示ニ曰ク、広学博覧はかなふべからざる事なり。一向に思ひ切ツて、留るべし。ただ一事に付イて用心故実をも習ひ、先達の行履をも尋ネて、一行を専ラはげみて、人師先達ノ気色すまじきなり。
『正法眼蔵随聞記』巻2-3
道元禅師ご自身は、仏教の様々な経典などを学び、本人はそれほど用いるべきではないなどと示されてはいますが、仏教の典籍以外の外典も多く用いています。よって、広学でありますし、博覧強記でもありますが、しかし、それはなかなか叶わないものだとしています。
よって、ただ一事について、修行方法などを古人の行いから学び、そして、古人達が極めてきた修行を真似て、専ら励むべきだとされているのです。ただ、それだけで修行になるのです。また、仏道を歩むことにも成るのです。
『正法眼蔵随聞記』巻2-3
道元禅師ご自身は、仏教の様々な経典などを学び、本人はそれほど用いるべきではないなどと示されてはいますが、仏教の典籍以外の外典も多く用いています。よって、広学でありますし、博覧強記でもありますが、しかし、それはなかなか叶わないものだとしています。
よって、ただ一事について、修行方法などを古人の行いから学び、そして、古人達が極めてきた修行を真似て、専ら励むべきだとされているのです。ただ、それだけで修行になるのです。また、仏道を歩むことにも成るのです。