満福山城国寺

宮城県栗原市にある曹洞宗の満福山城国寺のブログです。

他人への叱り方

2008-12-22 11:03:59 | 『正法眼蔵随聞記』
 先師天童浄和尚住持の時、僧堂にて衆僧坐禅の時、眠リを警むるに履を以て是レを打チ謗言呵嘖せしかども、僧皆打タルる事を喜び、讃嘆しき。
 ある時、また上堂の次でには、常に云ク、「我レ已に老後の今は、衆を辞し、庵に住して老を扶ケて居るべけれども、衆の知識として各々の迷ヒを破り、道を助けんがために住持人たり。是レに因ツてあるイは呵嘖の言を出し、竹篦打擲等の事を行ず。是レ頗る恐レあり。然れども、仏に代ツて化儀ヲ揚グル式なり。諸兄弟、慈悲をもてこれを許し給へ。」と言へば、衆僧流涕しき。
 是ノごとキ心を以てこそ、衆をも接し化をも宣ブべけれ。住持長老なればとて猥りに衆を領じ、我ガ物に思うて呵嘖するは非なり。況ンヤそノ人にあらずして人の短を謂ヒ、他の非を謗るは非なり。能々用心すべきなり。
    『正法眼蔵随聞記』巻2-5


道元禅師の本師である、天童如浄禅師という方は、非常に厳しい修行をしたことでも知られておりますけれども、自分で行うのみならず、弟子に対してもそれを要求した人でした。それは、坐禅修行こそが、仏道の正道を歩くものであると確信していたからです。

そこで、以上に見たような、厳しい指導が行われたわけです。ただ、これについて、すぐに誤解する人は、自分も如浄禅師のようになりたいというのです。しかし、その人の多くは、ただ、他人よりも上に立ちたいだけであって、本当に、指導される側に立って思っている人は皆無です。

ですので、これはちゅういすべきであr道元禅師も「住持長老なればとて猥りに衆を領じ、我ガ物に思うて呵嘖するは非なり。」とされているのです。