満福山城国寺

宮城県栗原市にある曹洞宗の満福山城国寺のブログです。

褒賞を気にしない仕事

2008-12-27 05:08:20 | 『正法眼蔵随聞記』
 夜話ニ云ク、昔、魯の仲連と云フ将軍ありて、平原君が国に有ツて能く朝敵を平ラぐ。平原君賞して数多の金銀等を与へしかば、魯の仲連辞して云ク、「ただ将軍の道なれば敵を討つ能を成す已而。賞を得て物を取ラんとにはあらず。」と謂ツて、敢て取ラずと言フ。魯仲連ガ廉直とて名よの事なり。
 俗なほ賢なるは、我レそノ人としてそノ道の能を成すばかりなり。代りを得んと思ハず。学人の用心も是ノごとクなるべし。仏道に入リては仏道のために諸事を行じて、代リに所得あらんと思フべかラず。内外の諸教に、皆無所得なれとのみ進むるなり。心を取ル。
    『正法眼蔵随聞記』巻2-7


中国の戦国時代に生きた、魯の仲連の故事を道元禅師は高く評価されます。この者は後の始皇帝を出す秦が攻めていた趙を守ったにもかかわらず、その恩賞を一切取ろうとしませんでした。そして、そのように恩賞を取るのは、商売人の振る舞いであるとしています。

同じように道元禅師も、自らの職責をよく知るべきだと説くのです。そして、仏道修行者であれば、一切の褒賞や、功徳を期待せずに、自らの行うべきを行うことを説くのです。

このような修行を、「不染汚の修証」とか「無所得、無所悟」などといいます。世間に生きている場合には、どうしても、所得を目指して生きてしまいます。そして、それで良いのですが、度が過ぎると、仕事の目的が歪んでしまいます。何事もホドホドに。