一日示ニ云ク、人その家に生マれ、そノ道に入らば、先づその家の業を修スべし、知ルべきなり。我が道にあらず、自が分にあらざらん事を知り修するは即チ非なり。
今、出家の人として、即チ仏家に入り、僧道に入らば、すべからくその業を習フべし。
『正法眼蔵随聞記』巻2-2
道元禅師は、どのような人の家業を継ぐべきであるとしています。今、この自由主義の社会では、ちょっと意外に思われる言葉かもしれませんが、しかし、多分、遺伝的なこともあって、親の仕事が子供にとっても向いている可能性は、それなりに高いといえましょう。専門的な職業であれば、尚更だと思います。
しかし、江戸時代の健康マニア、貝原益軒に言わせると、医者というのは、代々受け継ぐべき職業ではないそうです(『養生訓』より)。むしろ、常に、新しい才能を消費しなければ、発展できない領域なのでしょう。
政治家はどうでしょうか。最近では世襲議員が問題になっていますね。もちろん、我々僧侶の世襲も問題になっています。
さて、そういえば、道元禅師は「世襲」を認めているのではなくて、その家に入ったら、その家の仕事をキチッと行うべきだといっているのです。武士なら武士、貴族なら貴族、そして仏道なら仏道。それぞれに、その道に入ったら、その道を全うせよ、という意味で「家業を継げ」と仰っているのです。
今、出家の人として、即チ仏家に入り、僧道に入らば、すべからくその業を習フべし。
『正法眼蔵随聞記』巻2-2
道元禅師は、どのような人の家業を継ぐべきであるとしています。今、この自由主義の社会では、ちょっと意外に思われる言葉かもしれませんが、しかし、多分、遺伝的なこともあって、親の仕事が子供にとっても向いている可能性は、それなりに高いといえましょう。専門的な職業であれば、尚更だと思います。
しかし、江戸時代の健康マニア、貝原益軒に言わせると、医者というのは、代々受け継ぐべき職業ではないそうです(『養生訓』より)。むしろ、常に、新しい才能を消費しなければ、発展できない領域なのでしょう。
政治家はどうでしょうか。最近では世襲議員が問題になっていますね。もちろん、我々僧侶の世襲も問題になっています。
さて、そういえば、道元禅師は「世襲」を認めているのではなくて、その家に入ったら、その家の仕事をキチッと行うべきだといっているのです。武士なら武士、貴族なら貴族、そして仏道なら仏道。それぞれに、その道に入ったら、その道を全うせよ、という意味で「家業を継げ」と仰っているのです。