数日前、テレビのニュースで「いただきます」の意味についての話がありました。松阪牛でお馴染みの三重県の松阪市のある高校で、生徒が入学した際に神戸から子牛を購入し卒業までの3年間、糞尿の世話、家畜小屋の掃除、餌やりや体のお手入れ・・・・子牛を育てて出荷するというカリキュラムがあるのだそうで。成長と共に牛は、いつもお世話をしてくれる生徒が来ると体を摺り寄せたりして感情表現。世話をする生徒達もそんな牛が愛おしくなる。でも最後には、立派に成長した牛をコンテストに出し、食肉牛としてセリにかけられて、高校生と牛のお別れの日が・・・・。食肉牛になる事を理解しつつ飼育していたけれど、出荷するときは涙の瞬間です。
その後、何と自分達が世話をした牛が松阪市のイベントでお弁当に出される事になったのです。そこで先生が「お前達、食べる事が出来るか?」と生徒達に訊ねたのですが、自分達が大切に育てた牛だったゆえ、複雑な心境ながらも「食べる」事を選んだのです。
そして、イベントの日。お弁当を前に先生が「いただきます」は、作った人への感謝の気持ちだけでなく、命あるものをいただく「命をいただきます」という感謝の言葉だと生徒達に伝えました。生徒達は皆涙しつつ自分達が育てた大切な牛のお肉を「ありがとう」と感謝しながら噛み締めてそのお肉を食べていました。
先生の言った「命をいただきます」の言葉が、私は忘れられません。
以前こちらに掲載しましたが、中国の山東省で毛皮の採取現場の衝撃的な動画を見た時の事を思い出しました。私達人間が、如何に沢山の命を犠牲にして生きてきたか。いや、如何に沢山の命を犠牲に生かされているか・・・・。
その事を思うと、自ら命を絶つ事、そして、この頃の孫が祖父母を祖父が孫の命を殺めるという恐ろしい事件をとても悲しく思います。
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「命をいただきます」。
毎度の食事でその意味を再確認しながら、食べる事に感謝し、生きている事、生かされている事に感謝。
そうすると自ずと生きるべき道がどうあるべきか・・・・理解出来るように思うのです。
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