東大阪市加納 日蓮宗 妙政寺のブログ〜河内國妙見大菩薩、安立行菩薩、七面大天女、鬼子母神を祀るお寺!

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小説 楠木正成 書いてみた。2

2019-12-08 20:10:14 | 住職の小説(こっぱずかしいけど)
楠木正成 2

高氏

奇妙な光景だった。
湊川を挟んで向き合っているのは足利直義が率いる軍勢だった。
無数の旗印の中に、錦旗がはためいている。
「兄上」
正季が話しかけてきた。
「わずか数ヶ月で見事に立て直しましたな、尊氏は」

ほんの三月前、尊氏は新田、北畠、楠木の連合軍によって完膚なきまでに叩きのめされ、九州に落ち延びたのだ。
瞳をつぶった。大塔宮を救えなかった。本当は全てがその時に終わっていたのだ。

鎌倉をたった尊氏を北畠顕家が奥州5万の軍勢で追い、そしてその尻尾に食らいついたのだ。
鬼神も哭くようなこの進撃によって、後醍醐帝の新政は再び息を吹き返したかに見えた。

顕家は若かった。哀しいほどに若かった。まだ20歳にも至っていない。
「正成殿とこうして一緒に戦えることを嬉しく思う」
「わたしもです。顕家殿」
似ている、と思った。大塔宮に、である。そのことがまた正成を悲しくした。だからこそこの行軍に報いるために再び軍を率いようと思ったのだ。

「足利本隊の正面を新田殿、北畠殿に。楠木隊3千は遊軍です」
正成の提案に義貞はわずかに顔をしかめた。顕家は正成の策を支持し、帝がそれを認めた。
戦線が膠着した時、正成率いる遊軍が足利軍の側面を衝いた。
崩れた陣形を立て直した足利軍に再び痛撃を加え、そして今度は完全に崩した。退却する足利軍を何処までも追い続けた。追って追って追い続けねば負けなのだ。義貞や帝をはじめ廷臣にはそれが分からない。
「尊氏の首だ。それで終わる。追え!」
正成は50騎で駆け、正季が30騎で続く。尊氏の逃れる先は丹波国篠村しかない、そういう確信があった。
花一揆。尊氏自慢の小姓たちが何度か行く手を阻もうとしたが、数で押しつぶした。

篠村まであと半里。ついに尊氏を捉えた。峠に差し掛かる坂道に馬上の将を囲むように十数人の徒士がいた。
正成が手をあげて全軍を止めると、尊氏もひとり、進み出てきた。
長い時間をかけて見つめ合う。無言のままだった。尊氏が目を閉じた。
「返すぞ」
正成はそういうと馬首を翻し、静かに風のように去っていった。

コメント
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