示ニ云ク、俗の帝道の故実を言フに云ク、「虚襟にあらざれば忠言を入れず。」ト。言は、己見を存ぜずして、忠臣の言に随ツて、道理に任せて帝道を行ナフなり。
衲子の学道の故実もまた是ノごとクなるべし。若し己見を存ぜば、師の言耳に入らざるなり。師の言耳に入ラざれば、師の法を得ざるなり。
『正法眼蔵随聞記』巻1-14
帝王というのは、自分の思い通りに政治を動かしたいものだそうですが、しかし、優れた帝王こそ、「己見」を有せずに、忠臣の言葉を入れて、道理にしたがった政治を行うのです。
同じように、修行者というのも、「己見」を持っている間は、師の言葉が聞き入れられないものです。よって、それを捨てて、師の法を得るべきだというのです。
普段から、我々も道理のかなった言葉に出会えるように、心を澄ましていたいものです。逆に、心を澄まし、耳を澄ましていれば、どのような言葉でも、自分にとって役立つものなのです。
衲子の学道の故実もまた是ノごとクなるべし。若し己見を存ぜば、師の言耳に入らざるなり。師の言耳に入ラざれば、師の法を得ざるなり。
『正法眼蔵随聞記』巻1-14
帝王というのは、自分の思い通りに政治を動かしたいものだそうですが、しかし、優れた帝王こそ、「己見」を有せずに、忠臣の言葉を入れて、道理にしたがった政治を行うのです。
同じように、修行者というのも、「己見」を持っている間は、師の言葉が聞き入れられないものです。よって、それを捨てて、師の法を得るべきだというのです。
普段から、我々も道理のかなった言葉に出会えるように、心を澄ましていたいものです。逆に、心を澄まし、耳を澄ましていれば、どのような言葉でも、自分にとって役立つものなのです。