他の非を見て、わるしと思ウて、慈悲を以てせんと思はば、腹立つまじきやうに方便して、傍の事を言ふやうにてこしらふべし。
『正法眼蔵随聞記』巻2-5
道元禅師は、他人の非を見、それを悪いと思ったとき、その叱り方として、相手が腹立つことがないようにせよと仰っています。そして、それこそが慈悲を持った叱り方だといえるのです。
我々はどうしても、「自分が正しい」と思えば、その正しさを笠に着て、一気に相手を追い詰めようとし、様々な暴言を吐き、暴挙を行うことがあります。しかし、それによってもし、相手が怒りを覚えたとすれば、むしろこちらにも、「瞋恚」を起こさせたという罪を得るのです。
瞋恚を始めとする三毒は、仏道からその人を遠ざける原因となります。よって、相手に迂遠な道を歩ませたとすれば、これは罪を得るのです。ですから、罪を得ることがないように、とにかく怒りを覚えさせないように、様々な方便を述べて、相手を説得すべきであると、道元禅師は仰っているのです。
『正法眼蔵随聞記』巻2-5
道元禅師は、他人の非を見、それを悪いと思ったとき、その叱り方として、相手が腹立つことがないようにせよと仰っています。そして、それこそが慈悲を持った叱り方だといえるのです。
我々はどうしても、「自分が正しい」と思えば、その正しさを笠に着て、一気に相手を追い詰めようとし、様々な暴言を吐き、暴挙を行うことがあります。しかし、それによってもし、相手が怒りを覚えたとすれば、むしろこちらにも、「瞋恚」を起こさせたという罪を得るのです。
瞋恚を始めとする三毒は、仏道からその人を遠ざける原因となります。よって、相手に迂遠な道を歩ませたとすれば、これは罪を得るのです。ですから、罪を得ることがないように、とにかく怒りを覚えさせないように、様々な方便を述べて、相手を説得すべきであると、道元禅師は仰っているのです。