示ニ云ク、無常迅速なり、生死事大なり。暫ク存命の間、業を修し学を好マンには、ただ仏道を行じ仏法を学すべきなり。
文筆詩歌等そノ詮なきなり。捨ツべき道理左右に及ばず。仏法を学し仏道を修するにもなほ多般を兼ネ学すべからず。況ンや教家の顕密の聖教、一向に擱くべきなり。仏祖の言語すら多般を好み学すべからず。
一事ヲ専ラにせん、鈍根劣器のものかなふべからず。況ンや多事を兼ネて心想を調へざらん、不可なり。
『正法眼蔵随聞記』巻2-8
道元禅師が、仏道以外の、文章や詩歌、そういった文化的なことを学ぶのが無駄だと示された一節です。非常に有名で、後々まで、曹洞宗の僧侶が、文化的芸術作品などを作るのに躊躇することとなりました。
しかし、道元禅師がこのように示されたことには明確な理由があります。それは、人間の寿命などいつ終わるか分かったものではないので、その前に、一刻も早く仏道を学んでおくべきだという意見があるということ、そして、もう一つは、人間の能力など、そんなに多くのことを極めることは出来ず、いわば才能のリソースを、仏道以外に差し向けてはいられない、という意見です。
どちらとも、まさにいわれる通りですね。
文筆詩歌等そノ詮なきなり。捨ツべき道理左右に及ばず。仏法を学し仏道を修するにもなほ多般を兼ネ学すべからず。況ンや教家の顕密の聖教、一向に擱くべきなり。仏祖の言語すら多般を好み学すべからず。
一事ヲ専ラにせん、鈍根劣器のものかなふべからず。況ンや多事を兼ネて心想を調へざらん、不可なり。
『正法眼蔵随聞記』巻2-8
道元禅師が、仏道以外の、文章や詩歌、そういった文化的なことを学ぶのが無駄だと示された一節です。非常に有名で、後々まで、曹洞宗の僧侶が、文化的芸術作品などを作るのに躊躇することとなりました。
しかし、道元禅師がこのように示されたことには明確な理由があります。それは、人間の寿命などいつ終わるか分かったものではないので、その前に、一刻も早く仏道を学んでおくべきだという意見があるということ、そして、もう一つは、人間の能力など、そんなに多くのことを極めることは出来ず、いわば才能のリソースを、仏道以外に差し向けてはいられない、という意見です。
どちらとも、まさにいわれる通りですね。