
子供を抱えた人は安全と言われてもにわかに信用できない。
あれだけ安全と言われ続けた原発。
それが、自然の力の前になすすべもなく未曾有の事故となった。
40年と言われる廃炉への道のり。
順調にいってもその時生まれた子も働き盛りの年齢となる。
先の見えない状況に置かれていながら再稼働に動いているし、一部再稼働を始めた。
使用済み核燃料の処理をどうするかの見込みも立たない中での再稼働。
それは安全神話の中でも再処理などの試験的な対応の中で莫大な金をつぎ込んできた。
企業の存続より使用済み核燃料処理をどうするか、まずもって決めなければならないはず。
そんな中での再稼働はどう理屈を並べ立てても認められない。