連休を利用して妹が日本から遊びに来てくれた。
彼女にとっての3度目のイスラエルは5年ぶりくらいだろうか。
正味6日間の滞在はなかなかインテンシブで、思い出の濃度が高いものとなった。
イスラエル到着はペサハ終盤で、第2の祝日を夫の親族と共に過ごして賑やかな皮切り。
翌日は“三度目の正直”で念願の死海へ。
道中エルサレムのオリーブ山に寄ってエルサレム市街を一望した。
世界一海抜の低い死海へ向かう道中にある海抜ゼロ地点。
死海での初の浮遊体験は思った以上に浮くので、仰向けから腹這いになる際に慣れない妹はややパニクっていた。
(死海は沈むことはないけれど、浮きすぎて身体操作を誤ることがあり、そのことで塩分濃度が非常に高い海水が目や口に入って危険という事態はある。)
ガイドブックよろしく天然泥パックも楽しんで第一のミッション完了。
続くペサハ明けは恒例のモロッコ系のスイーツパーティー「ミムナ」。嫁の私はともかく、妹はゲストにもかかわらず、気がつけばモロッコ式揚げドーナツを揚げる役割を担っていた。元来料理好きな彼女はすぐに要領を得、本人も楽しげだし、おまけに義母がこういう場面で誰かに任せっきりなのは本当に珍しいことで微笑ましかった。
ミムナ明けは息子に会いにイスラエル南端のエイラットまで400kmの遠征。第2のミッション。
ネゲブ砂漠にある侵食によってできたクレーターに立ち寄る。
先月二十歳を迎え日本でも正真正銘の成人となった息子の勇姿を目の当たりにし、思わず感極まって涙ぐむ妹。
この日は平日だったが、日本から叔母が来るということで面会時間を設けてもらい、息子の大好きなどら焼きを差し入れ、しばし家族水入らずの時間。
エイラットが自分たちの住む街から遠く、年中暑いのは知っているが、実際に息子がいる小さな基地に行ってみると、若い兵士達の労苦が肌で感じられて、兵役経験のない私はまたひとつ勉強になり、同時に息子への尊敬の念を新たにすることとなった。
毎日炎天下で道なき道を100km、朝は4:30から数回にわけてパトロールして回るのだそう。息子はこのチームで唯一のHammerドライバー。
息子のいる基地の目と鼻の先にあるリゾート地で食したきのこのリゾットの罪悪感MAXの美味しさよ。
あれよあれよという間に妹の帰国が翌朝に迫った日、日中はお土産の買い出しの案内を最近運転免許を取った娘に任せ、私は夕方からのテルアビブ行きに備えてひと休み。
第3のミッションはイスラエルのダンスを鑑賞すること。
今回は世界でも有名どころの「バットシェバダンスカンパニー」を観る機会を得ることができた。
不可思議な(日本語の!)選曲に合わせたダンスとパントマイムを織り交ぜたような身体表現の数々。余りに前衛的で、もう訳のわからない世界である。ダンスという枠組みを完全に越えたパフォーマンスに圧倒される我々姉妹。
そこに意味を見出そうという自分の試みがもはやナンセンスなのではないかと思えてくる。ダンサーの肉体美、身体能力、表現力、息づかい、それら全てがまるっと芸術作品なのであった。
まさに「考えるな。感じろ。」の世界。
イベント盛り沢山の6日間は瞬く間に過ぎゆき、妹の胸には溢れるほどの思い出ができたようだ。
今回はあちこちで出会ったイスラエル人の親日家ぶりがそれらの思い出を更に豊かにしたようで、また近いうちに来たいと言っている。
出発の日は娘の運転で空港まで見送った。
Nozomi
彼女にとっての3度目のイスラエルは5年ぶりくらいだろうか。
正味6日間の滞在はなかなかインテンシブで、思い出の濃度が高いものとなった。
イスラエル到着はペサハ終盤で、第2の祝日を夫の親族と共に過ごして賑やかな皮切り。
翌日は“三度目の正直”で念願の死海へ。
道中エルサレムのオリーブ山に寄ってエルサレム市街を一望した。
世界一海抜の低い死海へ向かう道中にある海抜ゼロ地点。
死海での初の浮遊体験は思った以上に浮くので、仰向けから腹這いになる際に慣れない妹はややパニクっていた。
(死海は沈むことはないけれど、浮きすぎて身体操作を誤ることがあり、そのことで塩分濃度が非常に高い海水が目や口に入って危険という事態はある。)
ガイドブックよろしく天然泥パックも楽しんで第一のミッション完了。
続くペサハ明けは恒例のモロッコ系のスイーツパーティー「ミムナ」。嫁の私はともかく、妹はゲストにもかかわらず、気がつけばモロッコ式揚げドーナツを揚げる役割を担っていた。元来料理好きな彼女はすぐに要領を得、本人も楽しげだし、おまけに義母がこういう場面で誰かに任せっきりなのは本当に珍しいことで微笑ましかった。
ミムナ明けは息子に会いにイスラエル南端のエイラットまで400kmの遠征。第2のミッション。
ネゲブ砂漠にある侵食によってできたクレーターに立ち寄る。
先月二十歳を迎え日本でも正真正銘の成人となった息子の勇姿を目の当たりにし、思わず感極まって涙ぐむ妹。
この日は平日だったが、日本から叔母が来るということで面会時間を設けてもらい、息子の大好きなどら焼きを差し入れ、しばし家族水入らずの時間。
エイラットが自分たちの住む街から遠く、年中暑いのは知っているが、実際に息子がいる小さな基地に行ってみると、若い兵士達の労苦が肌で感じられて、兵役経験のない私はまたひとつ勉強になり、同時に息子への尊敬の念を新たにすることとなった。
毎日炎天下で道なき道を100km、朝は4:30から数回にわけてパトロールして回るのだそう。息子はこのチームで唯一のHammerドライバー。
息子のいる基地の目と鼻の先にあるリゾート地で食したきのこのリゾットの罪悪感MAXの美味しさよ。
あれよあれよという間に妹の帰国が翌朝に迫った日、日中はお土産の買い出しの案内を最近運転免許を取った娘に任せ、私は夕方からのテルアビブ行きに備えてひと休み。
第3のミッションはイスラエルのダンスを鑑賞すること。
今回は世界でも有名どころの「バットシェバダンスカンパニー」を観る機会を得ることができた。
不可思議な(日本語の!)選曲に合わせたダンスとパントマイムを織り交ぜたような身体表現の数々。余りに前衛的で、もう訳のわからない世界である。ダンスという枠組みを完全に越えたパフォーマンスに圧倒される我々姉妹。
そこに意味を見出そうという自分の試みがもはやナンセンスなのではないかと思えてくる。ダンサーの肉体美、身体能力、表現力、息づかい、それら全てがまるっと芸術作品なのであった。
まさに「考えるな。感じろ。」の世界。
イベント盛り沢山の6日間は瞬く間に過ぎゆき、妹の胸には溢れるほどの思い出ができたようだ。
今回はあちこちで出会ったイスラエル人の親日家ぶりがそれらの思い出を更に豊かにしたようで、また近いうちに来たいと言っている。
出発の日は娘の運転で空港まで見送った。
Nozomi
経験してるね!そして日本人として、母として、
姉として、妻としての視点が面白い。
この貴重な経験 書籍化してほしい。
タフな君にたじたじだ。
期せずして我ながらユニークな人生になっちゃったよ。様々な経験が相互に結びつき合って、今の自分があるんだなということを最近とても強く感じてる。おばさんはみんなタフだよ!(笑)