Joy Yoga

中東イスラエルでの暮らしの中で、ヨガを通して出会う出来事あるいは想いなど。

信じるな、確かめろ

2013-09-26 09:19:44 | 師匠たちの名言集
これはギリ師匠がクラスの中で折に触れて言っていた言葉。
ひょっとしてブルース・リーを意識したのかなと思わせる言い回しなのはさておき、「僕が今こうして教えていることですら信じちゃダメだ。自分自身で確かめるんだ。」と言い放つ。

ヨガ歴四半世紀にわたる師が、その口から出てくる言葉さえも信じるなと言う。師の元に学びに行っている私は最初、疑問を抱いたのだけれど、この教えは後々私の心のスタンスをよりニュートラルな状態に保つ助けとなっていた。

師の言うところの「信じるな」とは要するに「鵜呑みにするな」ということらしい。
オープンマインドで物事を見聞きすることは結構なことだが、それをそのまま鵜呑みにしていては肝心なことを咀嚼できない。その背景や根拠を自分自身で改めて吟味したり検証したりすることによって、本当の意味での理解や体得がもたらされるのだということだろう。

そのように解釈しても師の教えはやはり教えであり、そのひとつひとつをその都度、検証したり吟味したりするには私はあまりに面倒くさがりなので、普段の練習や日常の中で「あれって、こういうことかな?」と閃いたり納得したりしながらぼちぼちやっている。


私たちは想像力がたくましすぎて未然の出来事のなりゆきを自分勝手に決めつけたり、ナイーヴであるために洗脳されたりしやすいということがたしかにあるかもしれない。そういう人たちを私の師匠はヨガを通じて見てきたのだろう。ただ推奨されているからといってベジタリアンになることやヨガに浸るために安易に社会生活やその一部を放棄することに常々疑問を呈しているわが師匠らしい哲学だと改めて思う。


いたずらに疑心暗鬼になる必要はないけれど、人生には額面通りに受け止めていると心が追い付かない事柄や場面がたまにある。無駄に心を砕いて悩んだり怒ったりしても、実際にはその裏に隠されたものが案外シンプルなことだったりする。もちろんその逆もある。
物事の背景を確かめもせずに一時的な感情でこうだと決めつけてしまうと私の場合は後からなかなか修正がきかないので、この哲学を出来る限り意識して日々の暮らしでも応用している。

そうすると、例えば、メールの返信がしばらく来なくても「あの人、私のこと忘れちゃったのかな?」なんて悩まなくて済む。本当に忘れたのかもしれないし、うっかり連絡先を消したのかもしれないし、忙しくてそれどころじゃないのかもしれないし、パソコンやネットの調子が悪いだけかもしれない。理由はいくつもあるはずなのに、何を根拠に「忘れられた」と限定して思い煩う必要があるのか、と。
本当に忘れられたとしていたら、ずいぶんのんきな悲劇だけれど心をすり減らすよりはましである。


自分の心を振り回しているのは自分勝手な思い込みかもしれないと、一度立ち止まってみることを大人の嗜みにしたい秋のはじまり。



ナマステ&シャローム
Nozomi


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
なんということでしょう (rie)
2013-10-08 19:24:46
すべての言葉がビシビシきます。
後半のメールの例えは、いっそう、心底、ビシビシきます 笑


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☆ rieさん ☆ (Nozomi)
2013-10-08 21:44:31
そのように仰っていただけると書いている甲斐があるというものです。

メールのくだりは実は私も心当たりありまくりです(笑)
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